スーさん、モーツァルトを語る

5月7日(月)

奈良のオーヤマさん(ご同業、ジャズがお好みだがクラシックにも詳しい)から、「モーツァルト、あんまり好きと違うでしょ?」と言われた。
今はそんなことはないので、「そんなことないよ」と答えておいたが、確かにそんなときもあったのは事実だ。
ワーグナーやマーラーやブルックナーなどの重厚な大管弦楽作品ばかりを聴いていた時期は、モーツァルトの音楽はどうも軽い感じがして、積極的に聴いてみようという気にならなかったのだ。

そんなモーツァルトの音楽への印象を一変させられたのは、大学3年生のときに受けた「芸術学特殊講義」だった。
講義をしてくださったのは、ゼミの恩師でもあった畑道也先生である。
題材は、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」の第1楽章。
3週に渡ったその講義は、今では詳細を忘れてしまっているが、すばらしい講義だったことが深い感動とともに心にしっかりと刻まれている。

そんな忘れがたい講義だったから、ひょっとして当時のテキストが残っているかもしれないと思い、実家の自分の部屋を物色してみたところ、オーケストラスコアをコピーしたテキストが出てきた。
そのテキストへの書き込みを見ると、どうやら楽式のアナリーゼを中心に進められた講義だったことが伺える。
テキストには、当時の畑先生の言葉が書き留められていた。
「休符による投げ出されは、意識的な断絶。それにより、自ら音楽に参加するという音楽的行為が生まれる」(第1主題第4小節の二分休符)
「前進する感じは、八分音符が基本になっているからである」(チェロ、コントラバス)
特に印象的だったのは、第1楽章最後3小節が、いわゆる「トニカ・ブロック」、つまり主調を強調して終わる完璧な「男性的終止」であると教えられたこと。
モーツァルトは決して「軽い」音楽ではなかったのだ!

テキストの最後には、これも畑先生の言葉と思われる以下のようなメモが残されていた。
「モチーフの多様さは、しかしソナタ形式の統一感を損なうものではない。」
「全く関係のないような楽節が、何らかの形で第1主題に結び付いている。これが私たちの精神に統一感を与えてくれる。常に関係づけながら聴くことを要求させられる。すなわち、ドラマを考えさせられる。」
モーツァルトの音楽にも、ドラマがあったのだ!

それでもまだ、身銭を切って高いLPレコードを買うほどモーツァルトが好きになったわけではなかった。
「リンツ」の初めてのLPレコードを購入したのは、たぶんそれから1年以上経ってからのことだったと思う。
「演奏の誕生」と題されて、ブルーノ・ワルターが録音用のオーケストラであるコロンビア交響楽団のリハーサルをしているレコードである。そのリハーサルをしている曲が、何と「リンツ」だったのだ!すぐに買い求めた。
これは、ほんとうにすばらしいレコードだった。

このリハーサルが録音されたのは1955年。ワルターは1876年の生まれだから、このときはすでに79歳だったはずだ。
でも、とてもそんな年齢は感じさせない、きびきびとしたリハーサルである。
開放弦を使わせない細かなボウイングを指示しつつ、テヌートとスタッカートの対照を際立たせる。かと思えば、まるで演歌を歌うように小節の効いたレガートを要求する。
でも、リハーサルのあらゆる場面を通じて発せられていたのは、“Sing!”、“Sing out!”、“espressivo!”という言葉だった。そうして、自らも歌いながら指揮していたのだ。
そんなリハーサルから何よりもひしひしと伝わってきたのは、ワルターがいかにモーツァルトの音楽を愛しているかということだった。

ブルーノ・ワルターは、ご存知のとおりマーラーの弟子である。マーラーの死後、「大地の歌」と「交響曲第9番」は、彼の手によって初演された。
ワルターについては、この「リンツ」のリハーサルレコードを聴く前に、ウィーン・フィルを指揮して1952年に録音した「大地の歌」を愛聴していた。その演奏は、今でも自分の中では「大地の歌」のスタンダードとして位置付けられている。
そのワルターが、こんなにも楽しそうにモーツァルトを指揮している!それほどに、モーツァルトの音楽はすばらしいんだと思った。
ワルターが仰ぎ見ているものを、その演奏の愛好者である自分も自然と仰ぎ見るようになる。
まさしく、自分にとってはワルターがモーツァルト音楽への「先達」だったのだ。

家には「演奏の誕生」のモノラル録音盤しかなかったが、先日神戸に行った折り、三宮のタワレコで“Bruno Walter conducts Mozart”なる6枚組のCDを見つけた。その中に、1960年に再びコロ響と入れたステレオ録音版の「リンツ」も入っていた。さっそく聴いてみた。
畑先生の講義で聴いた「男性的終止」で終わる第1楽章。
ワルターの“Sing!”という声が聞こえてきそうな美しいポコ・アダージョの第2楽章。
楽しそうなワルツのリズムの第3楽章メヌエット。
そうして、ワルターが「モーツァルトの微笑です」と言いながらリハーサルしたテンポのいい第4楽章。
これはほんとうにとびきりの音楽である。

モーツァルトはあまり好きではないという方も、「リンツ」はぜひ一度聴いてほしい。できれば、ブルーノ・ワルター指揮の演奏で。
30分足らずのこのシンフォニーを聴いたあとは、少しだけ幸せな気分になっているご自分を発見することであろう。