スーさん、五嶋みどりを語る

9月28日(金)

かつては、日曜日の夜はNHKのEテレで「N響アワー」を視聴することが多かったのだが、番組が変わってからは、どうも司会者たちのおしゃべりが余分な感じがして、ほとんどその番組を見なくなっていた。
そんな日曜日の夜、何気なしにBSのチャンネルをザッピングしていたところ、「あ、五嶋みどりだ」とチャンネルを止めた。イントロの部分を見ただけで、「これは録画せねば!」と思い、すぐにリモコンの録画ボタンを押した。
BS朝日の「五嶋みどりがバッハを弾いた夏・2012」という番組だ。

五嶋みどりは世界的なヴァイオリニストである。
同じくヴァイオリニストであった母親から英才教育を受け、6歳で初ステージを踏む。10歳で渡米し、ジュリアード音楽院で学ぶ。
米国デビューは11歳のとき。ズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルとパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番第1楽章を「サプライズ・ゲスト」として協演した。

有名な「タングルウッドの奇跡」と言われるコンサートは、彼女が14歳のときだった。
“1986年、いまや語り草となった事件はボストン交響楽団と共演したタングルウッド音楽祭で起きた。
レナード・バーンスタインの指揮で、「セレナード」第5楽章を演奏中にヴァイオリンのE線が二度も切れるというアクシデントに見舞われた。当時みどりは3/4サイズのヴァイオリンを使用していたが、このトラブルによりコンサートマスターの4/4サイズのストラディヴァリウスに持ち替えて演奏を続けるも、再びE線が切れてしまう。二度目は副コンサートマスターのガダニーニを借りて、演奏を完遂した。これにはバーンスタインも彼女の前にかしずき、驚嘆と尊敬の意を表した。
翌日のニューヨーク・タイムズ紙には、「14歳の少女、タングルウッドをヴァイオリン3挺で征服」の見出しが一面トップに躍った。また、この時の様子は、「タングルウッドの奇跡」として、アメリカの小学校の教科書にも掲載された。”(@Wikipedia)
このときの映像は、YouTubeでも見ることができる。(http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=%E4%BA%94%E5%B6%8B%E3%81%BF%E3%81%A9%E3%82%8A&source=web&cd=3&cad=rja&ved=0CDYQtwIwAg&url=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3D04pXykKsO_k&ei=WupkUMaZHsWcmQX25YCwCA&usg=AFQjCNFoXmQCHSXypLFEsUKaxkXStO5VWg)

そんな彼女が、今年の夏、デビュー30周年を記念して日本各地を巡り、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」を演奏した。
バッハのこの曲は、ヴァイオリニストにとっては「聖典」と言われる。3曲ずつのソナタとパルティータで構成され、それぞれが4〜6楽章で構成されている。全体に重音奏法が多く、演奏は容易ではない。
ツアーにそんな曲を選んだということも、このツアーにかける彼女の並々ならぬ決意が表れているように思う。

さて、コンサート会場となったところは、なんと各地の教会や寺院や神社である。
最初の会場は、長崎県の五島列島にある青砂ヶ浦天主堂。五島列島では、生のクラシック音楽に触れる機会がほとんどない。そんな場所に世界的ヴァイオリニストが訪れると聞きつけて、数多くの島民が駆けつけた。
続いて、長崎の浦上天主堂。原爆の被害に遭ったマリア像の前での演奏である。
福岡は、太宰府天満宮。
そして、京都の舞台は国宝の西本願寺「対面所」だった。

前半のコンサート終えて、彼女はブログに以下のように書いた。
“行く先で所々雨に降られ、バッハに雨をはじめとする自然の音が加わり、独特の雰囲気のツアーとなっています。また、教会、神社、お寺では、様々な歴史やしきたり、作法などがあり、大変興味深いです。
歴史ある建物で演奏をさせていただいていますが、楽器と同じように、昔の人たちの細かい工夫には本当に驚きます。大きなお堂では遠くの方でも音が響く構造になっていたり、人間の視覚を利用した造りになっていたり、コンピューターに頼らずになされた先人の計算の正確さや繊細さに心休まる一瞬を感じました。
冷房のない会場がほとんどなので、楽器は湿気などが問題となる場合もありますが、案の定、人造的なものの要因による暑さや湿気にくらべ、自然な暑さや雨は楽器も好むようです。楽器には、ほとんど自然の材料が使われているのと、楽器の長い歴史からすると冷暖房があった時代はまだ楽器の生涯の上では短いからかもしれませんね。”(@「みどりのバックステージ」7月23日)
素人考えでは、楽器のピッチは湿気で微妙に狂うのではないかと思われるのだが、彼女はそれを「自然な暑さや雨は楽器も好むようです」と書く。

ツアーの前半が終わったところで、彼女のツアーでの様子が紹介される。
宿泊はごく普通のビジネスホテル。洗濯物は自分でコインランドリーへ。コンサート会場への移動はバスや電車などの公共交通機関。ステージドレスは基本的に変えない。楽器はもちろん自分で背負って運ぶ。
「世界的なヴァイオリニスト」からは、なかなか想像されにくい姿だ。
それは、彼女が「ヴァイオリニストとして生きていく」ということを決意した27歳のときから、高価なものを身にまとい、ぜいたくな食事をするというような、一般的なヴァイオリニストのイメージを振り払って、彼女が自分の理想とする音楽家像として、彼女自身が「その責任を自分で引き受ける」と選んだ道だった。

コンサートツアーの後半は、長野県の善光寺、日光東照宮、世界遺産に指定された中尊寺、そしてツアー最後の函館カトリック元町教会と続く。
コンサートは、一部の会場を除いてそのほとんどが無料であった。入場希望者は、往復はがきで応募して抽選された。
これは、彼女は早くから会貢献活動に関心を持ち、実際に非営利団体である「みどり教育財団」などを設立したことと無関係ではあるまい。
実際、東日本大震災の2ヶ月後には被災地を訪れ、避難所の人たちの前でバッハの「無伴奏」を演奏している。音楽活動をしていたからこそできる活動をしたい、という彼女の強い願いのあらわれなのである。

そんな五嶋みどりが弾くバッハ。
残念ながら、番組ではそれぞれの曲の一部しか放送されなかったが、ソナタはどちらかと言えば厳格に、パルティータは自由にテンポを変えながら舞曲らしさを出しているというような印象であった。
しかし、これはあくまでテレビ画面を通しての印象である。
実際の演奏を、今回のツアーのどこの会場でもいいので聴けたなら、特に個人的には最も好きなパルティータ第2番第4楽章を聴けたなら、その感動はたぶん生涯忘れ得ぬものとなったであろう。
聴くことのかなわなかったこと、それ以前に、そんなコンサートがあったことすら知らなかったことが、ただひたすら悔やまれる。

デビュー30周年プロジェクトは、まだまだアメリカ、ヨーロッパと各地で予定されている。
“世界中で企画されている30周年プロジェクトの中でも、日本の今回のツアーは一番最初の大きなプロジェクトでした。この場をお借りして、ご協力くださった皆様に心より感謝申し上げます。
これから丸一年、世界各地で様々なプロジェクトが行われます。
今月末には大学が始まりますが、それまではほとんどドイツにいます。涼しいといいな、と思いつつ、夏が終わるのは寂しい気もします。
次回は12月にミュージック・シェアリングのICEPの活動で来日します。
まだまだ暑い日が続くと思いますので、どうぞ皆様熱中症などに気をつけてご自愛ください。”(「みどりのバックステージ」8月4日)

五嶋みどりは「求道の人」である。
彼女のような日本人がいることを心から誇りに思う。