スーさん、台風に襲われる

9月27日(火)

台風から1週間。
まだ各所にその爪痕が残っているが、それにしても凄まじい雨風だった。

台風15号の接近が報じられていたちょうど一週間前の火曜日(21日)は、その前の土曜日に行われた体育大会の代休だった。天気は朝から曇っていて、明け方には雨も降っていた。そんな天気だったので、部活動はお休みにした。
家にいると、朝からひどく耳鳴りがした。こういうときは、読書をする気にもならない。朝から何をするともなく、ぼーっとして過ごした。アオヤマさん(@aoyama_kobe)から聞いたのだが、台風のような低気圧が近づいてくるような気圧の変化が激しいときには、ひどく耳鳴りがする人がいるらしい。自分もその一人なのだということがわかった。
本を読む気にならなかったので、午後からは録画しておいたアオヤマさんやジロー先生(@jiro50)オススメの「サン・ジャックへの道」を見ていた。結局、その日は夜まで雨はほとんど降らなかった。
夜、メディアは岐阜県多治見市の大雨の様子を報じていた。ソフトテニス仲間のりょうさん(@ryousan777)にTwitterで様子を尋ねると、実際に多治見市に勤務しているワタナベさん(@Branpus22)の勤務先の方がひどい状態らしいということがわかった。mixiの日記にその様子がアップされているとのことで、さっそく覗いてみると以下のように書かれていた。
「①我が社のテニスコートへ山から濁流が押し寄せ、テニスコートがひどいことになりました。②その濁流が、そのまま社屋に侵入。1階が床上浸水となりました。パソコンをつないでいるランケーブルもしっかり水浸しとなりました(T_T) 水の威力をまざまざと見せつけられ。なんとも防ぐことのできないものだと体感しました。こんなわけで、昼からは復旧作業にいそしみました。しかし、私の最も大切にしているテニスコートはまだ手もつけられず。何本もの大きい流木がコート上にゴロゴロしてる。完全にコートが川になって、凸凹。表土はしっかり流されてしまい。悲惨なものです。社屋内の1階の掃除だけでもうヘロヘロ。明日は、1日かけて復旧作業。」
すぐにお見舞いのメッセージを入れた。りょうさんの方も、「縦横に走る高速が止まっているせいで19号も248号も大渋滞。瑞浪から2時間半がかりで帰宅しました。」とコメントがあり、実際に大雨による避難勧告が出ている地区を通って帰ったとのことだった。
浜松も明日は大丈夫だろうかと心配になった。

明けて21日(水)。起きてテレビを付けると、既に浜松市には暴風警報が出されていた。浜松市の場合は、朝7時の時点で暴風警報が出ていた場合、午前10時まで小中学校の児童生徒は自宅待機となる。 しかし、職員は待機ではない。時折、叩きつけるような雨が降ってくる中を出勤する。
午前9時、視界がほとんど得られないほどの雨が降ってきた。風も相当に強まってきた。
午前10時、引き続き暴風警報が発令されていたので、学校は休校。翌日の連絡を各家庭にメール配信または電話連絡ののち、職員会議に入る。この会議は、台風に備えての会議ではなく、本来次週の月曜日に予定されていたものを、休校になったために午前中に行うことになったものである。
11時、会議中ではあったが校舎のガラスが割れるのではないかと思われるほどのひどい雨風となった。どうやら、台風はまっすぐに浜松に向かって来ているらしかった。
12時。情報を見ると、台風は浜松の南西120キロの海上を北上していた。外はまさに「滅茶苦茶」と形容するのが相応しい風と雨の状況を呈していた。
14時。浜松市内の一部に避難勧告が出された。それと呼応するように、風向きが変わって一時凪いだような状態になった。台風の中心部が浜松付近に上陸したと報じられた。雨風がだいぶん弱まった。外を見ると、新幹線が線路上に止まったままだった。
校地内を見回りに行った教頭から、テニスコート付近の松が折れて、道路上の電線に引っかかっていること、他にも折れている木が多数あることを報告してくれた。市内は停電しているところが出ていることも報じられていた。
雨風が治まっていたのも束の間、すぐに今度は西からの猛烈な風雨が吹き始めた。吹き返しだ。この吹き返しも、台風の接近に伴う風雨に負けず劣らずの凄まじさだった。家のグリーンカーテンのことが心配になった。せっかくここまで順調に育ってくれてきていたのに、たぶんこの風に吹き飛ばされていることだろうと思った。
16時。ようやく吹き返しも治まってきた。外が少し明るくなった。雲が東の空へ飛ぶように流れていく。先ほどまで線路上に止まったままだった新幹線も、いつのまにか動いていた。ようやく台風が抜けたのだ。
勤務時間終了と同時に、ソッコーで帰ろうと思っていたが、その前にテニスコートの様子を見に行ってみた。水没あり、倒木ありで悲惨な状態だった。家の様子も心配になった。

