11月21日(月)
凱風館道場開きのことを書いておきたい。
道場開きの前日(12日、土曜日)は、建築に携わった中島工務店さん主催の完成披露記念イベントである「オープンハウス」が予定されていた。以下のようなプログラムである。
引渡し式は午前10時から。正午から内田先生による合気道の稽古。夕方6時から完成記念イベントとしてお能の披露。引き続いて施主である内田先生、設計者である光嶋さん、つくり手である中島工務店社長による鼎談などである。
このオープンハウスに浜松から参加したのは、支部長、支部長の妻、オノちゃん、ハットリくんと、浜名湖道場からタカバさん、ヤマダさん、シンムラさんの計7名であった。
支部会員はハットリ号に、道場生たちはタカバ号にそれぞれ分乗して、東名の新城Pで落ち合い、一路神戸を目指したのであった。
道路情報によれば、伊勢湾岸道はいつものように四日市付近で、名神は一宮JC付近で渋滞とのことだった。どちらのルートを選んでも、京都までの到着予想時間は変わりがなかった。ならばと、そのまま東名・名神を走ることにした。
情報どおり名神一宮付近は渋滞していた。完全に止まってしまうことはなかったが、それでも40分以上は遅れた。ようやく渋滞を抜けたが、京都東IC辺りでまた渋滞とのことだった。迷わず京滋バイパスへ。途中、吹田で簡単に昼食を取り、名神を降りたのが正午少し前。
この日、家内はわれわれが合気道の稽古をしている時間に、「るるさま」こと芦屋のミツヤスさんのところで今夏以来の髪を切っていただく予定にしていた。そのまま43号線を走って芦屋のミツヤスさんのお店へ。
ミツヤスさんにご挨拶をして家内を残し、住吉へと急ぐ。もう稽古が始まっている時間だ。そろそろ到着というところで、先行した浜名湖道場生たちから到着したとのメールが入った。追って程なく私たちも到着、そのままオノちゃん(そう、オノちゃんも合気道を始めたんです)と更衣室で着替え、稽古に参加する。
初めて目にする凱風館の琉球畳。ふかふかしていて、いい匂いがする。道場にはざっと70名ほどが稽古をしていた。内田先生の稽古を受けるのは、今年3月の合宿以来である。
浜名湖道場生たちも、中に混じって楽しそうに稽古している。初めはかなり遠慮して隅の方にいたオノちゃんも、うっきひ師匠に発見されて稽古入りし、ころんころんと転がっている。新築なったばかりの道場で、気持ちのいい汗をかくこと2時間。
終了後は、その後の予定もあるので、ソッコーで妻を迎えに行き、ホテルへと向かう。実は、この日は神戸に投宿することができなかった。三宮周辺のビジネスホテル系は、まったく空きがなかったのだ。仕方なく、少しでも神戸に近いところということで尼崎に宿を取っていた。でも、結果的に家内の送り迎えを考えるとこれは正解だった。
稽古着のままでホテルにチェックインし、シャワーをさっと浴びて着替え、再び凱風館へ。私たちのホテルからJR尼崎駅までは、タクシーで10分以上はかかる距離だった。どうしようと相談していたところ、お酒を飲まないハットリくんがドライバーを申し出てくれた。たいへんにありがたかった。そのままハットリ号で再び凱風館へ。
完成記念イベントは、お能から始まった。山本画伯の描いた老松が正面に見える。お能の披露が終わると、内田先生から凱風館建設に携わった人たちに感謝状の贈呈が行われた。
その後は鼎談である。何より、中島工務店社長のお話がおもしろかった。「30年で建て直さなきゃいけないなんておかしいんです。100年は住める家を建てなければ」木の家に住むことがいかに素敵なことであるかということを教えていただいた。
鼎談終了後、近くにいた山本画伯から、老松完成までの経緯を詳しく聞かせていただいた。これまたたいへんに興味深いお話だった。絵のあらゆる部分に画伯の強い思い入れが込められていることがわかった。
