ザルツブルク音楽祭へ(その 3)初めてマーラーを聴いた頃

僕がクラシック音楽を聴くようになったきっかけは、クラシック音楽が好きな父親の影響であった。父がどういう経緯でクラシック音楽に親しむようになったのかは知らないが、父はベートーヴェンが何よりもお気に入りであった。たぶん、父自身が難聴の持病を持っていたので、ベートーヴェンが後年難聴に苛まれたことを自身のそれに重ね合わせて、自然と親近感を持つようになったのではなかろうか。
大晦日、居間では家族が「紅白歌合戦」を見ているのに、父親は一人別の部屋のテレビでNHK交響楽団による「第九」を見ていて、途中「いいところだから見にこい」とその部屋に僕を呼んで、一緒に「第九」を見るというようなこともあった。

そんな父親の影響もあって、僕は小学生の頃から自然とクラシック音楽を聴くようになっていった。
小学6年生のときには、音楽好きの担任の先生が聴かせてくれたショパンの「英雄ポロネーズ」が聴きたくて、初めて自分の小遣いで安川加寿子が弾いたショパンのピアノ曲集のEP盤(外径17㎝の小型レコード盤)を買った。ターンテーブルとスピーカーが一体になった再生機器で、何度も何度も繰り返し聴いた覚えがある。

初めてLPレコードを買ったのは中学生のときで、アンドレ・クリュイタンスがベルリン・フィルを指揮したベートーヴェンの交響曲第5番「運命」とエグモント序曲、シューベルトの「未完成」交響曲がカップリングされたレコードであった。もちろん、有名な「運命」を聴きたかったからだが、どうしてその演奏家のレコードを選んだのかはよく覚えていない。
アンドレ・クリュイタンスなどという指揮者のことなど、中学生の自分がもちろん知るはずはなかったので、どこかで耳にしたベルリン・フィルというオーケストラ名で購入を決めたのではないかと思われる。
このレコードも、それこそ「擦り切れる」ほど聴いた。たまたま父の購入した「運命」のポケット・スコア(オーケストラ・スコア)が家にあったので、そのページをめくりながら聴いたことを思い出す。

1970年代当時は、大盤のLPレコードは1枚2,000円もしたので、中学生や高校生の小遣いでは手軽に買える代物ではなかった。いきおい、LPレコードを買おうというときには、選びに選んで「極めつきの名盤」を買おうとするようになったのは自然な成り行きであった。
そんなときにレコード選びの参考になったのは、CBS・ソニーから出ていた「ベスト・クラシック100選」というカタログであった。交響曲から室内楽曲、器楽曲や歌曲まで、クラシック音楽の幅広いジャンルから、定評のある名盤が演奏者のカラー写真と楽曲解説付きで紹介されていたので、それを見ながら少しずつアルバムを買っていった。レナード・バースタインや、ブルーノ・ワルターという指揮者のことも、その「ベスト・クラシック100選」で知った。
バーンスタインが指揮するチャイコフスキーやシベリウスの交響曲、ワルターが指揮するブラームスの交響曲のアルバムなどを購入して聴きながら、次なる関心はグスタフ・マーラーの交響曲のアルバムへと向けられていった。

最初に買ったマーラーの交響曲のレコードは、バーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮した交響曲第1番であった。初めて聴いたときは、変わった曲だなあという印象であった。そもそも、第1楽章の出だしから変わっていた。弦楽器が、まるで霧が立ち込める森の朝のような雰囲気を弱音で醸し出す中、遠くから起床ラッパのような音や鳥の鳴き声が聞こえ、そんな中で目覚めた主人公がゆっくりと歩き始めるかのように主題が始まるのである。
しかし、この交響曲で最も印象的だったのは、第3楽章であった。静かな足音のようなティンパニの伴奏に乗って、ソロのコントラバスがすすり泣くようなメロディーを奏でる。まるで葬送行進曲のようだ。
作曲家の廣瀬量平は「音楽現代」1975年3月号のマーラーの特集で、この交響曲第1番の第3楽章について、トーマス・マンの『トニオ・クレエゲル』の一部を引き、「悔恨と郷愁としての陳腐な甘い調べというものがありうるのであり、それがたくみな配置と誘導によってこの自伝的青春小説のような長大な曲の一つのエピソードになっていて、少しの不自然もない」とし、「トーマス・マンの描く主人公の小説家は何とマーラー自身に似ているのだろう」と書いている。