帰宅してみると、グリーンカーテンは原型を留めていた。土台が少しずれただけで、葉も蔓も大丈夫だった。いやはや、強いものだと感心した。プランターの花がいくつか根こそぎ吹き飛ばされていた。家内が植えたシシトウとオクラもかなり傾いていたが、何とか根こそぎにはならずに済んでいた。それらを修復し、海水をたっぷり含んだ雨に晒されたプリウスを洗車して、ようやく一息ついたのが午後7時。それにしてもひどい台風だった。

明けて22日は、前日の台風が嘘のような青空。午後からは先日の体育大会でできなかった競技の残りを行うことになっていた。
グランドに出て競技の様子を見ていたとき、ふと振り返るとどこかで見たような顔を認めた。すぐに誰かわかった。新卒2校目の学校の2年目に、部活動でも指導し、担任もしていたクミちゃんだった。まちがいないと思ったが、かれこれ20年以上も会っていない。もしも人違いだったら失礼だよなあと思い声もかけられずにいた。そうこうしているうちに、クミちゃんと思しき人は帰ってしまった。後を追いかけて声をかけようとしたが、もう一人の保護者と二人連れだったのでそれもできず仕舞いだった。帰る前にPTA役員の人としゃべっていたので、その役員の方に聞いてみた。「先ほどしゃべっていた保護者の方、お名前わかります?」と尋ねると、「あら、お二人いたのでどちらの方かしら」と言いつつ、そのお二人の名前を教えてくださった。まちがいなかった。そのうちの一人は確かにクミちゃんだったのだ。「息子さんはサッカー部ですよ」とも教えてくださった。競技終了後、すぐにサッカー部顧問に聞いてみた。「え?保護者会の会長さんをしてくれているので、じゃあ今から電話してみますか」と言いつつ、電話をかけてくれた。電話を替わってもらった。聞き覚えのある声が受話器の向こうから聞こえてきた。どうやら、4月に自分が赴任してきたことはもちろん知っていたのだが、なかなか声をかけられずにいたとのことだった。「いつもテニスコートにいるから。近いうちに顔出してよ」と言って電話を切った。

その日の部活動はテニスコートの後片付けからだった。一面に飛び散った松の木の枝や葉を集め、折れた木をコートの外まで運び出し、土表面の砂を補充したりして、部員全員でかなり時間をかけて修復作業を行っていた。
と、そのときについ先ほど声をかけようとした保護者がコートまでやってきた。
クミちゃんだった。
懐かしかった。前回会ったのがいつのことだったか、それすら覚えていなかった。でも、教え子というのは不思議なものだ。こちらがほとんど覚えていない小さな出来事も、ほとんど正確に細部にわたって覚えているのだ。そうして、そんな話をしているうちに、20年の歳月の隔たりはだんだんと消え去っていった。今は2児の母となっていた彼女も、その時だけは中学生の少女に戻っていたのだった。
台風は最悪だったけれど、去った後にはうれしい再会が待っていた。

追伸
台風の来襲の際には、内田先生を始め、多くの方々からお見舞いのツイートやらメッセージやらをいただきました。この場を借りて深く感謝申し上げます。ありがとうございました。