スーさん、亡き人について語る

8月28日(水)

気がつけば、今日が夏休み最後の日。
今年の夏休みもいろいろなことがあった。
いちばんのできごとは、家内の母が亡くなったことである。

昨年の11月、デイケアからの帰りに転倒して大腿骨を骨折、手術は成功したものの、その後のリハビリははかどらないままに介護老人保健施設へ入所、車椅子の生活となり、思うように身体が動かせない状態が続いていた。
仕事が休みのときには毎回様子を見に行っていた家内の話によれば、痛い痛いと訴えられるのだけれど、どうしてやることもできないので、見ていて辛いとのことだった。

今月に入って、感染症の治療のため総合病院へ転院していたが、異常とも思える猛暑日の続いたお盆前の9日、肺炎に罹って高熱を出した。幸いなことに、翌日には熱は下がったとのことだったので、11日の午後に家内が父親を伴って見舞いに訪れた。父親が声をかけると、まるで安心したかのように、そこから呼吸が止まってしまったとのことだった。
家内からのメールで、すぐに病院に駆けつけたものの、病室を訪れたときには、既に帰らぬ人となっていた。

悲しみに浸る余裕もなく、家内の姉夫婦とともに、葬祭センターと慌ただしく葬儀の段取りを進めていった。
亡くなったからといって、すぐに通夜や葬儀ができるわけではない。会場の空き状況などを見ながら、葬祭の日程を決めることになり、葬儀は神式、通夜祭は14日、神葬祭が15日ということになった。
実は、翌12日から3日間、県外チームが浜松に参集して例年開催されている研修大会が予定されていた。通夜祭は、大会最終日である。まるで、義母が「しょうがないねえ」と言ってくれているような気がした。

義母については、忘れらない思い出がある。そのことを記して、義母へのせめてもの追弔の辞にしたいと思う。

家内と知り合うことになったきっかけは、転勤してソフトテニス部の顧問になった際、前任の顧問の先生から、「ウチの家内の妹と会ってみないか」と誘われたことだった。
実際に会って話をしてみると、よく人の話を聞いてくれるいい人だなあと感じた。
しかし、その後しばらくして、相方は二人姉妹で姉は既に嫁入りをしていることから、結婚をするならば、できれば婿養子として迎えたいという意向であることを知らされた。
自分としては、別に婿養子でも構わないと思っていたのだが、そのことを自分の両親に話すと、確かにわが家は大した家系ではないが長男を養子に出すことはできない、と言われた。
仕方がないので、その旨を相方に伝えた。
それきり、この話はご破算になってしまった。

それからしばらくして、いつものように部活動の練習をしていたある日曜日、テニスコートにひょっこり義母があらわれた。
びっくりして、「どうしました?」と尋ねると、「先生、いまどなたかとお付き合いされています?」と聞かれたので、「いえ、ご覧のとおり部活動してます」と答えると、「よろしければ、もう一度ウチの娘とお付き合いしていただけますか?」と言われた。
咄嗟のことで、「でも、婿養子は無理だと思うんですけど」と答えると、「いえ、もうその話はいいんです」とのことだった。
どうやら、それまでに家庭内でいろいろと話し合われた末のことだろうと推察された。
すぐに、「こちらこそ、よろしくお願いします」と答えた。

そうして、今の家内と結婚した。
娘が生まれた。
娘は、典型的な「おばあちゃん子」だった。生まれたときから、たいそうかわいがってくれたのである。
あの日、義母がテニスコートに来なかったら、今の家内と結婚することもなかったし、娘が生まれてくることもなかった。
義母がご縁を紡いでくれたのである。

神葬祭が終わった週末の土日には、家内と京都へ行く予定にしていた。土曜日の午後から、大学のクラブのOB有志の会で、貴船の川床料理を楽しむことになっていたのである。でも、どうせ行くのならと、家内が葬祭の休みを取っていたこともあって、16日の金曜日から思い立って京都へ行くことにした。ちょうどその日が京都五山の送り火の日だったからである。
前日に神葬祭を終えたばかりの義母の霊を、五山の送り火とともに見送ることができればとの思いだった。

京都への往還の道すがら、車内で聴く音楽は、レクイエムとミサ曲だった。

①ドボルザーク「スターバト・マーテル」(ラファエル・クーベリック指揮、バイエルン放送響)
「悲しみの聖母」と呼ばれるミサ曲。わが子キリストの死を悲しむ聖母の姿が描かれる。第7曲がとりわけ美しい。

②ヤナーチェック「グラゴル・ミサ」(チャールズ・マッケラス指揮、チェコ・フィル)
レクイエムではないためか、いきなり金管のファンファーレから始まる。「グラゴル」とは、スラブ人が使った最古の文字という意味で、教会スラブ語の典礼文に曲付けされたのだそうだ。
特に、独唱・合唱・オーケストラの掛け合いが見事な第3曲「スラヴァ」(栄光の賛歌)は聴きものである。
この曲を聴いているうちに、死者を悼むというのは、悲しむだけではないということをあらためて実感させられた。

③フォーレ「レクイエム」(カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、フィルハーモニア管)
個人的には、レクエムといえばこの曲が定番である。

④カール・ジェンキンス「レクイエム」(カール・ジェンキンス指揮、西カザフスタン・フィル)
ロックバンド「ソフト・マシーン」に参加していたカール・ジェンキンスによるソロ・プロジェクト第6作。日本の俳句なども取り入れた新鮮な曲作りが印象的である。
中でも、ラテン語の歌詞で歌われる合唱曲の第5曲「Confutatis」。
“呪われた者たちが罰せられ
激しい炎に飲み込まれるとき
選ばれたものの一人として私を招きたまえ。
灰のように砕かれた心もて
ひざまずき、ひれ伏して願い奉る。
私の終わりの時をはからいたまえ。”
思わず頭を垂れて祈りを捧げたくなるような、心洗われる名曲である。

京都五山の送り火の夜は、たいそうな人出だった。
京都に住まう友人であるN氏と、ちょうど送り火が点火される時間近くまで久闊を叙し、人と車で混み合う三条大橋に出て大文字を探した。
と、人混みと建物の間から、「大」の字をはっきりと見ることができた。
亡き義母の御霊を無事に送り出せたような気がした。