3月6日(木)
(エピソード1「吹奏楽部への入部と新歓コンパ、応援団への入団式」)
オカッパ頭の先輩は、3回生のタニ先輩(パーカッション担当)であった。学生会館1階の食堂へ誘われ、食事を奢っていただき、あれこれクラブの話を聞いた(このタニ先輩という方、実はとてつもなくオモロイ先輩であるということが、その後しばらくしてからわかった。このときは、話しながら体を左右に揺らして、オカッパ頭の頭髪を手で掬い上げる仕草が印象的だった)。
具体的に、どんなお話だったのかは覚えていない。やりがいのあるクラブだということを強調されたような気がする。
実は、関学の吹奏楽部については、入学する前からその名を知っていた。
中学時代、吹奏楽部の顧問の先生から、「日本の吹奏楽’70」という全日本吹奏楽コンクール実況録音盤を紹介され、その中に大学の部の演奏として、関学吹奏楽部の演奏が収められていた(自由曲「プレリュードとダンス」)のだ。
中学校の演奏を聴きたくて購入したレコードだったので、特別に関学の演奏が印象に残っていたわけではないのだが、その団体名が長かったので(関西学院大学応援団総部吹奏楽部)覚えていたのである。
名門の吹奏楽部であるというイメージだったので、まさか自分がその部に入るなどということは全く想像していなかったのであるが、大学生活が始まってみると、キャンパスではほとんど人と話をすることもない生活が続き、吹奏楽部に行けば自分を歓迎してもらえそうだということもあって、だんだんと「まあ入ってみるか」という気持ちになり、自然と「応援團」の木札が掲げられた学生会館の部屋へと足が向いていったのであった。
体験入部のような期間が過ぎ、いよいよ正式入部ということになった。パートは、中学時代に吹いていたトランペットということになった。
トランペットセクションには、2回生にちょっと変わった先輩がいらっしゃった。クワハラ先輩である。楽器演奏はピカイチなのであるが、行動がどうも大学生には思えないような、そのしゃべり方も含めてまるで小学生のようなところがある先輩なのであった。いろんな先輩がいるのは、とても楽しいと感じた。
入部してしばらくして、神戸三宮にて、「新歓コンパ」(新入生歓迎宴会)があった。
余談になるが、今や「コンパ」などという言葉は、ほとんど死語となっているのではないか。うっかり「コンパ」などという言葉を使おうものなら、「なになに?コンパニオンを呼んでの宴会か?」などと誤解されてしまうような気がする。
閑話休題。吹奏楽部の新歓コンパは、「エグい」ということで評判であるらしかった(そのように先輩方から聞かされた)。
宴会が始まった。そのうちに、いわゆる「イッキ飲み」が始まった。普通のコップよりも少し大きめのビールグラスに、日本酒をなみなみと注がれ、それを一気に飲むのである。それまでお酒などというものは全く口にしたことはなかった(せいぜいビールの泡をちょっと舐める程度)ので、このイッキ飲みは恐怖であった。自分の順番になるまでに、一気飲みしてゲロを吐きまくる同級生も何人かいた。
これはうまくごまかすしかないと思い、自分の場合は飲んでるふりをしながら、口から少しずつこぼして、日本酒の摂取量をできるだけ減らそうと試みた。
このため、一気飲みで気持ち悪くなるようなことはなかったのであるが、困ったのは先輩たちが注ぎに来ることだった。「オマエ、何回生や?」「い、一回生です」「オレ、何回生や?」「ハイ、3回生です」「なら、オレの3倍は飲むわな」と、無茶苦茶な論理でひたすら日本酒を飲まされたのであった。そのうちに目が回ってきた。
気が付くと、生田神社の境内に寝かされていた。「おお、目が覚めたか。こんなとこで寝るわけにはいかんので、今日はウチに泊まれや」と、下宿生の先輩たちが大学まで連れて行ってくれた。時計台の前の中央芝生でしばらく酔いを覚ますということであったが、相変わらず気分は悪いままだった。そのまま2回生のニシカワ先輩(チューバ担当、この先輩とはその後同じ下宿で生活するようになる。兵庫県は日本海に面した香住の出身で、後輩の面倒見がよく、イナセなおアニイさんという感じの先輩であった)の下宿へと連れて行かれた。
翌朝目が覚めると、ニシカワ先輩の部屋であった。身体が痒かったので、学生服を脱いでよく見てみると、全身に蕁麻疹が出ていた。「まあ、寝ていたら治るやろ」と言われ、そのまま静かにニシカワ先輩の部屋で過ごした。
以来、長きに亘って、日本酒は身体が受け付けないようになったのであった。
新歓コンパが済むと、今度は応援団への「入団式」が待っていた。
関学の吹奏楽部は、応援団総部という学生団体の一部である。他に、実際の応援のときにリーダーとなる「指導部」と、「チアリーディング部」という3部が一体となって、所謂「応援団」を形成していたのである。
だから、吹奏楽部に入部するということは、必然的に「応援団」の一員になるということを意味していた。
この式のために、「自己紹介の練習」というのが行われた。入団式では、団長から一人一人の新入生に団の腕章とバッヂが手渡されるのであるが、その際に団長の前で自分の出身高校と学部と名前を大声で叫ばなければならないのである(さらには、腕章とバッヂを受け取る際には「オッス、ごっつぁんです!」と言わなければならないという「オマケ」まで付いていた)。
どれだけ大声でやれるかということで、事前にその練習が行わたのであった。学生会館のベランダから、遠く離れたところにいる先輩に向かって、大声で自己紹介を叫ぶのである。先輩が頭上に両手でマルのサインを出せば合格、バツの場合は何度でもやり直しをさせられるのであった。
その入団式、人によっては緊張のあまり途中で言葉が出てこない部員もいたりしたが、ともあれ全員無事に「ごっつぁんです!」(女子部員の場合は「ありがとうございます」でよかった)を済ませ、晴れて「応援團」と刺繍の入った腕章と、銀色のバッヂを手にし、「応援団総部」の一員として学生生活がスタートしたのであった。
(つづく)