スーさん、セブ島にゆく

11月8日(火)

ライフプラン休暇を中心にした、先月末から今月初めの10日間の日記です。

10月29日(土)
・この日は、週休日を振り替えての合唱コンクール。会場は、浜松市教育文化会館(はまホール)。
・自分とこの学年(1年生)は、学年で行ったプレコンのときよりはずいぶんとうまくなったという印象で安堵したが、とにかく3年生の合唱がすばらしかった。中体連の夏季大会もそうだが、中学校最後だからという思いは、いろいろな場面で子どもたちを一種のファナティシズムへと掻き立てるものなのかもしれない。
・勤務時間終了とほぼ同時にソッコーで帰宅。この日は、翌日の県西部地区中体連ソフトテニス部主催の審判講習会講師として、京都からお越しのミヤタ先生をお迎えしての小宴が予定されていた。市中体連ソフトテニス部首脳陣も顔を揃えて、来年の東海大会浜松市開催を視野に入れた審判技術向上の取り組みのお話を中心に盛り上がる。

30日(日)
・件の審判講習会は、オノちゃんの学校のテニスコートにて。50名以上の参加者が熱心にメモを取りながら講習に参加。何より、「せっかく休日返上で参加しているのだから、できるだけ楽しく講習をしよう」というミヤタ先生のスタンスがよかったと思う。終了後はミヤタ先生を囲んでの昼食会。つい最近ミヤタ先生も「あいぽん」のお仲間入りをされたばかりなので、アプリのことなどを情報交換しつつ中華をいただく。途中から降り出した雨の中、お帰りになるミヤタ先生をお見送りして散会。
・午後は散髪へ。旅行用である。

31日(月)
・午前中は部活動の指導に行く予定だったが、コートコンディション不良につきお休みにして、まだ何もしていなかった旅支度に集中する。キャリーケースを持ち出して服やらビーサンやらを詰め、1時間ほどで終了。やはり、旅行は暖かなところへ行くに如くはない。
・午後は手荷物用のバッグの整理。デジカメの充電器やらiPadやらをせっせとバッグに入れる。愉しい時間だった。
・この日は早めに帰宅した妻と簡単に外食を済ませ、早めに就寝。いよいよ明日からセブ島だ。気持ちが高まる。

11月1日(火)
・朝4時に起床。支度をして外はまだ暗い5時前に自宅を出る。浜松西インターのバス停からセントレア行きの直行バスに乗車。バス内はほぼ満席。この時間の利用が多いことに驚く。
・東名に乗ってしばらく走ると、事故のため豊川インターから音羽蒲郡インター間が事故のため通行止めになってしまった。私たちの前の座席の夫婦は8時の飛行機だそうだ。「これじゃ間に合わんなあ」とぼやくことしきり。しかし、こればっかりはどうしようもない。幸い、私たちの飛行機は9時半の搭乗予定だったのでそんなに焦ることはなかったが、前途が心配される出発だった。
・セントレアには40分ほど遅れて到着。すぐに国際線の出発ロビーへ。出国手続きを済ませて、まずは朝食。到着遅れについては、けいぞうさんから「現地でなにもないように、税金を払われたのですよ」とツイートが。なるほどそう考えればいいんだと納得。
・搭乗は9時過ぎ。いよいよ出発だ。それにしても、A330のエコノミー席は狭い。4時間ほどのフライトなのでがまんがまん。
・すぐに機内食が出た。もちろん、おいしいものではなかった。とにかく座席が狭いので、縮こまって食べなければならないのもつらかった。ビールを飲んで寝ようとしたが、どうも眠たくはならなかったので読書。持参したのは、『悲しき熱帯』(レヴィ=ストロース、中公クラシックス)と、『コロンブスの犬』(管啓次郎、河出文庫)。何となく今回の旅に合っている感じですらすらと読める。
・午後1時過ぎ、ニノイ・アキノ国際空港に到着。ここでセブ島行きの飛行機に乗り継ぎとなる。これがよくわからなかった。入国手続きをして国内線の乗り場へ向かおうとしたのだが、どこへいけばよいのやらさっぱりわからない。日程表のイラストも確認したのだが、どうもそれだけではどこへどのように行ったらよいのやらさっぱり要領を得なかった。仕方がないので税関の人や荷物受け取りのところにいた人に国内線乗り場はどこへ行けばいいのかを聞く。どうやら、一度出口を出て階段を登って行くらしい。言われたとおりに行ってみたが、国内線の乗り場へ行くには何度もセキュリティチェックを受けないと行けない仕組みになっていた。親切に案内してくれた人もいたが、すぐに「チップ、チップ」と要求してくる。言葉がわからないふりをしてようやく国内線の乗り場へ。かなり焦った。
・セブ島行きの飛行機に乗ったのは午後4時過ぎ。マニラからはおよそ1時間ちょっとのフライトだ。
・薄暮のセブ島マクタン空港に到着。待ち受けるガイドと落ち合い、流暢な日本語で滞在についての説明をあれこれと聞き、待っていたホテルからの車に乗り込む。
・途中、コンビニに寄ってもらって、夜食になりそうなつまみやらワインやらを買い込む。マクタン空港からホテルまではだいたい1時間半程かかるとのことだった。
・この日は祝日だったらしい。とにかく通りには多くの人が出ている。この地に特有の「トライシクル」や、複数人乗ったバイクをかわしつつ、車は猛スピードでホテルへ。まるで映画を見ているようなドライブだった。
・アレグレビーチリゾート&スパに到着したのは、日もとっぷりと暮れた午後8時過ぎ(現地時間)。生花のレイで出迎えてくれたのは、日本人スタッフのタカノさんだった。チエックインの手続きをしてまずは部屋へ。
・ここの部屋は、それぞれが独立したコテージになっている。エントランスから部屋まではかなりの距離がある。暗い道を歩いていったのだが、とにかく自然が豊かなところだと思った。明るくなったところを見てみたいと切実に思った。
・旅装を解き、まずは食事。レストランへと移動してほっと一息である。