廣瀬量平が引用した『トニオ・クレエゲル』の一部とは、以下の箇所である。
「彼はあの頃から今日までの歳月を顧みた。己の経て来た官能と神経と思想との、すさみ果てた冒険を思い起こした。風刺と精神とにむしばまれ、認識に荒らされ、しびらされ、創造の熱と悪寒とに半ば摩滅され、頼るところもなく、良心をさいなまれつつ、森厳と情欲という烈しい両極端の間をあっちこっちへ投げ飛ばされ、冷ややかな、わざとえりぬいた高揚のために、過敏にされ貧しくされ疲らされた揚句、乱れてすさみ切って責めぬかれて、病み衰えてしまった自分の姿を眺めた。そして、悔恨と郷愁にむせび泣いた。」(実吉捷郎訳、岩波文庫)

このマーラーの交響曲第1番の第3楽章によって、僕はすっかりマーラーの音楽の虜になってしまった。最も惹かれたのは、その音楽が濃厚な文学性を保持しているということを発見したことであった。1曲の交響曲が、まるで一編の小説を読むかのごとくに聴くことができると感じたのである。
それからは、件の「音楽現代」のマーラー特集号で紹介されていた他の交響曲も、ぜひ聴いてみたいと思うようになった。

ところが、70年代当時はマーラーの交響曲のレコードはほとんど手に入れることができなかった。比較的入手しやすかったレコードは、バーンスタインが指揮した1番・2番・4番・「大地の歌」、ワルターが指揮した1番と2番くらいで、他の交響曲はなかなか地方のレコード店の店頭では見かけることがなかった。
しかも、マーラーの交響曲は演奏時間が長時間にわたる曲が多いので、そのほとんどがLP2枚組だった。さすがに2枚組4,000円もするレコードを次から次へと購入することなど高校生の小遣いでは不可能であった。
それでも、どうしても聴きたいという思いは抑え難く、高校3年生の夏にはバーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮した3番を、秋には同じくバーンスタインがイスラエル・フィルを指揮した「大地の歌」を入手して、大学受験の勉強の合間に何度も何度も聴いていた。

交響曲第3番は、全体が夏休みの雰囲気にぴったり(第1楽章には「牧神が目覚め、夏が行進してくる」という表題が付けられていたことがある)だったこともあり、特に第3楽章は夏の朝に聴くと、舞台裏で吹かれるポストホルン(トランペットのような音色の小型楽器)のソロと舞台上のホルンの掛け合いがいかにも清々しく、この長大なシンフォニーの中でもとりわけ好きな楽章になった。
「大地の歌」は、特に最終楽章が忘れられないものとなった。冬枯れの景色から少しずつ春に近づいていくという時節に、終楽章の最後の詩句(マーラー自身が特に付け加えたもの、「愛しい大地に春が来れば、至るところに花は咲き、緑は新たに萌え出でて、遥か彼方には輝く青い光。永遠に、永遠に...」)とその音楽は、これから地元を離れて大学生活を送るようになるという当時の自分の心情を代弁してくれているように響き、ひどく胸が締め付けられるように感じられた。こうして、マーラーの交響曲は僕にとってなくてはならないものとなっていった。

今回のザルツブルク音楽祭では、マーラーの交響曲第2番「復活」を聴く。オーケストラは、マーラーが指揮者を務めたこともあるウィーン・フィル。終楽章での「復活」の合唱も聴きどころだが、いちばん楽しみにしているのは第2楽章だ。ウィーン・フィルのいかにも艶やかなワルツの響きが聴けるのではないかと、今から期待に胸を膨らませているのである。