7月18日(水)
今年の海の日は、名古屋の愛知県芸術劇場大ホールへ。
名古屋マーラー音楽祭の最後を飾るマーラーの交響曲第8番「千人の交響曲」を聴くためである。
名古屋マーラー音楽祭とは、
“グスタフ・マーラーの没後100年にあたる2011年に、マーラーの全交響曲を名古屋を中心に活動するアマチュア・オーケストラ団体が連帯し、作品によっては合唱団の協力を得て演奏される”
音楽祭のことで、
“マーラーの記念年にあたり、各プロオーケストラもマーラー作品を取り上げるだろうが、その全交響曲をアマチュア・オーケストラ団体の統一企画により、合唱団体の協力によって演奏されることは、名古屋の音楽文化の活力を示す画期的音楽祭”(@名古屋マーラー音楽祭運営委員会運営委員長 藤井知昭氏)
として、昨年1月の第1回「さすらう若人の歌」から始まって、毎月1回ずつ、8番を除く全交響曲が演奏されてきたという経緯を持つ。
それぞれの演奏会は、毎回異なったオーケストラが担当してきたが、最後はそれらのオーケストラからの選抜メンバーに合唱団を加えた編成で、8番を合同演奏することになっていたのである。
2年間にわたって、全てアマチュアのオーケストラで、マーラーの交響曲全曲を演奏するという、何よりその心意気を多としたい。
実際には様々な困難もあったと想像されるが、何とか最後の8番まで漕ぎ着けたというのは、演奏者の並々ならぬ熱意と、それをサポートしたスタッフの支えがあってこそのことだと思う。
個人的には、聴きに行こうと思っていた演奏会もあったのだが、残念ながら日程が合わず、集大成とも言うべき今回の8番だけは何があってもチケットを購入し、少しでも音楽祭の一助となればと思っていた。
マーラーの8番は、その副題が示しているように、オーケストラ(バンダのトランペットとトロンボーンを含む)に、8人の独唱者、混声四部合唱団2セットと児童合唱を加えた、文字通り約千人の演奏者によって演奏される大交響曲である。
この曲についてマーラーは、ウィレム・メンゲルベルクに宛てた手紙で以下のように書いている。
“「これまでに作曲した中でもっともすぐれた作品だ。内容においても形式においても非常にユニークで他に例を見ない。宇宙が音楽を奏で始める場面を想像して欲しい。その音楽はもはや人間の声ではなく、軌道を巡っている惑星や恒星のようなものだ。」”(『マーラー 交響曲のすべて』コンスタンティン・フローロス、前島良雄・前島真理訳、藤原書店)
マーラーには自信があったのである。
「宇宙が音楽を奏でる」のであるから、当然演奏者も宇宙的規模でなければならないということなのだろうか。とにかく、マーラーの全作品中、最大規模の曲であるばかりでなく、音楽的にも集大成的位置づけを持つ作品とされている。
初演は、1910年9月12日~13日。マーラー自身の指揮で、ミュンヘンにて行われた。
以下は、そのときの様子である。
“初演時には出演者1030人を数え、文字どおり「千人の」交響曲となった。内訳は、指揮者マーラー、管弦楽171名、独唱者8名、合唱団850名。管弦楽はカイム管弦楽団(ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の前身)。合唱団には音楽祭に参加していたウィーン楽友協会合唱団250名、リーデル協会合唱団250名に、ミュンヘン中央歌唱学校の児童350名が加わった。(…)
初演は鳴り物入りで予告・宣伝され、12日、13日ともに3000枚の切符が初演2週間前には売り切れた。演奏会には各国から文化人らが集まり、演奏後は喝采が30分間続いたという。”(@Wikipedia)
大成功を収めたのだ。
このように書かれていると、レコードではなく、どうしてもその実際の千人による演奏を聴いてみたいと誰しも思ってしまうのではないか。
自分の場合は、高校3年生のときに読んだ音楽雑誌の記事がきっかけだった。その音楽雑誌とは、今も刊行されている『音楽現代』(芸術現代社)である。
