1月31日(火)
気がつけば今日で1月も終わろうとしております。
たいへん遅くなりましたが、みなさま、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
いつもはほぼ週一のペースで日記を更新していたのだが、年明けとともに更新が滞ってしまった。
なんでだろう?
そうだ、インフルエンザに罹ったんだっけ。
あれは18日の水曜日。
朝は別に何ともなかった。ただ、その前夜くらいから咳がコンコンと出てはいた。「今日の夜は合気道のお稽古だから」と家内に言い残して出勤した。
午前中は授業を2コマ。ところが、お昼に近づくにつれ体がどよーんと重くなってきた。なんかヘンだと思ってお熱を計ってみた。7度6分だった。こりゃいかん、と思ってすぐに午後から休暇の申請をして帰宅。
着替えてコタツでうとうとしながら、3時ちょっと前に行きつけの内科医へ。受付で「熱あります?」と聞かれたので、「7度6分くらい…」と答えると、「じゃ、も一度計ってくださいね」と言われて計ると、38度を超えていた。「インフルエンザかもしれないですね」と言われ、すぐにベッドに誘導され、カーテンで囲われてしまった。
果たして、診断はインフルエンザA型だった。お医者さまからは、「タミフルと咳止め、鼻水止めと頓服を出しておきますね。でも、頓服はあまり飲まれない方が早く治ると思います。いずれにしても、今週いっぱいは職場にも行かないでくださいね。」と言われた。
熱で体が水分を欲していたのだろうか、帰りにスーパーマーケットで100%ジュース3本と、アルコール消毒液等を購入して帰宅。家内に感染させては申し訳ないので、インフルエンザと診断された旨メールを入れ、帰宅と同時に玄関のドアノブやらトイレのドアノブやらを念入りに消毒。いつものドライマンゴーとジュースを飲んで、すぐに処方どおりタミフルを服用してお布団に。
2時間ほど寝て熱を計ると、うれしや7度5分くらいに下がっていた。いやはや、タミフルの効能やよし。
またマンゴージュースなどを飲んでお布団へ。それにしてもよく寝られるものだ。2時間ほど寝て熱を計ると、今度は8度2分に上がっていた。タミフルの援軍が必要だと思った。家内が帰ってきたのは午後9時過ぎ。雑炊を作ってくれたのでそれを食べ、またタミフルを飲んでお布団へ。熱は8度をめぐって上がり下がりを繰り返していた。
明けて19日(木)。
まだ体のあちこちが痛んだ。熱は7度1分。だいぶん下がっていた。あまり寝てばかりだと腰が痛くなるので、起きてコタツで過ごすことにした。
こんなときこそ、いつもはなかなか読めない本を読もうとか思ったりもしたのだが、とてもそんな気にはならなかった。とにかく全体的に霧がかかったかのように頭がボーッとしているのだ。ふだんは見たこともないテレビの画面を見るとはなしに見て時間が過ぎていった。
気がつくとお昼近く。ちょうどうまい具合にと言っていいのだろうか、この日から家内は5連休だった。お昼を食べてタミフルを飲み熱を計ると、6度6分にまで下がっていた。でも、体はしんどかった。話をするのも億劫なほどだった。
午後も見るとはなしにテレビを見ていた。この時間帯に見ている人たちを想定しているからだろうか、どうも高齢者向けの保険やら入れ歯やらのCFばかりが目についた。
夕方、夕刊を取りにこの日初めて家の外に出た。雨が降っていた。部屋に戻るとケータイが鳴った。それから立て続けに4本の電話が入った。ふだんはほとんど電話などかかってはこないのに、こういうときに限って電話がかかってくるものなのだ。電話口の向こうでは、異口同音に「えーっ!インフルエンザなんですかあー?お大事にしてくださいねー」と言われた。そりゃあボクだってインフルエンザにかかるコトもあります。
前日はお風呂に入らなかったので、この日はゆっくりお風呂に入ってすぐに就寝。熱は7度以下に下がってきていた。
20日(金)。
ようやく平熱に戻った。体の痛みは多少残ってはいたが、だるさはなくなっていた。コタツに入って、iPadのFlipboardでGoogleReaderやTwitterをパラパラと見たり、テレビを見たりしていた。何となく、NHKの番組も民放化しているなあと思った。
夕方から、翌日の神戸・丸亀行きに備えて支度を始めた。前日まで封印していたビールも1缶飲んでみた。8割以上は復調したと実感した。
