9月11日(水)
8月最後の週末は東京に行っていた。
家内の誕生日に合わせて休暇をもらい、一緒にお台場にある日本科学未来館で開催中の「サンダーバード博」を見に行き(それはほとんど夫の希望だったのであるが)、夜は娘とも合流して家族揃って家内の誕生祝いをしようとの目論見であった。
初めてレインボーブリッジを渡ってお台場へ。お目当ての「サンダーバード博」では、懐かしのメカ類の模型や展示を堪能してその日の宿へ。
宿泊は、お台場のちょうど西向かい、東品川の京浜運河沿いのハートンホテル東品川である。行ってみると、特別に予約したわけではなかったのに、最上階の部屋だった。ちょうど角部屋で景色はよし、家内が喜んでくれたのが何よりであった。
娘は、新宿にある中古クラシックレコード・CDを扱うお店に勤めている。仕事の終わるのが午後8時ということで、少し早めに行って実際にお店を見てみることにした。
ホテルから最寄りの駅はりんかい線の品川シーサイド駅。ここから新宿へは、りんかい線まで乗り入れている埼京線で乗り換えなしで行けることがわかった。そのまま新宿駅で下車、やや迷いつつもiPhoneのナビアプリで、何とかお店に辿り着く。
娘が帰省の度に自慢していたとおり、確かにレコードもCDも品数は豊富であった。あれこれ見ているうちに、「おお、こんなCDが出ているのか」と思わず手に取ったのは、クリストファー・ホワイトなる編曲者兼演奏者による、マーラーの交響曲第10番(デリック・クック編曲の全曲版)のピアノ演奏のCDであった。
せっかく娘の働くお店に来たのだからという気持ちも手伝って、すかさずそのCDを買い求めることにした。
マーラーの交響曲をピアノ演奏したCDは、これまでにも何枚か購入していた。
シルビア・ゼンカーとエヴェリンデ・トレンカーの2手のピアノ・デュオによる6番と7番。
ブリギッテ・ファスベンダー(アルト)とトマス・モーザー(テノール)、シプリアン・カツァリスのピアノによる「大地の歌」である。
ピアノ演奏盤のおもしろいところは、大オーケストラでは聴けない音が聴けることだ。
ピアノ版では、いっぺんにたくさんの音は出せないから、いきおい主要な音に限って編曲がなされるはずである。もちろん、どの音をチョイスするかというのは、編曲者の考えによるところが大きいのであろうが、その編曲者がどの音を曲の構成上主要な音としてとらえたか、というところがたいへんに興味深いところなのである。時に「おお、この場面はこの音だったのか」という発見をすることもあるのだ。
東京から帰って、件のCDを何度か繰り返し聴いてみたが、やはり何箇所か「新たな発見」があった。
例えば、第4楽章の終結部での打楽器群の音。こんな音程だったのかと、やや意外な感じであった。さらには、最後に叩かれるバスドラムの音。音程はないはずなのだけれど、低音の不協和音での演奏は何の違和感もなく聞こえたりした。
マーラーの交響曲第10番は、マーラーの遺作である。オーケストレーションまで全て完成されているのは第1楽章のみ。国際マーラー協会によるスコアの全集版でも、10番は第1楽章しか出版されていない。
作曲が始められたのは、マーラーの死の前年である1910年の7月。しかし、それから1年も経たないうちにマーラーはこの世を去ってしまう(1911年5月)。
10番については、略式総譜(4段ないし5段のもの)が全5楽章の最後まで書かれており、そのうちの第1楽章と第2楽章については、オーケストレーションを施した総譜の草稿が作られていたとのことだ。
第3楽章は、最初の30小節までオーケストレーションされていたが、第4楽章以降は略式総譜の各所に楽器指定が書き込んである程度だったという。
マーラーは、完成できなかったこの10番については、妻のアルマにスコアを焼却するよう言い残していたそうだが、アルマはその楽譜を形見として所持していた。
以後、その残された楽譜をめぐって、さまざまな人たちが全曲補筆完成に取り組むことになった。
○マーラーの死後10年以上が経過した1924年、妻のアルマが娘婿であるエルンスト・クルシェネクに10番の補筆完成を依頼、第1楽章と第3楽章が総譜に仕立てられ、同年ウィーン・フィルが初演。
○1946年、クリントン・カーペンターが補筆に着手し、3年後に全曲版が完成。
○1951年、ジョー・フィーラーが補筆に着手、翌年全曲版が完成。
○1959年、デリック・クックがマーラーの自筆楽譜を研究、翌年のマーラー生誕100年を記念して完成したクック版(全曲完成版)をフィルハーモニア管が初演。
○1963年、アルマが欠落していた部分のコピーを提供、翌年それを取り入れたクック版第2稿が完成。その後、クック版は第3稿まで改訂される。
○1983年、レーモ・マゼッティが補筆に着手、6年後に初演。
○2000年、ニコラ・サマーレとジュゼッペ・マッツーカによる版が完成、2001年にウィーン響が初演。
○2001年、ルドルフ・バルシャイによる補筆完成版の初演。
○2011年、イスラエルの指揮者ヨエル・ガンツーによる補筆完成版の初演。
現在、最もよく演奏される全曲版はクック版であろうか。発売されているCDのラインナップを見ても、クック版(第3稿)が圧倒的である。
その10番とは、どんな曲であろうか。
第1楽章:アダージョ
マーラーが自身で完成した楽章である。印象的なのは、クライマックスで長く鳴らされるトランペットのA音。まるで絶叫するかのように聞こえる。
第2楽章:スケルツォ
レントラー(南ドイツの民族舞踊)風の変拍子の楽章である。
第3楽章:プルガトリオ(煉獄)
第2楽章と、続く第4楽章の2つのスケルツォをつなぐような短い楽章である。マーラーの初期の歌曲集である「少年の魔法の角笛」からモチーフが引用されている。
第4楽章:スケルツォ
「悪魔が私と踊る」と作曲者自身が書き込みしているように、金管楽器の強烈なトリルで始まる。印象的なのは、バスドラムが静かに連打するコーダ。最後に、そのバスドラムが強烈な一打を鳴らす。アルマによれば、ニューヨークのホテルの一室でマーラーと共に見た葬列で叩かれた太鼓の記憶だそうだ。
第5楽章
前楽章から続いてバスドラムが連打される中、低音楽器が上昇音を鳴らす。やがてフルートのソロに導かれて、限りなく美しい旋律が奏でられる。盛り上がったところで打たれるバスドラム。
テンポが速められて下降動機が現れる。そうして第1楽章のトランペットのA音が再び響き渡る。曲は静まり、終結部へと向かってゆく。マーラーが「君のために生き!君のために死す!」と、その妻の名とともに書き込んだ部分である。マーラーの書いた音楽の中でも、とりわけ美しい旋律が奏でられる。
演奏は、どの版で演奏されているかということもあるが、個人的に好きなのはマゼッティ版を使用したレナード・スラトキン指揮、セントルイス響によるCDである。
マゼッティ版は、クック版よりも厚めのオーケストレーションが特徴と言われているが、スラトキンの演奏は特に弦楽器をよく鳴らした名演である。
マーラーが完成していない楽曲を、補筆完成したものはどうなのかという議論もあろう。
でも、補筆完成版があるおかげで、マーラーが生涯の最後にたとえようもない美しい音楽を残してくれたということを知ることができる。
それはそれで、聴く者にとっては十分に幸せなことなのである。