スーさん、甲子園ボウルにゆく


12月19日(月)

日曜日は、甲子園ボウル(全日本大学アメリカンフットボール選手権大会決勝戦)観戦のために家内と甲子園球場へ。
激戦の関西学生リーグを勝ち上がり、西日本代表決定戦も制して、4年ぶりに「聖地」と呼ばれる「甲子園ボウル」へと駒を進めた我らがKGファイターズの応援のためである。
相手は、これまた「聖地」で相まみえるには相応しい日本大学フェニックス。出場31回を誇る関東の古豪である。

両校の対戦はこれまで大会最多の25回。フェニックス16勝、ファイターズ7勝で、2度の引き分け(両校優勝)という結果である。
前回の対戦は4年前。この試合は、甲子園ボウル史上に残る名勝負であった。残り10秒を切っての劇的なタッチダウンでファイターズが30年ぶりに対フェニックス戦の勝利を飾ったのであった。(詳しくは4年前の日記にて http://nagaya.tatsuru.com/susan/2007/12/18_2224.html)

この3年間、ファイターズは甲子園ボウルへの出場から遠ざかっていた。
80年代後半から台頭してきた京大ギャングスターズ、90年代からは立命館大パンサーズ、さらには2年前から関西大カイザーズなどのチームが、秋季リーグでファイターズを破るようになって、そう簡単には関西学生リーグを抜けることができないような状況を呈するようになっていたのだ。
昨年も、リーグ優勝(3校同率優勝)はしたものの甲子園ボウル出場をかけたプレーオフで敗れていた。
ようやく、並み居る強敵を撃破してリーグ優勝を勝ち取り、ファイターズにとっては「聖地」と称される甲子園へと戻ってきたのである。

KGの卒業生を含む関係者にとっては、甲子園ボウルは同窓会に出席するようなものだ。
KGアメリカンフットボール部のHPに掲載されているコラム(「スタンドから」)に、石井晃氏は以下のように書かれている。
“「キラー・コンテンツ」という言葉がある。広告業界発祥の用語で、決定的な、極めつきの、という意味を持たせて使われる。例えていえば、水戸黄門なら「葵の印籠」、阪神タイガースなら「六甲おろし」、巨人なら「王、長嶋」。いま風なら、ユニクロの「ヒートテック」というところか。
この季節の関西学院でいえば、クリスマスと甲子園ボウルがそれに相当する。(…)
試合終了の笛が鳴るまで、両軍とも一歩も譲らない戦いは、過去の歴史が証明している。4年前、長居スタジアムでの関学と日大の決戦は、試合終了3秒前のタッチダウンでファイターズが逆転勝ち。1984年の甲子園ボウルでは、ファイターズが残り4秒で8点差を追いつく粘りを見せ、両校優勝にこぎ着けた。こんな試合を目の前にすれば、それはその場にいた人すべてが生涯語り続ける伝説となる。そういう伝説を胸に刻んだ人が数多く存在することによって、ファイターズの活動がスクールスポーツとして敬意を払われ、キラーコンテンツとしての地位を獲得できたのである。”(12月10日、「いざ聖地へ」より)
かくして、「何をさておいても甲子園へ」ということになったのである。

前日は「武道な夜」だった。
夕方4時からは、北総合気会山田師範による剣・杖の特別稽古。前夜から月一回の師範稽古のために来浜されていた山田師範が、「せっかくだからもう一泊して剣と杖の稽古をしようか」と言ってくださったのだ。願ってもないことだった。
杖の基本的な持ち方・振り方から始まって、組杖の一つ一つの動きがどこでどう噛み合わされていくのかというところまで徹底的に教えていただいた。今まで適当にしか覚えていなかった組杖を見直す得難い機会となった。

この日の夜は、翌日に予定されていた韓氏意拳講習会のために守さんが来浜されることになっていた。忘年会のシーズンということもあり、駅周辺で懇親会の場所を確保するのが困難であったため、いつもの中華料理店を何とか予約して守さんをお迎えしようということになった。
ソッコーで帰宅して、守さんを迎えに行ったオノちゃんも同乗した家内の車で件の中華料理店へ。
守さんからは、今回もいろいろなお話を伺うことができた。いつもそうだが、新しい「グッズ」もご紹介いただいた。なんとも楽しいひとときであった。

