スーさん、矢代秋雄を語る

4月9日(火)

今日は矢代秋雄の命日である。

矢代秋雄(1929年9月10日~1976年4月9日)は、昭和の日本を代表する作曲家である。
“若い頃より英才として将来を期待され、東京音楽学校作曲科、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学。和声法で一等賞を得る等、優秀な成績を修めて卒業。
晩年は、作曲家として活動する一方、東京藝術大学音楽学部作曲科の主任教授として、後進の指導にあたった。門下より、野田暉行、池辺晋一郎、西村朗など現在の日本を代表する作曲家を輩出している。
完璧主義、寡作主義で知られ、残された作品はどれも完成度が高く、再演も多い。”(@Wikipedia)

寡作主義とのことだが、確かに彼が生涯に作曲したのは全部で26曲。厳しい自己批判によって廃棄された作品が多かったことと、わずか47歳で生涯を閉じたことも与ってのことであろう。
その26曲の内訳は、以下のとおりである。
○交響曲1
○管弦楽曲1
○吹奏楽曲2
○協奏曲3(ピアノ2、チェロ1)
○室内楽曲6
○ピアノ曲11
○歌曲2

今回は、その中からピアノ協奏曲(1967年)を取り上げてみたい。
矢代は、ピアノ協奏曲を2曲作った。最初のピアノ協奏曲は、1948年に金子登指揮、東京音楽学校管弦楽部により初演され、ピアニストの園田高弘に献呈されている。しかし、この曲は生前には出版されなかった。
彼の名を一躍高めたのは、NHKから文部省芸術祭のために委嘱され、1964年から作曲が始められて1967年に完成して初演された2番目のピアノ協奏曲である。

第1楽章。ピアノの独奏で、変拍子の印象的な主題提示から始まる。
第2主題はピアノのアルペジオに乗ってフルートが奏する。この第2主題が提示された後のピアノのモノローグは印象的である。そのモノローグをオーケストラが受け継いでクライマックスを作ると、ピアノのカデンツァが入ってくる。
展開部は、提示部の主題が変奏されながら緊張感のある雰囲気が醸し出される。その緊張感を維持しつつ、冒頭の第1主題が再現され第1楽章が終わる。

第2楽章。雨だれのようなハ音のオスティナート。このオスティナートがこの楽章を最後まで支配する。それはまるで、何かが近づいてくる足音のようでもある。
だんだんとクレシェンドしながら「それ」は近づいてくる。何かのイメージが浮かぶような気もするのだが、それはとりとめのないイメージである。何だろうと思っているうちに、「それ」は遠ざかってゆく。

第3楽章。ピアノの動きのあるパッセージによって始まり、その楽想が自由に変奏されながらオーケストラにも受け継がれて曲が進行する。時折り、第1楽章冒頭主題が思い出したかのように顔を出す。
さらに動きのあるパッセージは変奏され、オーケストラと掛け合いながらクライマックスを作って曲が閉じられる。

この曲を聴いたことのない人に、誰が作曲したのかと問えば、バルトークやストラヴィンスキーなどの名前が挙げる人もいるかもしれない。それほどに(そうした偉大な作曲家の作品と見紛うほどに)、このピアノ協奏曲は佳曲である。
まず、曲の始まりに聴ける主題が印象的である。これは、名曲となり得る第一の条件と言ってもよいであろう。
それから、構成が緻密である。「次は?」と思わず耳を澄ませて続く楽想を聴きたくなるのである。これは、曲を繰り返し聴くことにつながるし、その繰り返しに耐えるものを担保している。
さらには、第2楽章の繰り返されるオスティナートのように、思い切った手法が使われていること。これは、意表をつくという目的で使用されれば陳腐に堕するが、必要に迫られての使用は深い印象を残す。このオスティナートは、正しく後者である。

とりわけ日本風の旋律を使用したというわけでもない。日本の伝統楽器を使っているわけでもない。むしろ、矢代はそういうことを意図的に避けたのではないか。「いかにも日本的」などという賛辞は、彼には必要なかったのだ。
彼はただ、自分が好きで好きでたまらない、そこから多くの恩恵を受けたであろう西洋古典音楽の作曲技法に忠実に則って、その歴史と伝統を受け継ぐ作品を作りたかったのだ。「日本的」などというレッテルは、逆に貼ってほしくはなかったに違いない。それは、このピアノ協奏曲が、第1楽章はソナタ形式、第3楽章はロンド形式という「枠」の中で書かれていることからも想像される。
例えて言うなら、英語で書かれた小説が好きで好きでたまらない日本人が、実際に英語で小説を書いてみたところ、実際に英語圏で書かれた傑作小説とも肩を並べる程の出来栄えであった、というところであろうか。

演奏は、初演者である中村紘子のピアノ、岩城宏之指揮、N響のレコード。初演の翌年に世田谷区民会館で録音されたものである。
初演の感動をそのままに残した感動的な演奏だが、残響の少ない録音は多少なりとも気になるところである。

もう少しいい録音が聴きたいとCDを検索してみたのだが、残念ながらこれだけの名曲であるのにCDはそう多く発売されてはいない。
あれこれ探しているうちに、NAXOSのレーベルから交響曲とのカップリングで出ているものを見つけた。さっそくネットで注文して聴いてみた。岡田博美のピアノ、湯浅卓雄指揮、アルスター管による演奏である。当然のことだが、オケが変わると受ける印象も違うものである。初めてこの曲を聴くような感じがして、たいへんに新鮮であった。

このピアノ協奏曲が初演されたのは、西洋音楽を日本人が学び始めてちょうど100年が経過した年である。その1世紀に亘った西洋音楽修得の精華を、矢代秋雄は西洋音楽への満腔の敬意と感謝を込めて作曲した。
そんな日本が世界に誇るべきピアノ協奏曲を、彼の37回忌にじっくりと聴く。