2日(水)
・起きて外に出てみると、ちょうど海から朝日の昇るところが見えた。思わず写真に収める。
・そのままビーチへと降りてみる。早朝、誰もいないビーチを歩くのは気持ちがいい。
・レストランに行ってみると、昨晩はわからなかったプールが見えた。たいへんにキレイなプールだった。そのプールを眺めながら朝食。
・朝食後、エントランス付近で使えるWi-Fiで写真のアップを試みる。Facebookでやってみたが、思いの外うまくいった。これで期間中の写真は問題なくアップできると思った。
・午前中はプールへ。誰もいないプールで泳ぐのは何とも気持ちがいいものだ。
・午後は、スパへ出かけて無料のマッサージを受ける。サービスで30分だけやってくれるのだそうだ。これがまた何とも気持ちがよかった。家内ともどもへなへな状態に。
・マッサージの後は再びプールへ。ここのプールはなぜかプールの水がクリームソーダのように見えてしまうから不思議だ。いちばん深いところが5フィート。子供用に2フィートや3フィートの深さのプールも作られている。反対側で子どもたち3人が泳いでいる他は誰もいない。貸切の気分でのんびりと泳いだりプールサイドで本を読んだり。贅沢な時間だった。
・夕方、この日の写真などをアップしようとしたのだが、なぜかFacebookが受け付けない。どうやら、いつもと違う場所からのアクセスで、アカウントを一時停止してしまったらしい。あれこれとやってみたのだが、さらにアクセスを制限させる方向にいってしまった。Facebookでのアップは諦めることにした。

3日(木)
・何が美しいって、それはいつもベタ凪の海だ。刻一刻とその表情を変える。そのままずっと見ていても飽きない。
・アクセスできないFacebookに代わって、Google+を試してみることにした。これが案外正解だった。写真のアップもずいぶん簡単にできることがわかった。
・朝食時にいつも添えられているフルーツがこの上なく美味しい。普段はあまりフルーツなど食べない自分も、積極的に食べるようになった。何より、バナナの色が濃い。もちろん味も濃い。ついでに食事の味付けも濃い。南国は何もかも濃厚なのであった。
・着替えてこの日はビーチへ。海に入るなんて何年ぶりであろうか。少なくとも15年以上は海に入っていない。遠くにブイが浮かんでいるが、そこまでは腰ほどの深さだった。
・海に入ると、すぐに魚が寄ってくる。透明の鯉に似た魚だ。透明度が高いので、よく見るとヒトデや大型イソギンチャクの中にいるクマノミが見えた。カメラを持って海に入り、海からビーチを撮ってみたりした。
・お昼近くなったので海から上がり、一度部屋に戻ってから昼食。
・午後はプールへ。ちと泳ぎ疲れたので部屋に戻って昼寝。
・夕方、iPhoneのアプリでWi-Fiだけの接続で無料通話ができるかテストしてみた。ご協力いただいたのは京都の先生方。ちゃんと通じた。いやはや、とんでもない世の中になったものだと実感した。
・夜はビーチでバーベキュー。明かりが灯され、椅子やテーブルに白布が掛けられると、まるで日中とは趣が変わってなかなかの雰囲気だった。思わずサンミゲルを追加。

