スーさん、「謎」について語る。

5月1日(火)

「C.A.E.」と言えば?
ん?C.E.Oなら知ってるけど。
「H.D.S‐P.」は?
ハードディスクのスペシャル?
んじゃ、「R.B.T.」
ロボットだ!

ここまでの記号で、それが何の曲の一部かわかった人は、たぶんオーケストラ関係者の方たちであろう。
続けよう。

「W.M.B.」は?
ワールド・メジャー・ベースボール!
「R.P.A.」って?
ロシア共和国?
「Ysobel」はどうかな?
なんて発音すんの?

これならわかるだろう?「Nimrod」
ニムロッド!エニグマだ!

そう、エルガーのオーケストラ用変奏曲「エニグマ」のことだ。
第二次大戦中、ナチス・ドイツは用いていた暗号機に「エニグマ」と名付けたことでもおわかりのように、「エニグマ」とは「謎」のこと。それぞれの変奏曲すべてに、冒頭のような意味判別し難いアルファベットの記号や、固有名詞、さらにはアスタリスクだけというような副題が記されている。
それらは、すべて作曲者エルガーの親しい友人の頭文字やニックネームであることがわかっている。そんな親しい友人たちの捧げたこの曲が、エルガーの事実上の出世作となった。
エルガーと言えば、もはや英国の「第2国歌」とまで言われる中間部が置かれた「威風堂々」が有名だが、彼の作曲の中から1曲だけを選べと言われれば、躊躇なく「エニグマ」を選ぶであろう。
その理由の最たるものは、第9変奏「ニムロッド」が聴けるからだ。

「ニムロッド」を初めて聴いたのは、確かコリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団の来日公演をテレビで見ていた時だった。
メインは、ストラヴィンスキーの「火の鳥」だった(と思う)。そのアンコールで、サー・コリンの演奏したのが「ニムロッド」だったのだ。

弦楽器が、ゆっくりと上昇する音階に変形された主題を静かに奏でる。
その主題は、ときにためらいを見せつつも、ゆっくりゆっくり階段を踏みしめるように上昇していく。まるで山登りをしているかのように。
途中、見晴らしのいいところに出る。新緑の木々に囲まれて小さな池がある。心地よい風に吹かれながら、暫しの休息を取る。
再び頂上を目指して歩き始める。そうして、ようやくその山のいちばん高いところからの眺望を目にする。神々しささえ感じるその圧倒的な景観。

メインの「火の鳥」の印象が、どこかへぶっ飛んでしまった。
翌日、すぐにCDショップへと走って、「エニグマ」を探してみた。そのお店に置いてあったのは、サー・エードリアン・ボールトがロンドン交響楽団を指揮したものだった。迷わず購入して車のCDチェンジャーに入れ、それから職場への行き帰りに毎日飽きもせず聴いていた。

その曲を集中的に聴いた時期が、一年のうちでいつだったかということは、その曲と季節を結びつける重要な要素となる。
だから、その季節が巡ってくると自然に頭の中ではその曲が流れるということがある。
晩春から新緑へと向かうこの季節、薫る風の中に「ニムロッド」が聞こえる。

家には、先述のボールト盤の他に、バーンスタインがBBC交響楽団を指揮したもの、サイモン・ラトルがバーミンガム市響を指揮したものがある。どれも甲乙つけがたい名演奏ばかりである(あえて言うなら、ボールト盤は「任意」とスコアに記されたフィナーレのオルガンが聴こえないくらい)。
共通していることがある。どれも、エルガーの生国であるイギリスが関係している。ボールトとロンドン響、バーンスタイン盤はオケがBBC響、サイモン・ラトルもイギリスの生まれでバーミンガム市響。そう言えば、初めて聴いたときの指揮者、サー・コリンもイギリス人だった!

別に、演奏者は作曲者と同国であることが望ましいなどと言うつもりはない。でも、たまたま初めて聴いたときの指揮者も、購入したものもそうだったというのは、偶然にしてはあまりにも符牒が合い過ぎているような気もする。
それだけイギリスのオケや指揮者絡みの録音が多いということなのだろうし、それはエルガーがそれだけ英国民に愛されているということにつながっていくのであろう。

国民たちがエルガーを愛したのは、「威風堂々」のような国民国家を代表するような曲を作ったからではなく、「エニグマ」のように自分の周囲にいる気のいい仲間たちのことを曲にしたからなのではないか。
「エニグマ」を聞くと、「彼らはほんとうに僕にとって大切な大切な人たちなんだ。」そうエルガーが言っている気がする。