スーさん、レクイエムについてひとこと

5月28日(月)

レクイエムとミサ曲の違いを知っている人は少なかろう。
Wikipediaの説明は、以下のとおりである。
“カトリック教会において、ミサは「感謝の祭儀」とも言いあらわされる。これは「イエス・キリストの死と復活を記念し、その復活の恵みに与る、喜びに満ちた感謝の祭儀」である(…)ミサ曲の特殊な形としてレクイエムがある。レクイエムは、「死者のためのミサ曲」あるいは「鎮魂ミサ曲」などと訳され、死者ミサの入祭唱の冒頭句から取られた名称である。”
どうやら、キリストの死と復活を喜び感謝するのが「ミサ」で、「ミサ曲」はその際に歌われる声楽曲、死者を鎮魂するのが「レクイエム」ということらしい。

レクイエムといえば、まずいちばんに挙げられるのはモーツァルトのものであろう。中には、ヴェルディやベルリオーズ、はたまたブラームスの「ドイツ・レクイエム」を挙げられる方もあろう。
でも、自分の場合はフォーレである。
この世に、こんなにも美しい曲は、そう何曲もあるものではない。
もちろん、自分はキリスト教徒ではない。ミサにも参加したことはないし、実際に教会でレクイエムを聴いたことはない。
でも、このフォーレのレクイエムを聴いていると、自然に心が浄化されて、思わず祈りの言葉が口をついて出てくるような気持ちになるのだ。

第1曲は「入祭唱とキリエ」。
死者の安息を願う厳かな始まりである。もしも教会で聴いていたなら、亡くなった人にまず祈りを捧げるというところであろうか。
第2曲、「奉献唱」。
第1曲の重々しい雰囲気を引き継いではいるが、中間部のバリトンが“Hostias et preces tibi , Domine”の歌詞を、弦楽器の伴奏をバックに全てA音で歌うところから、突然雰囲気が変わる。「死は嘆き悲しむものではない」ということを静かに諭されているような感じだ。そのバリトンの独唱が終わったところでオルガンが静かな和音で入ってくる。思わず瞑目して頭を垂れてしまう。
第3曲、「聖なるかな」。
弦とハープの分散和音に乗って、“Sanctus”と繰り返される四部合唱が入ってくる。はたして、これはほんとうに死者を悼む音楽なのかと疑ってしまうほどに、明るく清澄な音楽である。そうして、ホザンナ!(キリストのエルサレム入城の時に、それを迎えた群衆があげた歓呼の言葉)。感動的な音楽である。
第4曲、「ああ、イエズスよ」。
オルガン伴奏のソプラノの独唱。“sempiternam requiem”(永遠の安息を与え給え)と2回繰り返される静かな締めくくりが印象的である。
第5曲、「神の子羊」。
個人的には、この第5曲が「レクイエム」中の白眉だと思う。オルガンの和音と弦楽器の何か懐かしさを感じさせる伴奏がとても印象的だ。途中の転調を挟んで盛り上がるところもあるが、それも劇的なものではない。かと言って、諦観しているわけでもない。第1曲の冒頭部分が再現され、やや重々しい雰囲気にもなるのだが、再び懐かしさを感じさせる前奏が戻ってきて、温かな雰囲気のうちに締めくくられる。
第6曲、「われを許し給え」。
バリトンの独唱が暗い雰囲気を醸し出す。“Dies illa , dies irae”(怒りの日)、つまり最後の審判の日の部分は激しく歌われるが、再びバリトンのモノローグのような独唱で曲が閉じられる。そうして、次の終曲を準備するのだ。
第7曲、「楽園にて」
オルガンの分散和音に乗って、女声合唱がまるで天の高いところから聞こえてくるような清らかな歌声を響かせる。許されたあとには、楽園が待っているのである。

このフォーレのレクイエム、愛聴盤はアンドレ・クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団とエリザベート・ブラッスール合唱団を指揮して、1962年に録音したもの。独唱は、ソプラノがヴィットリア・デ・ロス・アンヘレス、バリトンはディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ。夙に名盤として評判の高いレコードである。
このレコードについては、音楽評論家の吉田秀和氏が以下のように書かれていた。
“このレコードをきいてみて、なるほど見事な演奏だと感心したことは事実だが、それと同時に、この名指揮者の剛気で、明快で、一点のごまかしもない棒の下では、たとえば<サンクトゥス>のような、あのハープの甘い響きをともないながら、合唱が、男声と女声で交誦しあう部分など、あまりにも「劇伴音楽」じみた、安手の音楽に聞こえてきはしないか?と言いたくなった。”(『世界の指揮者』ちくま文庫、78頁)
同時に、「この名品でのクリュイタンスの演奏で特に耳にとまるのは」として、第5曲のフィッシャー=ディスカウの独唱を、
“これまでの曲で慎重に避けられてきたドラマティックなクレッシェンドが音楽を土台からーしかし、ヴェルディの曲の場合のように、いかにもこれ見よがしの演劇的けばけばしさではなくて、もっと地下の深いところでーゆさぶるのである。”(同書)
と讃え、
“この率直で純粋な力強さ、クリュイタンスの指揮で、私にとって長く忘れられないものがあるとしたら、その一つはここかもしれないなと、私はこのレコードをききながら考えたものである”(同書)
と記している。
そうして、
“こうかくと、お前は、やはり、この演奏に感心しているではないかと言われそうだが…。”と締めくくっている。もちろん、クリュイタンスのフォーレの「レクイエム」を高く評価していたのである。

そう書いた吉田秀和氏が、今月22日に亡くなられていたことを知った。享年98歳。
そうして、このレコードでバリトンを歌ったディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ氏も、今月18日に亡くなられた。享年86歳。
そのお二人を偲んでのフォーレの「レクイエム」である。

フォーレは1902年に次のような手紙を書いている。
「私のレクイエム……は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます。しかし、私には、死はそのように感じられるのであり、それは苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感に他なりません。」 (@Wikipedia)

慎んでご冥福をお祈りしたい。