10月11日(木)
今日はブルックナーの命日。
個人的にはブルックナーの最高傑作と信じる、交響曲第8番を聴くことにしよう。
ブルックナーが、その主たる作品である交響曲の作曲を始めたのは39歳になってからだから、ずいぶん遅咲きの作曲家と言える。
初めのうちは酷評された曲もあったが、次第に作曲の技法も深め、7番の成功によって自信を得たブルックナーが、満を持して作曲に取りかかったのがこの8番のシンフォニーだった。
ブルックナー60歳のときである。
自信の程は、例えば、第3楽章に初めてハープを使用したということにもあらわれているように思う。もはやブルックナーは、周囲の批評などを気にすることなく、自身の心の命ずるままにオーケストレーションを施し、どうしても必要とされる音色を響かせただけでなく、優れた主題法、対位法も駆使して、自らが表現したかったことを追求したのである。
そんな、「自分の思いの丈をすべて表現した」と思われるところが、この交響曲の最高傑作たる所以であると思う。
ブルックナーの「思いの丈」とは何であったろう。
それは、人がこの世に生きていくということの哀しみである。
人は死にゆく存在である。どんなにうれしいこと、楽しいこと、心ときめかすこと、感動することなどがあっても、いつかはこの世に別れを告げなければならない。不条理であるとは思うけれども、それをどうすることもできない。となれば、心を澄ませ、粛々とその事実を受け入れていくしかないのである。
そうは思うのだが、目の前の美しい自然、人とのふれあいが、死によって断ち切られてしまう哀しみがどうしても伴う。
そんな哀しみが、この8番のシンフォニーの全て楽章の随所に鳴っている。美しい主題と和音で。
第1楽章は、ブルックナーに特徴的な弦楽器のトレモロで始まる。
少しずつ何かが近づいてくるような16分音符と複付点4分音符による主題が低弦を中心に奏される。この主題は、その後全楽章を支配する。
展開部の最後では、ブルックナーが「死の告知」と呼んだハ音の繰り返しが、ホルンによって斉奏される。
人間にとって死は避け得ざるものというのが、この楽章の主題であろうか。
コーダでは、冒頭の主題が静かに奏されてこの楽章を閉じる。このコーダを、ブルックナー自身は「諦め」と呼んでいる。
第2楽章は、ホルンと弦楽器の掛け合いで始まるスケルツォである。
ブルックナー自身が「ドイツの野人」と名付けた主題が弦楽器群によって奏される。4分の3拍子だが、まるで8分の6拍子のように聞こえるリズミカルな主題である。
中間部を挟んで何度も繰り返されるこの主題を聞いていると、「野人=鈍重な田舎者」でも自信を持って生きているという気概が感じられる。でも、どこか少し哀しげではある。
第3楽章は、壮大なアダージョ。
ブルックナーには珍しいハープが使用され、天国的な雰囲気を醸し出す。そのハープが入るところで奏でられる弦楽器には、その一音一音に魂が清められて高みに上っていくような感じがする。
白眉は、ホルンと弦楽器にワグナーテューバが加わって、互いに対話するように始まるコーダだ。
「これでいいのか?」、「いいのだ」、「そうか、これでいいんだな」と、納得しながら静かに安息の境地に入っていくかのようだ。荘重なアダージョを締めくくるに相応しいすばらしいコーダである。
第4楽章は、弦楽器の力強い伴奏から、ブルックナーによれば「弦楽器はコサックの進軍、金管楽器は軍楽隊、トランペットは皇帝陛下とツァールが会見する時のファンファーレを示す」主題が、金管楽器によって奏でられる。
でも、何と言っても美しいのはジグザクの音形で始まる第3主題からである。ここでブルックナーは、自身の思いの丈を思い切り表現しているような印象を受ける。激情がほとばしり出ている感じがするのである。
その激情は、しかし、求めて得られぬ哀しみに満ちた激情である。
最後は、第4楽章冒頭の進軍のファンファーレが何度も繰り返され、哀しみを乗り越えて生きていく決意を自らに言い聞かせるようにして、力強く全曲を閉じる。
初めてこの交響曲を聴いたのは、ジョージ・セル指揮、クリーブランド管弦楽団による2枚組のレコードであった。
セルによって徹底的に鍛え抜かれたクリーブランド管の透明なアンサンブルが、このブルックナーの「響きが濁りやすくなる」といわれる和声をくっきりと際立たせて聴かせてくれる。名盤である。
このレコード、一面グレーの背景に三日月が出ているジャケットがとても印象的だった。
CDは、何と言ってもカール・ベーム、ウィーン・フィルの演奏。これもほんとうにすばらしい演奏である!
70年代の、円熟の極みにあったベームとウィーン・フィルの団員一人一人の気合が伝わってくる。とにかく、オケがよく鳴っている。
ベームのブルックナー(3,4,7,8番)は、どう評価されているのか寡聞にして知らないが、個人的にはどれもたいへんにいい演奏であると思う。
ブルックナーの交響曲には、作曲者自身が何度も改訂を行ったということもあって、版の問題が付きものである。
“第二次世界大戦後、国際ブルックナー協会はレオポルト・ノヴァークに校訂をさせた。ブルックナーの創作形態をすべて出版することを目指しているとされる。ハースが既に校訂した曲もすべて校訂をやりなおし、あらためて出版した。これらを「第2次全集版」または「ノヴァーク版」と称している。交響曲第3番・第4番・第8番については早くから、改訂前後の譜面が別々に校訂・出版されており(第3番は三種)、その部分においてはハース版の問題点は解消されている。”(@Wikipedia)
どうやら、版の問題は問題にならないと言ってよいのであろう。
秋の夜長。ブルックナーの8番をしみじみと聴くのもよき哉よき哉。