スーさん、香港に前世を見る

6月7日(火)

『大阪人』(@大阪市都市工学情報センター、編集・制作140B)の内田先生の巻頭言を読んで、「あるある、そういうことってある!」と激しく納得したことがあったのでそのことを。

先生はこう書かれていた。
“はじめて訪れた場所なのに、「私は遠い昔一度この場所に来たことがある」という感覚が訪れることがある。それが「倍音を出す都市」に私たちが惹きつけられる理由である。(…)人間はそういう街に惹きつけられる”(「大阪を機嫌よく生きる」第1回「大阪という都市について(1)ー倍音都市」)

すぐに思い浮かんだ場所があった。
香港だ。
初めて香港に行ったのは、確か平成12年、ちょうどミレニアムの年(2000年)の春だったと思う。学年職員の親睦旅行である。
セントレアはまだなかった。小牧の空港からの搭乗だったが、自分はちょうどこの年から花粉症が発症して、名古屋空港ではひたすらくしゃみを連発してティッシュが手放せない状態だった。搭乗前にビールを飲むと、症状はさらにひどくなった。
「う〜、誰が助けてえ〜」と言いつつ、機上の人となった。
機内のことは覚えていない。あまり時間がかからないで香港に到着したような気がする。

現地に着くと、ガイドさんが待っていた。
ダブルのスーツを着た、まるで地元のマフィアのような、でも日本語はペラペラのおっちゃんだった。
そのおっちゃんに、「ひどい花粉症です」と伝えると、「大丈夫、香港は花粉ないから。日本に帰るときには花粉症治ってるよ」と太鼓判を押された。ホンマかいなと思った。

確かその日の夜は、水上レストランでの夕食だった。
小舟に乗って、沖に停泊しているギンギラ照明で飾られた船へと向かう。料理そのものはそんなに美味しくはなかったけれど、とにかくその船の派手さに度肝を抜かれた。
ホテルに帰って、ちょっと街に外出しようかということになった。
繁華街まではタクシーで行った。帰りは2階建てのバスに乗って帰ることにした。
もうそろそろこのへんがホテルだろうと思われるところで、他の先生たちが「ここらですよ、降りましょう」と言ってきた。でも、なぜか自分は「いいや違うよ、まだ降りちゃダメ」と答えていた。どうしてそう思ったのかはわからない。でも、それはほとんど確信に近い判断だった。
そうして、「ここだよ、ここ」というバス停で下車した。ホテルのすぐ裏だった。同行の先生たちは、「えーっ!どうしてわかったんですか?だって、香港初めてですよね?」と驚きの声を挙げていた。「いや、何となくそう思って」としか答えられなかった。

翌日、九龍まで出掛けた。
その帰り、海底トンネルを通った。そのトンネルを通るとき、「あれ?ここ夢で見たことある」と実感した。まさに、いつか見た夢にぴったりの場所だったのだ。
「ひょっとして、オイラの祖先って香港にいたことがあるのではないだろうか」と真剣に考えてしまった。

帰る日、友人に頼まれた鞄を買うため、商店街へと出掛けた。
大きなビルの奥の路地も、まったく迷うことなく歩けた。
頼まれた鞄に近い商品を売っているお店も、難なく見つけることができた。
とにかく、どこへ行こうにもほとんど迷うことなく行くことができたのである。

さらに。
日本を出発するときにはあれほどひどかった花粉症の症状が、まったくなくなっていたことに気がついた。特に薬を飲んだとか、何かをしたというわけではない。
そんなこともあったためか、とにかく香港には尋常ではない親近感を持つことができたのである。
自分にとって香港とは、まさに「倍音都市」だったのだ。

それにしても、今までもそうだったが、内田先生が書かれたものを読むと「あるある、そういうことってある!」と、思わず膝を打ってしまうことが多々ある。
どうして先生はそういうことを知っているのだろう。
それもとても不思議だ。