ザルツブルク音楽祭へ (その4)出発〜ミュンヘンまで

ザルツブルク音楽祭への旅路は、出発日前日の空港(中部国際空港セントレア)前ホテルへの宿泊から始まった。そのホテルに宿泊すると、10日間無料でホテル付設の駐車場を利用できるからだ。宿泊するのは二度目だが、ここはどこの国かと錯覚を起こすほどに、今回もホテルのロビーは某国の宿泊客で溢れていた。
ホテルのチェックインを済ませ、空港内のレストラン街にて夕食。空港内ということも手伝ってか、レストラン内は街なかのレストランとはちょっと違った空気に支配されている。食事客の服装も含め、どこか華やいだ感じがするのは、空港という場所が日常から非日常へと移行する境界に位置しているからなのであろう。

自宅を出発する前に、ジェットウェイ・トラベルのナカガワさんから、搭乗機であるフィンエアーはウェブで24時間前からチェックインができると聞いていた。実際に、出発日前日にはフィンエアーからオンラインチェックインの案内メールが入ったので、指示されるままに予約番号やパスポート番号等を入力すると、座席の指定と搭乗券の発券まで簡単に終えることができた。
これで、出発日当日はチェックインカウンターに並ばずに、いきなりバゲージドロップのカウンターで荷物を預けるだけになった。便利な時代になったものだ。

出発日当日の朝、某国の人たちの凄まじい喧騒の中でホテルの朝食を済ませ、空港へと向かう。レンタルWi-Fiのカウンターでルーターを受け取って、フィンエアーのバゲージドロップカウンターへ。
自宅でプリントアウトしてきた搭乗券のコピーを見せると、すぐにバーコードの入った通常の搭乗券と交換してくれた。荷物を預ける際、「僕の知り合いが最近パリからフィンエアーで帰ってきたんですけど、ロストバゲージだったんですよ。大丈夫ですかね?」と応対してくれた係員に尋ねると、「フィンエアーって、ロストバゲージが多いんですよね。ヘルシンキ空港がハブ空港なので、けっこう積み残しとかあるみたいで」などとおっしゃる。そんな人ごとみたいに言われても困るのである。
イミグレを通過して、搭乗を待つ。これからの旅路に思いを馳せ、いちばんわくわくする時間である。トランジットのヘルシンキまでは約10時間、1時間半後の便でミュンヘンまでは約2時間半。ミュンヘン空港から市内まではエアポートバスにて約40分。ホテルにチェックインするまで、トータルで少なくとも約15時間。長い旅路である。

10:30セントレアを発つ。
座席に座ったときから、前のシートに備え付けられているモニターが見られなかったので、CAにその旨を伝えると「再起動してみますからちょっとだけお待ちください」とのことであった。シートベルトサインが消えてもモニターの状態は変わらなかったので再びCAに伝えると、そこよりも前の4人掛けの席が空いているので、そちらの座席へと移動してはどうかと提案された。家内と相談して、提案に従うことにした。ベルトサインが消えてしばらくすると機内食が出た。フィンエアーの機内食は、はっきり言っておいしくない。狭い座席で、窮屈な思いをして食べるので、なおさらおいしくない。さっさと食事を終えて、持参したタブレットで電子書籍を読む。選んだ本は、釈先生と内田先生による『聖地巡礼リターンズ』。今回の旅は、グスタフ・マーラーをめぐる巡礼の旅である。巡礼の旅には巡礼の本が相応しい。

14:10(現地時間、日本との時差は6時間)ヘルシンキ空港着。
乗り継ぎ手続きへと向かう。セキュリティチェックを通り、パスポートコントロールへ。すると、後ろから「日本人の方はこっちですよ!」という声が聞こえた。振り返ると、日本人ではない男性が流暢な日本語で「日本人の人はこちらの入口です」と指差して教えてくれた。そこには、ちゃんと日本と韓国の国旗のマークが掲示されていた。お礼を言ってパスポートコントロールを通過。あとは、ミュンヘンまでの搭乗口近くで待機するだけである。
ほどなくミュンヘン行きの搭乗が始まった。この機では、機上でWi-Fiを使用することができた。フィンエアーのHPにアクセスして簡単な手続きをするだけである。いつでもどこでもWi-Fiが使用できるようになる時代が来るのも、そう遠い将来ではないと実感した。
16:15ヘルシンキ空港を発つ。