自分がマーラーを聴き始めた70年代には、マーラーの交響曲のレコードは今のようにはたくさん出ていなかった。入手可能な指揮者としては、わずかにバーンスタイン、ワルター、クーベリックを数えるくらいであった。
マーラーに関する著作も、そう多くはなかった。
そんな中、『音楽現代1975年3月号』が、マーラーの特集を組んだ。松下真一と大町陽一郎による対談(「マーラーはなぜ若者に聴かれるか」)に始まって、全ての交響曲の作品論とレコードが紹介されていたのである。それこそ、繰り返し繰り返し擦り切れるほどにむさぼり読んだ。
8番については、「大地を揺がす音の世界」と題して、大阪フィルハーモニー第100回定期演奏会を記念して1972年6月に行われた朝比奈隆指揮によるライブ演奏の模様を、音楽評論家の 相沢昭八郎氏が紹介されていた。
“私はあの日、大阪フェスティヴァル・ホールに湧き上がった、なんとも名状し難い叫びと、耳を聾するばかりの拍手を、今でもまざまざと思い出すことができる。本当に感激し、興奮してしまったら、日本人の口から「ブラボー!」という言葉は出ないのだということも、その時はじめて知った。合唱団からオーケストラまでが、指揮者朝比奈隆に惜しみなく拍手を送り、客席に三千人、ステージに千人、合わせて四千人の拍手と歓声がホールを振動させ、鳴り響いた。マーラーには、どうしても四〇段にも及ぶスコアの、大地をゆるがすような音の世界が必要だったのだ。いく度となく第八交響曲を聴いているうちに、彼の八番目のシンフォニーが《千人の交響曲》になった理由が、やっと解ったような気がしてきた。”(103頁)
爾来、いつかは実際の演奏を聴いてみたいと思いつつ、なかなか実際の演奏には触れる機会がないままに33年の月日が流れた。
ようやく宿念が叶ったのは、2008年4月、エリアフ・インバルの東京都交響楽団プリンシパル・コンダクター就任披露公演として、三夜にわたって行われた第8番の演奏会であった(そのときの詳しい様子については過去日記に記してあります。 http://nagaya.tatsuru.com/susan/2008/05/01_1028.html)。
どれほど感激したのかは、「もうこの世に思い残すことはない」と記したことでご想像いただけよう。
生涯忘れえぬ演奏会であった。
今回のマーラー音楽祭の8番も熱演であった。
さすがに大合唱団が後ろに控えていたためか、オケの、特に弦楽器はやや音量不足の感があったが、管楽器群はベルアップするなどして、よく鳴らしていたと思う。
独唱者は、総じて高レベルの歌を披露してくれていたが、特に第2ソプラノの小川里美さんのいかにも叙情的な声が印象に残った。
多くの合唱団員を舞台に乗せるために、通常はステージの後ろにある反響板を取ってしまった関係か、あるいは比較的ステージに近い座席だったからか、全体的に硬質の音色がやや気にはなった。
が、それとて指揮者井上道義のリードと、何よりアマオケとは言え、各楽団から選りすぐりのメンバーの熱演が帳消しにしていた。特に、バンダが入る第1部と第2部のフィナーレでは、舞台と一体となって溶け合った音色が、
いかにも宇宙的な響きを感じさせてくれた。
あらためて、このような音楽祭を企画、運営、演奏して多くの方々に敬意を表したい。
かように、8番は何と言っても実演に限るのであるが、そう度々8番の演奏会はあるものではない。となればCDかDVDでということになろうが、取り立てて誰の演奏ということもない。
自分がいちばん最初に買った8番のレコードは、バーンスタインがロンドン響を指揮した輸入盤であった。LP2枚組で箱入り、ジャケットには実際の演奏会の写真が使われていた。
レコードだと、第2部は途中で盤面を裏返したり、2枚目に入れ替えたりしないといけない。突然、音楽が途切れてしまうのである。そういう意味では、マーラーの8番を聴く者にとって、CDの出現は大きな朗報であった。
映像で忘れられないのは、サイモン・ラトルがナショナルユース管を指揮した2002年のプロムス。この8番もすばらしい盛り上がりだった。
やっぱり、8番は実演に限るのである。