スーさん、さらにマーラーを聴く

11月12日(火)

先週の金曜日は、午後からお休みをもらって再び横浜へ。
その前の週に引き続いて、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団によるマーラーの交響曲第7番を聴くためである。

昨今のマーラー人気の高まりの中でも、この「夜の歌」と題されている7番のシンフォニーは、ほとんど実際の演奏機会に恵まれない曲として扱われてきた。
なぜか?
たぶん、「目玉」となる楽章がないからだ。
いや、そんなことはない、第1楽章のテナー・ホルンのソロも印象的だし、第4楽章のアンダンテ・アモローソ(愛情に満ちて)も魅力的な音楽だし、何より第5楽章のはじける明るさがあるではないか、と思われる向きもあろう。
確かに、どの楽章にも随所にマーラーらしい美しい旋律や印象的なパッセージは聴けるのだが、それが処々に散りばめられているだけなので、どうしても楽章全体としての印象が乏しくなってしまうのだ。

マーラーのそれまでの交響曲には、それぞれ目玉となるような楽章があった。
1、4、6番は第3楽章、2、3、9番は終楽章、5番は第4楽章、8番は第2部、大地の歌はほとんど全ての楽章が、何度も何度も繰り返し聴きたくなるような楽章であるのに対して、この7番にはそのような印象的な楽章がないのである。
どうしてなのだろう?

今回の演奏会のパンフレットで解説を書かれている岡田暁生氏は、それを「<物語>が見えてこない」からだと書かれていた。
“マーラーの作品というのは、一見難解そうに見えて、実は極めてベタなキャッチフレーズに回収することが可能なように、その進行が作られていることが多い。彼の作品の人気は、こうした「分かりやすい物語性」と決して無関係ではあるまい。(…)しかし、第7交響曲だけは例外だ。”
どうして第7交響曲だけが「例外」となってしまったのだろう?

岡田氏は、そんな「物語」の欠如を、「自然への揺り戻し」であると説明されている。
“この場合の「自然」とは一体何なのか?もちろん、野山や湖や小川や小鳥や動物たちといった、田園的な意味ではあるまい。(…)それは、人間の中の自然、つまり無意識や眠りや食欲や性欲などまでを含めた自然、意識によって加工されていないもののシンボルなのだ。”
つまり、人間の意識下にある「自然」の発露であえるから、それは「物語」にはならない、「物語」を必要としない、ということである。
だから、まるで自分の意識下のイメージをコラージュしたような音楽になってしまうということなのだろうか。

この第7交響曲の大きな特徴は、ポリフォニーだ。
ポリフォニーとは、複数の独立した声部(パート)からなる音楽=多声音楽のことである(これに対して、主声部の旋律に伴奏を付ける和声的な様式の音楽は、ホモフォニーと呼ぶ)。
マーラー自身は、友人に宛てて以下のような手紙を書き送っている。
“リズムもメロディーも完全に違ったものでなければならないのです(他のものはすべて多声になっているだけで、偽装されたホモフォニーにすぎません)。ただ、これらを芸術家が、一つの調和し協和する全体へと整理し統一することが必要なのです。”(1900年、ナターリエ・バウアー=レヒナー宛)
そういう意味では、コラージュに最もマッチするのはポリフォニーであったと言えよう。

そんなマーラーの思いの結実したのが、この第7交響曲だった。
マーラーは、この第7交響曲で、今まで誰も書いたことのなかったポリフォニーの交響曲を作曲したかったのだ。まるで、20世紀の交響曲はポリフォニーで書かれるのだ、と言わんばかりに。

第7交響曲は、1905年に完成された。
その頃のマーラーは、自身の経歴の絶頂にあった。ウィーン宮廷歌劇場の芸術監督に就任して8年、斬新な演出でモーツァルトのオペラを連続公演したり、新しい作曲家のオペラを次々と取り上げては初演したりしていた。
新しい世紀、20世紀を迎えて5年、マーラーはウィーンに設立された「創造的音楽家協会」の名誉会長も務めていたことから、「20世紀の音楽はかくあるべし」という方向性を模索していたのではなかろうか。
そんなマーラーの頭の中にあったのは、究極のポリフォニーだった。
こうして生み出されたのが、交響曲第7番だったのである。
そうして、そんなマーラーの思いは、この第7交響曲を聴いて感激したシェーンベルクらへと確実に受け継がれた。
第7交響曲こそが、20世紀のクラシック音楽への扉を開いたのである。

インバルと都響の演奏は、まさにそんなポリフォニーを細部まで精密に再現した演奏であった。
ここはこんな響きだったのか!という新しい発見に満ちていたのである。それは、特に楽章の出来として評価の別れる第5楽章ロンド・フィナーレにおいて顕著であった。
とかく、「乱痴気騒ぎ」などと評される底抜けに明るいこの楽章の音楽を、インバルはブラスセクションと弦楽器群の掛け合いを見事にコントロールし、時に際立たせ、時に混ぜ合わせ、絢爛たる音楽絵巻を創出していた。
日本におけるマーラー第7交響曲の演奏史の残る、まさに歴史的な名演であったと思う。
そんな、すばらしい演奏に立ち会えることができた僥倖を、演奏会から数日が過ぎた今でも、しみじみと噛みしめている。