6月19日(火)
前回はベートーヴェンのことを書いた。
近代指揮法の創始者とされるドイツのハンス・フォン・ビューローは、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスを「ドイツの3大B」と呼んだそうだが、ベートーヴェンのことを書いたとなると、残る二人のことも書かずばなるまい(などという必然性など何もないのであるが)。
で、今回はブラームスである。
取り上げる曲は、晩年の「ピアノのための6つの小品」(作品118)。
特に自分のような、知命を過ぎて老境を迎えんとする人間にとっては、同じような時期にブラームスが作曲したものとして、とても他人ごとのようにしては聴けない作品である。
この曲「6つの小品」を初めて聴いたのは、娘の高校時代のピアノの恩師一門の演奏会でのことであった。娘よりも年上の青年が、この6つの小品から何曲かを選んで弾いてくれたのである。
思わず瞑目して聴き入ってしまったのは、有名な第2曲の「間奏曲」であった。
すぐにこの曲の入ったCDを買い求めた。
1992年にレコード・アカデミー賞を受賞した、アファナシエフの「ブラームス:後期ピアノ作品集」である。http://www.hmv.co.jp/product/detail/127285
この「6つの小品」は、シューマンの妻であったクララ・シューマンに献呈されている。
ブラームスとクララについては、Wikipediaに以下のような記述がある。
“ブラームスは14歳年上のシューマンの妻クララと知り合い、1854年のシューマンの投身自殺未遂と2年後の死以降も、生涯に渡って親しく交流を続けることになった。1855年ごろのクララへの手紙の中で彼女のことを「君」と表現するなど、恋愛に近い関係になったと推測される時期もあったようだが、ブラームスが彼女と結婚することはなかった。”
実際に結婚こそしていないが、「恋愛に近い関係」だったのだ。
「6つの小品」が完成したのは1893年。ブラームスとクララが親しく交流するようになってから、40年近くの歳月が経っている。
「恋愛関係」にあったならば、そんなに長く交流が続くということはなかろう。ということは、互いに尊敬し合い、相互扶助し合うようなよい関係を保ってきたのではないか。
しかし、そんな二人にも、老いは確実にやってきていた。
自らの死期がそう遠くはないかもしれないということを悟ったブラームスは、生涯の思い出であるクララとのことを回想しながら、これらの曲を書いたに違いない。
そんなことを思いながら、第2曲の「間奏曲(アンダンテ・テネラメンテ)」を聴いてみる。「テネラメンテ」とは、「愛情をもって優しく」と訳すのだそうだ。
その名のとおり、冒頭の主題からまず魅せられる。ゆっくり深呼吸するような始まり。昔の思い出を静かに語っているかのようだ。
そんな楽しい思い出も、ときに悔恨の情にとらわれてしまうこともある。60歳を迎えれば、誰しもそんな後悔の一つや二つはあるはずだ。ああ、あのときもっとこうすればよかったと、誰に詫びるでもないそんな悲しさが漂う中間部。
そうして、もう一度冒頭の主題が戻ってくる。静かな諦観。
これは、まちがいなくブラームスのクララへの「ラブレター」である!
ブラームスは、60歳になってようやく「私はあなたのことを心から愛しています」と、74歳のクララに告白したのである。
ブラームスがこの「6つの小品」を完成してから3年後、クララはこの世を去る。
“ブラームスはクララの危篤の報を受け取り汽車に飛び乗ったが、間違えて各駅停車の列車に乗ったために遠回りとなり葬儀に立ち会えず、ボンにある夫ロベルト・シューマンの墓へ埋葬される直前にやっと間に合い、閉じられた棺を垣間見ただけであったという。”(@Wikipedia)
ブラームスは、クララの最後に立ち会うことはなかったのである。
「6つの小品」最後の第6曲は、そんなことを暗示しているかのような暗い曲である。
クララの亡くなった翌年、まるでその後を追うかのように、ブラームスも病気で亡くなる。
アファナシエフは、テンポをゆったりと取り、どちらかと言えばブラームスの宗教的境地を強調しているかのような演奏である。
でも、この「6つの小品」に限っては、もう少しロマンティックな面を強調したアプローチでよかったのではないか。
もちろん、演奏のレベルはとても高いのだろうけれど。
ブラームスはお好きですか?