さて、日曜日である。
チケットは、事前にアメフト部OBである「ゑびす屋さん」こと谷口さんが手配してくださっていた。なんと、OB会で用意した指定席である。これなら、場所取りを心配する必要はない。
今回は、同じソフトテニス指導者仲間である奈良県のオーヤマ先生も同行されることになっていた。ぜひ見てみたいとのことだったのである。

内田先生オススメの「ひかり」に乗車して1時間半足らず。新大阪には10時過ぎに到着。オーヤマ先生とは、10時半にJR大阪駅御堂筋口で待ち合わせていた。少し時間があったので、改札を出たところにあった書店にて、『呪いの時代』(新潮社)と『原発と祈り』(ダ・ヴィンチブックス)を購入。
程なくオーヤマ先生と合流して、まずは早目の昼食をということで阪神の地下へ。フードテリア内「銀杏屋」にて焼きそばとビールで再会を祝す。

谷口さんとの待ち合わせは、ちょうど12時に甲子園内野スタンド入口。
事前に「スタンドをKGブルーに!」キャンペーンということで、当日に青い服やタオルを身に付けてきた人には先着4,500名に甲子園ボウル限定ステッカーをグッズ販売テントにてプレゼントということだったので、ちょっと寒かなあとは思いつつも、ちょうど青色のフリースがあったのでそれを着用していったのだが、なんとキャンペーンは中止になってしまったとのことだった。せっかくなので、記念のTシャツを購入する。
そうこうするうちに12時。内野5番出入口のところに行くと、谷口さんの顔が見えた。チケットのお礼を言いつつスタンドへ。

既に、フィールドには両校の選手たちが出ていて、試合前の練習が始まるところだった。甲子園の緑の芝に、青と赤のユニフォームがよく映える。思わず、心が高ぶってきた。試合前の選手たちの意気込みが、自然とスタンドにも伝わってきていた。これは、実際にスタンドに足を運ばないことには感じられないものである。だからこそ現地に行くのだ。

国歌斉唱に続いてコイントス、いよいよキックオフである。前半のファイターズはレシーブをチョイス。
立ち上がりは両校ともにオフェンスはパントに終わった。静かな立ち上がりだった。
先制したのはファイターズ。第1Qもそろそろ終わろうかというところだった。フラッグが投げられたので、ひょっとしてTD不成立かと思われたのだが、どうやら反則はTD後に発生したらしかった。これでファイターズはモメンタムをつかんだ。
第2Qに入った直後にも、相手のファンブルからゴール前のチャンスを掴んで追加点。
フェニックスもテンポよく攻め込んでこちらのゴール前に迫るのだが、なかなかTDを奪うことができない。前半終了間際に何とかFGを返したのだが、直後のファイターズはロングパスを決め、それをFGに結びつける。取られたら直後に取り返す理想的な展開だった。結局、前半は17-3で折り返しとなった。

後半はフェニックスがミドルパスを次々とヒットさせてファイターズのエンドゾーンに迫るも、肝心なところでそのパスをインターセプトされたりして、TDを奪うことができない。
互いにオフェンスが手詰まりの様相を呈して第4Qへ。ファイターズの追加点は10分過ぎ。エンドゾーンに走りこんだRBにショートパスを投じてTD、24-3。これがファイナルスコアとなった。ファイターズ、24回目の甲子園ボウル制覇となったのである。

谷口さんにお礼を言い、「プロ野球の阪神・中日戦とはえらい雰囲気がちゃいますなあ」と感心しきりのオーヤマ先生と一緒に梅田まで戻り、行きと同じく大阪駅御堂筋口にてオーヤマ先生とも別れて帰途に就く。
日常を離れ、甲子園のフィールドいっぱいに覇を競う学生たちの姿を目の当たりにし、得も言われぬ清々しさを感じることができた。
些末的なことに汲々とすることなく、いつも心にこの日の空気を留めておこうと思った。
帰りの新幹線で、オーヤマ先生からのおみやげである柿の葉寿司を家内といただいた。
格別な味だった。