4月5日(木)
年度末の東京小旅行のことを書いておきたい。
3月29日の夜は、サントリーホールにて、エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団によるマーラーの交響曲「大地の歌」の演奏会が予定されていた。
インバル・都響のコンビニよるマーラーは、今まで8番、3番、2番と聴いてきた。いずれも、名演と嘆賞するに相応しい演奏ばかりだった。
今度は「大地の歌」である。何を隠そう、自分は大学時代の卒論でマーラーの「大地の歌」を取り上げた。研究者などとはおこがましいが、そのスコアは細部にわたって調べた経験がある。
しかし、実際の演奏にはこれまで一度も接したことがなかった。それだけに、この演奏会には特別な思い入れを持って期待を膨らませていたのであった。
東京の宿を取る際、どこら辺りに投宿すればよろしいかと東京出身のスガイ先生に相談してみた。「せっかくなんで、ちょっと早めに東京へ行って、下町を散策したらいかがですか?」と言われた。そんなこと言われても、こちとらどこか東京の「下町」なのかも皆目わからない。「で、どの辺に泊まればいいの?」と尋ねると、日本橋辺りはどうかと勧められた。サントリーホールにも地下鉄の乗り換えなしで行けるらしい。
あれこれホテルを選ぶのも面倒だったので、以前神戸に宿泊した際に会員となった東横インがあるかどうか調べてみた。すぐに見つかった。日本橋人形町の東横インである。とりあえず、宿はここに決めた。
「で、どの辺りを散策したらいい?」と聞くと、モデルコースを教えてくれた。
まずは昼食を「元祖親子丼」の店「玉ひで」にて。昼食後は、甘酒横丁を通って、明治座〜隅田川の堤防沿いを歩いて両国橋から江戸東京博物館へ。相撲部屋などを見ながら清澄庭園〜水天宮でホテルへ戻る、というコースである。
教えられたコースをiPhoneのマップにブックマークし、中央区観光協会のHPはEvernoteにクリップして、お昼までには東京に到着できる予定で、プリウスは東名高速道を一路東京を目指したのであった。
用賀までは順調であったが、そこから首都高が渋滞していた。正午前には到着予定だったのだが、ホテルに着いたのは結局12時半を少し回ったくらいになった。
チェックインはできなかったが、車は駐車場に入れてくれたので、荷物だけを預けてすぐに「玉ひで」へ。地図を見ながら歩くと、どうやらそのお店と思しきところには既に行列ができていた。せっかく来たんだからと思って行列の最後尾に並ぼうとすると、店員さんらしいおばちゃんから「すみません、午後1時で終わりなんです」と言われてしまった。
かくなる上は、スガイくんにどこか知っているお店がないか聞いてみるしかない。すぐに電話をかけると、どうやらスガイくんもそれ以外のお店は考えていなかったとのこと。辺りを見回してみると、すぐ近くに「創業明治45年」という暖簾が見えた。小春軒という洋食のお店だった。自分はトンカツとビールを、家内はカツ丼を頼んだのだが、どうやらこのお店のカツ丼は有名だったらしい。何だか得した気分になった。
お昼を食べて元気になったので、そこから予定の散策コースへと出発した。
甘酒横丁は、実際に甘酒を売っているお店もあったが、どうやら明治座で観劇したりするお客さんがお弁当を買ったりするお店の多いことがわかった。
その明治座は、とてつもなく大きなビルだった。名前のとおりの古めかしい建物を想像していたので、ちょっとがっかりした。石川さゆりの大きなポスターが掲げられていた。
明治座から浜町公園を通リ抜けると、隅田川の川べりだ。ちょうど水上バスが通り過ぎていくところだった。堤防を河縁まで降りて両国橋方面へ。いい感じだ。
両国橋の袂まで行くと、何と「柳橋」という表示が見える。「え?まさか、あの『柳橋新誌』の?」と心が踊った。そうなのだ、かの成島柳北が著した『柳橋新誌』のまさにその場所だったのだ。その柳橋、かつての面影を残す小料理店があった。舟が係留されていた。ここだったんだ、と暫し感激に浸っていた。望外の喜びだった。
両国橋からは、遠く東京スカイツリーも望むことができた。絵になる場所である。ゆっくりと両国橋を渡ると、国技館が見える。目指すは、そのすぐ隣にある江戸東京博物館。それにしても、大きな建物である。広い階段を登ってチケット売り場へ。そこからさらにエスカレーターに乗って6階の常設展示室入口へ。