17:50(現地時間、ヘルシンキとの時差1時間)ミュンヘン空港着。
荷物を受け取り(ロストバゲージしなくてよかった!)、ルフトハンザ・エアポートバス乗り場へ。ターミナル2にバス停があるとのことで、案内板に従ってターミナル2へ。しかし、行けども行けどもターミナル2には行き着かない。ようやくターミナル2なる場所までたどり着いたが、今度はエアポートバスの乗り場がどこかわからない。
近くのインフォメーションで尋ねると、そこに座っていたおっちゃんが「ストレイト・フォワード」とまっすぐ指差した。そこからすぐ近くの出口を出たところが、エアポートバスの乗り場だったのである。ホッと一息ついたものの、バス停は2箇所あった。出口右側のバス停に行こうとすると、家内が「こっちじゃない?」と左側のバス停を指差した。よく見ると、「ルフトハンザ・エアポートバス」の表示がされてあった。安心して、バスが来るのを待った。

バスがやって来てバス停の前で止まると、サングラスにヒゲのドライバーが下りてきて、バスの荷物室を開けて荷物を乗せ始めた。日本でプリントアウトしてきた乗車券を見せ、バスへと乗り込む。乗客は数人。バスは高速道路に入ってビュンビュン飛ばす。すぐ横をベンツやBMWがそれよりも早い速度で追い抜いていく。ドイツの高速道路は制限速度がないと聞いたことがあるが、まさしくそんな感じであった。
高速道を下り街なかに入ると、バスの車窓からドイツの家並みが見える。どの建物も、鋭角の屋根に屋根裏部屋と思しき窓が設えられている。壁はベージュか淡いグリーンで統一されているのが特徴的だ。

ミュンヘンのホテルは、中央駅のすぐ近くに取った。チェックインを済ませて部屋に入り、旅装を解く。暑いのでエアコンをつけようと思ったが、エアコンは設置されておらず、代わりに扇風機が置かれていた。窓を開けようと思ったが、どの窓も窓の上部が15センチほど斜めに開くだけで、開け放つことができないようになっていた。

とりあえず、夕食(夜食?)を食べに街へと繰り出した。事前に日本語メニューのあるレストランをチェックしておいたので、Googleマップを頼りにカールスプラッツへ。カールス門という大きくて立派な門をくぐると、そこからマリーエン広場までは広い歩行者天国となっている。
しばらく歩くと、大きな教会が見えてきた。Googleマップでは聖ミヒャエル教会とある。教会の壁には大きな羽根のある天使が剣で何者かを退治しているような大きなレリーフが飾られている。
さらに、その教会のすぐ隣には、聖母教会の二つの高いドームが聳え立っている。近くまで行ってみると、カメラのレンズには収まりきらないほどの高さだ。その聖母教会は中に入ることができた。ひっそりとした教会の内部では、静かに祈りを捧げている人もいた。

既に、この時点で起床から20時間以上経過している。早めに食事を済ませ、明朝のザルツブルクへの移動に備えなければならない。しかし、聖母教会近くの件のレストランは、閉店したか移転したかわからないが、とにかく営業していなかった。仕方がないので、そこまで来る途中にあったビヤホールへ行くことにした。
ミュンヘンでは、ヴァイスブルスト(白ソーセージ)とビールが飲めればいいと思っていたので、サラダとともに注文。ヴァイスブルストは、陶器の器の湯の中に沈められた状態で供された。直径4〜5センチ、長さは15センチほどだ。少しずつナイフで切って、別添えの辛子(のようなもの、全然辛くはない)をつけて食べるのである。ブルストを食べ、ビールを飲む。ああ、ミュンヘンまでやって来たという実感に浸る。
ミュンヘンのビールは、後味が日本のビールと全く違う。麦なのかホップなのかよくはわからないが、たぶんそのどちらかの味が立ち上ってくるのである。僕があまりにおいしそうに飲んだからか、ふだんはアルコールを一切口にしない家内も「一口飲ませてよ」と言ってきた。

ミュンヘンは、マーラーが自身の指揮で交響曲第8番を初演したところである。市内のドイツ博物館の敷地内には、実際に初演された建物が残されているとのことだが、とてもそこまで足を延ばす余裕はなかった。食事を済ませ、ホテルに戻り、入浴してすぐに就寝。眠いはずであったが、その日の夜は興奮してなかなか寝付けなかった。明朝はいよいよザルツブルクへと移動するのである。