4日(金)
・のんびりできるのもこの日が最後。明日は早起きして空港へ行かなければならない。
・夜明けには曇っていた空も、朝食を食べ終える頃にはすばらしい青空に変わっていた。すぐ部屋に戻り、日焼け止めを入念に塗布してビーチへ。この日は、マリンスポーツクラブに行ってシュノーケルを借りて(終日レンタルで6ドル)海に入ることにした。家内はシュノーケリングが初めてだったらしく、最初は「どうやって付けるの?」とか言っていたが、実際に装着して海中を覗いた瞬間からその虜になった。それからほぼ午前中いっぱい、サンゴの周りを中心にシュノーケリングを堪能した。特に、サンゴの中にいる魚たちが「なんだ、何か用か?」とでも言っているかのようにこちらを見てくるのがとても笑えた。
・午後はプールへ。プールサイドでカクテルを飲むということを、一度はやってみたかった。レストランのバーでバナナダイキリをオーダーしてプールサイドへ。幸福感は絶頂に達した。
・そのままプールサイドで気持ちよくなってお昼寝。目が覚めると、けっこうプールも混み合ってきた(と言っても10人くらいだったが)ので、部屋へと退散。
・そう言えば、プールサイドにはツバメが舞っていた。そのことをツイートすると、オノちゃんから「越冬してるんです」と返ってきた。自分たちもこのままここで越冬したいと思った。
・夕方はいきなり曇ったかと思ったら雷が鳴り出した。一瞬ではあるが、何回か停電もした。雨季も終わりなのである。この日の夜はいつまでも雷鳴が轟いていた。
・アレグレ最後の夕食は、翌朝のこともあって早めに済ませる。仲良くなったレストランのウェイトレスのお姉ちゃんと記念撮影。彼女も来月は別の職場に移ってしまうとのことだった。なかなか現地の就業事情は厳しいらしい。
・部屋に帰って荷造りをする。いよいよアレグレともお別れだ。

5日(土)
・朝は4時に起床。日本を発つ時と同じ時間だ。身支度を済ませると、5時少し前に荷物を運びに来てくれた。エントランスまで行きチェックアウト。滞在中の全ての飲食やオプションの支払いはルームナンバーを告げてサインだけで済ませられた。支払いは全てカードである。らくちんなものだった。
・来た時と違って、さすがに夜明け前の道は空いていた。まるで高速道路のように走ってマクタン空港へ。途中、ドライマンゴーをお土産に買いたいとドライバーに告げると、空港近くの知り合いと思しきお店に立ち寄ってくれた。
・空港では契約ガイドが待っていた。てきぱきと手続きを済ませてくれた。すばらしく手際がよかった。家内と「チップたくさんあげた方がいいね」などと言っていたら、ここでお別れというところで、そのガイドから「ガイドさんに千円チップね」と要求された。しっかりしてるなあと思った。こちらが思っていたチップのほぼ10倍の値段だった。
・搭乗までは時間があったので、アレグレで持たせてくれた朝食のサンドイッチとフルーツをいただく。いとおしきセブのマンゴーの味だった。
・マクタン空港を発ったのは8時過ぎ。そのままニノイ・アキノ国際空港へ。またしても乗り継ぎがよくわからなかった。とにかく、案内に従って行くと、バリケードがあってそれ以上進めないのである。大回りをしてセキュリティチェックを何度も受けないと乗り継ぎができない。マニラの治安はあまりよくないと聞いていたが、それはこのようなところでも実感させられた。
・今回の旅行で最もネックだったのは乗り継ぎの待ち時間が長かったこと。セントレア行きの飛行機に搭乗するのは午後1時。3時間はたっぷり待ち時間があった。仕方がないので、残ったペソで簡単なお昼とお土産を買うことにした。サンミゲルもしばらくは飲み納めである。思わず2缶続けて飲んでしまった。
・待ち時間が長いとあれこれ人間観察などもするのだが、とにかく傍若無人の振る舞いをしていたのは、上海行きの飛行機を待っていた中国人。かような振る舞いを続けるとしたら、中国の人たちはそのうちに世界の人たちから嫌われていくと確信した。
・ニノイ・アキノ国際空港を発ったのは午後1時半。セントレアまでは、来た時と同様に約4時間のフライトである。日本との時差が1時間ほどだから、到着は日本時間で7時近くになった。日本に帰っての第一印象は、とにかくきれいだということ。家内は、空港のウォシュレットのトイレに感動していた。
・フィリピン航空はけっこう時間にルーズな航空会社だと思った。行きも帰りも、乗り継ぎの出発はかなり遅れた。でも、そのことについてのアナウンスは一切なかった。時間にきっちりしているのは、日本人の美徳なのか、それともそんなにあくせくすることないじゃないかというのが世界のスタンダードなのか、よくわからなくなった。
・セントレアからは直行バスで浜松まで。帰りは順調だったが、隣の席のおばはんがあれこれうるさくて閉口した。遅くなったので、帰宅の途中でいつもの中華料理店にて晩ご飯。久しぶりに食べる中華はひたすらおいしかった。

6日(日)
・起床した際、一瞬ここがどこかわからなかった。朝から雨だった。部活動に行く予定だったが、お休みにした。休めという天の声だと思った。とにかく、終日ぼーっとしていた。「今ごろセブの海は…」と、そんなことばかりが思い浮かんできた。気がつくと夕方になっていた。
・この日仕事だった家内は、帰宅と同時に「今日はいつもよりやる気が出て、集中して仕事ができた」と言っていた。いい休みになってよかったと思った。

7日(月)
・ネクタイをして出勤。職場に行くと、「日に焼けましたね」と言われた。お礼を言いつつ、勤務時間終了とほぼ同時に帰宅。
・またいつか必ずセブ島には行きたいと思った。

こんな10日間だった。