その間に、道場にはシートが敷かれて、工務店さんから食事と祝いのお酒が振舞われる。一人一人に配られた枡で、いろんな日本酒をいただくことができた。隣のナカノ先生がどんどん注ぐので、つい調子に乗って飲んでしまった。何とも愉しい時間だった。
明けて日曜日(13日)は、道場開きに先立って、午後から多田師範による稽古が予定されていた。この稽古のために千葉から来神される北総合気会山田師範を駅までお迎えに行き、早目の昼食をご一緒して凱風館へと向かう。
140名超が集まった多田師範による稽古は、午後1時から。これだけの人数でも稽古はできるものだと思った。たっぷり3時間、多田師範を始め高段者の方たちの技を目の当たりにできた得難いお稽古であった。
稽古終了は午後4時。まだこの日投宿予定の神戸のホテルにはチェックインしてなかったため、すぐに三宮へと向かい、チエックインを済ませてスーツに着替える。
道場開きは六甲アイランドにあるベイシェラトン。道はどこも混んでいた。ようやくたどり着こうかというところで、カンキくんから「まだですか?」と電話が入った。開宴は6時からだとばかり思っていたので、「もうすぐ着くよ」と返事したのだが、開宴は5時半開宴だったのだ。受付に行くと、アオヤマさんから「もう始まってますよ」と言われてしまった。ちょうど多田先生がご挨拶をされているところだった。なんという失態!
中から拍手が聞こえてきたところで会場へ。中は、300人近くの人たちでひしめき合っていた。司会は「ゑびす屋さん」ことタニグチさんだった。
この日、日帰り参加の浜松支部員(ヨッシー、オーツボくん、シンムラくん、オータくん)らの顔ぶれも見えた。
乾杯が終わったあとは、主にヒラオさん夫妻、けいぞうさんとあれこれお話をしていたのだが、その間にもバリ島でご一緒した人たちともお会いして、まるで同窓会をしているような雰囲気になった。その愉しさと言ったらなかった。時間の経つのを完全に忘れた。
その雰囲気は、ホテル内での二次会になってさらにヒートアップした。この二次会では、小田嶋隆さんがけいぞうさんのすぐ隣に座っていらっしゃった。おかげで、あれこれお話をすることができた。何と、小田嶋さんのご母堂は浜松の出身とのことだった。浜松市のローカルな町名をお聞きして、思わず嬉しくなってしまった。
また、この二次会では内田先生のご令嬢るんちゃんの歌も拝聴できた。このあたりから、お酒の量がリミットを超え出した。まるで水を飲むようにワインや焼酎を飲んでしまったのである。
三次会は、江さんと元町へと繰り出した。「あまりやってる店がないんですわ」と言いながらも、案内していただいたお店でこれまたワインをしこたま飲んでしまった。実は、このお店を出た以降の記憶がない。
翌朝、家内からは「昨晩はタイヘンだったんだから。部屋に戻ると同時に靴も履いたままベッドで寝てしまうんし!」と言われてしまった。返す言葉がなかった(一緒に帰ってくださったエビちゃん、ありがとうございました)。
月曜日は有給休暇をいただいていた(浜名湖道場生の3人は前夜のパーティー終了後浜松に戻っていた)。
この日は午後から凱風館に甲野先生がお見えになるとのことだった。それまで午前中は、三宮で買い物をすることにした。
すかさず、ジュンク堂にて小田嶋さんの『地雷を踏む勇気』(技術評論社)を購入。それにしても、時間が経つにつれ、頭痛はひどくなるばかりだった。
昼食は、家内の希望もあって春日野道の「ひかりや」へ。もちろん、「焼き飯モダン」の大を注文して4人でいただく。
いっこうに回復の兆しの見えない頭痛を抱えて凱風館へ。
午後2時、甲野先生のお稽古が始まった。「つい最近気づいたばかり」という技もご披露していただいた。これまた得難い機会だった。
後ろ髪を引かれる思いで神戸を後にしたの夕方の午後4時。参加したそれぞれが、それぞれの忘れ難い思い出を胸の奥に大切にしまっての帰浜だった。
こうして、まことに濃い3日間が終わった。
新たな出会いが、またこれからどのようなテクスチュアを織り成していくのか、そんな期待が膨らむばかりの3日間だった。