21日(土)。
この日は朝から神戸へ行く予定になっていた。
どういうことかというと、22日に、守さんのご紹介で四国の丸亀でTFTの講習会を受講することになっていて、初めは当日の朝に新幹線で行く予定にしていたのだが、娘もぜひ参加したいということで、ならば交通費が結構かかるから車で行こうかということになり、車だと時間がかかるから前日の土曜日に出発して神戸あたりで1泊してから行こうかという話になり、家内が「んじゃ芦屋のミツヤスさんとこで髪切ってもらおうかな~」と言うと、娘も「んじゃわたしももお~」ということなって、ミツヤスさんに連絡を入れたところ「午前11時か午後4時からなら何とかなります」とお返事をいただいたので、午前11時なら髪を切ってから時間あるから画伯の個展にも行けそうだねという話になって、娘とは当日午前11時にJR芦屋駅にて待ち合わせをして合流する手筈になっていたので、家内とともに何とか午前11時前に芦屋へ到着するよう浜松を出発したのであった。
要するに、丸亀への途中下車で神戸に前泊すること、ついては家内と娘はミツヤスさんとこで髪を切ってもらうこと、その間とーちゃんはバリのウブドツアー以来旧知となったSkype友だちフルタさん妹御と邂逅して妹御のミネソタツアーのおみやげ話を聞かせてもらうこと、画伯の個展には大阪駅に集合して歩いていくこと、夜は神戸でアオヤマさんオススメの中華料理店にて舌鼓を打つことが計画されたのであった。
道中、渋滞らしい渋滞もなく、予定どおり午前11時前にはミツヤスさんのお店に到着、歩いて芦屋駅まで娘を迎えに行き、自分はプリウスを宿舎のホテルに置かせてもらい、古田さん妹御と再会してお昼を一緒に食べながらあれこれ話を聞かせてもらい、それから大阪駅へと取って返して家内・娘と合流、iPhoneの地図を頼りに「番画廊」へ行って画伯の個展を鑑賞、再び神戸へ戻ってホテルにチェックインした後、アオヤマさんオススメの燕京にて中華料理の数々を3人で賞味したのであった。
もうインフルエンザは完全に雲散霧消していた。
22日(日)。
守さんからは11時半前には丸亀に来てくださいねと言われていたので、神戸を9時前に発つ。
垂水のJCから明石海峡大橋へ。もちろん渡るのは初めてである。壮大な橋を渡るのは何とも気持ちがいい。渡り終わった淡路ハイウェイオアシスにて記念撮影。前日の神戸は雨だったが、この日は朝から気持ちのいい青空が広がっていた。陽光がキラキラと反射する穏やかな瀬戸内海に架かる大橋は、いかにも見栄えがした。
気分がよくなって、そのまま淡路島を通過、大鳴門橋から四国に入る。
四国に入った途端、後ろの座先の娘が「四国の山って、ちょっと形が違うわよね」と言い始めた。確かに、「〇〇富士」と名付けたくなるような形のいい山が其処此処に見られた。
そのまま高松道を一路丸亀へ。
守さんとは、坂出ICを出たところで待ち合わせていたのだが、坂出JCとは違うだろうと思ってそこを取り過ぎてしまい、次の善通寺ICで降りて丸亀市内へ戻ることになった。守さんと連絡を取り合い、昼食場所近くで待ち合わせることにして合流、そのまま永楽亭へ。
何とも静かな永楽亭にていただいたものは、うどんではなかった。「え?まさか丸亀で?」というものをいただいた(何かはご想像にお任せいたします)。たいへんに上品な味であった。
昼食後、ホテルに車を置かせてもらい、そのまま歩いて講習会場である丸亀市民会館へ。
TFTについては、ご存じの方も多くいらっしゃるだろう。日本TFT協会のHPには、“TFTは、Thought Field Therapy のことで、日本語にすると「思考場療法」といいます。 米国心理学のパイオニアの一人であったロジャー・キャラハン博士が1970年代の終わりに発見し、発展させてきたもので、鍼のツボをタッピングすることで心理的問題の症状を改善させていくものです。”(http://www.jatft.org/introduction.html)とある。
講師は森川綾女先生。ひと通りの説明のあとで、実際にクライアントへの実践も見せていただいた。たいへんに興味深いものであった。
終わって夕方からは、その森川先生を囲んで、この日お休みだったお店を特別に開けていただいたという明水亭にて小宴。
みんなで鍋をつつきながら、あれこれ先生からお話を伺う。もちろん、最後のシメはうどん。「コシがあるのにモッチリしている!」とは娘の弁。