この博物館、外国人観光客のためのガイドさんも常駐していたりして、建物ばかりではなく展示物にもかなりお金がかけられていると感じさせられた。
博物館を出たあとは、両国橋ではなく、その南の新大橋を渡って帰ろうと思った。途中、回向院では鼠小僧次郎吉のお墓を拝み、本所松坂町公園は吉良邸跡であることを知り、「ここが討ち入りの場所かあ」などと感激しつつ、再び隅田川の堤防へ。考えてみれば、こちらは隅田川の東側だ。てことは、「墨東」ではないか!と思い出した。永井荷風の肖像が思い浮かんだ。
そのまま新大橋を渡って水天宮へ。ここは安産の神様だった。
だいぶん歩いたので、少し足が痛くなってしまった。そのままホテルへと戻ってチェックインを済ませ、シャワーを浴びて暫時休憩。
それにしても、予想外の発見の喜びがあった下町散策だった。
演奏会の開演は午後7時。娘とは開場の6時半にホール前で待ち合わせることにしていた。人形町の駅からは、地下鉄日比谷線にて神谷町駅まで。
駅を降りると、そこからサントリーホールまでの道がよくわからない。iPhoneのマップを片手に、サントリーホールへと向かう。困ったときのiPhoneである。
無事ホールへと到着し、程なく娘とも合流。そのまま客席へ。「少し遅くなります」とメールが入ったハットリくん夫妻ともホールにて合流した。「いやあ、楽しみですね!」とハットリくん。
インバルとともに、独奏者が入ってきた。あれ?「大地の歌」なのに、独唱者一人なの?と思っていたら、始まったのは「亡き子を偲ぶ歌」だった!プログラムをよく見ていなかったのだ。
マーラーの歌曲はとてもいい。オーケストレーションが絶妙である。特に、「リュッケルトの詩による5つの歌曲」はその白眉と言えよう。もちろん、この「亡き子を偲ぶ歌」とて、名曲であることに変わりはない。静かな感動を残して終曲の「真夜中に」が終わる。
20分間のインターミッションののち、いよいよ「大地の歌」だ。
インバルと独唱者が二人入場。第1曲は、ホルンのユニゾンで始まる「大地の哀愁を歌う歌」。テノールには、オーケストラの音量に負けない声量が要求される。それにしても、マーラーのオーケストレーションは見事だ。ちゃんとテノールの声が聞こえるように作曲されている。
続くアルトの第2曲「秋に寂しき者」は、第1曲とは対照的な静かな曲。中国風の音階が聞こえる第3曲、美しい第4曲、コミカルな第5曲を経て、最後の第6曲「告別」へ。
「大地の歌」は、この第6曲をもってそのフィナーレとなる。鐘のように響く低いハ音で始まり、静かにアルトの独唱が入ってくる。モノローグのような独唱を経て、オーケストラの長い間奏曲に入る。ここでのインバルのテンポはやや速め。そうしてマーラー自身の歌詞による終結部へ。娘の話によると、近くで聴いていた男の人は、マンドリンが入る最後の「永遠に…、永遠に…」の繰り返しに思わず感泣していたそうだが、それは自分とて同様であった。
静かにインバルのタクトが下ろされる。
いつまでも心の奥に余韻が残る、すばらしい演奏であった。
こんなにも心に残る演奏を、ほぼ満席の聴衆と共にできたことに深く感動した。
終演後は、私たち夫婦、ハットリくん夫妻、それに娘と娘の彼氏の6人でプチ宴会。なかなかお店が見つ からなかったが、何とか溜池山王駅近くの中華料理店を見つけて乾杯。
「インバルはまるで魔法使いのようでした」とは、初めてクラシックのコンサートを聴いたという娘の彼氏の弁。「フルートがうまかったあ」と娘。確かに、都響の木管群はかなりのレベルだった。そんなことを話題にしながら、赤坂の夜は更けていくのであった。
翌日は、「まだ行ったことない」という娘と昼前に待ち合わせて築地へ。
場外市場などを散策しながら、以前食べたことのある「かんの」にて海鮮丼をいただく。それにしても、平日だというのに、築地は歩くのも困難なほどの人出だった。
今回の東京小旅行で、だいぶん東京の地理的なことがわかってきた。また機会があれば来ようと思った。
そんな年度末を過ごして、新年度を迎えた。
新しい職員を迎え、職場も活気がある。
こんな新年度をあと何回迎えるのだろう。平成24年度が始まった。