終わって、丸亀の名産品などを売っているショッピングセンターまで守さんにご案内いただき、職場への土産物等を購入してホテルへと戻る。守さんとはここでお別れとなった。
23日。月曜日ではあったが、この日はインフルエンザに関わりなく、以前から休暇申請を出していた。
浜松まで帰るだけなので、途中大阪に寄ってお昼を食べて帰ろうかということになっていた。娘は道頓堀を見たことがないと言っていたので、昼食は難波、できれば年末に行けなかった「銀平」でと考えていた。
再び、高松道、大鳴門橋、淡路島、明石海峡大橋を経て神戸へ。途中、阪神高速3号線が混んでいたので、5号湾岸線で大阪へ。難波近くのコインパーキングに車を停め、お目当ての「銀平」へ。もちろん、iPhoneのマップに導かれてである。
それにしても、「銀平」はちょうどお昼時であったにもかかわらず、落ち着いた静かなお店であった。もちろん、有名な鯛飯をいただきたかったのだが、それはまた次回のお楽しみということでお昼の定食をいただく。
満ち足りた気分で道頓堀へ。
「はり重」でお肉の佃煮を、りくろーおじさんの店で焼きたてのチーズケーキなどを購入して帰途に着く。
いやはや、おいしいものをたくさんいただいた3日間だった。
24日(火)。
この日は翌日からのスキー教室のために1年生はお昼前に出発式を行い、午後は帰宅して準備をすることになっていた。インフルエンザの流行も心配されたが、さほどに欠席者もなく、何とか行けそうな状況であった。
25日(水)。
職員の集合は午前6時。生徒の集合は6時50分。計7台のバスに分乗して、一路長野県のヘブンスそのはらスキー場を目指す。
中央道のトンネルを抜けると風景が一変して、まさに雪国だった。昼神ICを降りてスキー場へ。
ウェアを着替え、ブーツを履いた者からどんどんゴンドラに乗ってゲレンデへ。その間にインストラクターの責任者らと2日間の実習の打ち合わせを行う。
開校式を終える頃から雪がひどくなってきた。そのまま夕方の実習終了まで雪が降り止むことはなかった。
実習を終えて、この日の宿舎である昼神温泉のホテルへ。
大広間で250人超の生徒が夕食を食べるのはさすがに圧巻である。同時に、インフルエンザに罹患する生徒が出なければいいのだがと心配だった。
26日(木)。
前日の雪混じりの天気とは打って変わって晴天が広がっていた。心配されたインフルエンザと思しき生徒もなく、ゲレンデは青空に新雪が眩しく輝いていた。
前日は実習の途中で気分の悪くなる生徒も出ていたのだが、この日はリタイアする生徒もなく、予定どおり実習を行うことができた。
閉校式を済ませてスキー場を出発したのが午後3時過ぎ。浜松着は午後6時前。とにかく無事に終わってほっとした。
27日(金)。
勤務の割り振りの関係で、出勤は午前11時。生徒の方はやや欠席者が目立った。疲れていたのだろう。しかし、インフルエンザ罹患生徒が一気に増えていたのが気になった。
28日(土)。
この日は部活動でソフトテニスの1年生大会(団体戦)が予定されていた。
スキー教室もあって、ほとんど練習らしい練習もできていなかったし、レギュラー選手の中にはインフルエンザでスキー教室にも参加できなかった者もいて、はたしてどうなることだろうかと思っていたが、何とか予選リーグを全勝で勝ち上がり、決勝トーナメントも2回戦を突破してベスト8まで進出してくれた。
準々決勝以降は翌週の土曜日に予定されていたので、この日はここまで。それにしても、よくがんばってくれたと思う。
この日は2週間ぶりの支部例会。何と、大三元を和了ることができた!インフルエンザで苦しんだ分、いいことあるなあと思った。
29日(日)。
完全オフ。ほとんど終日コタツに入って読書していた。『ほぼ日刊イトイ新聞の本』(講談社文庫)を一気読みした。たいへんにおもしろかった。こういう休日が何より貴重である。
30日(月)。インフルエンザ罹患生徒が急増した。午後の授業をカットして対応することにした。
そして今日31日(火)。
相変わらずインフルエンザは猛威を振るっている。今日も授業は午後カット、部活動もこの2日間は休止することになった。げに感染症は恐ろしい。
というような今月後半の日記でした。
最後までお読みいただきありがとうございました。再度、本年もどうぞよろしくお願いいたします。(拝礼)