5月9日(月)
今年もGWは滋賀県甲賀市へ。
「第23回関西・中部中学生選抜ソフトテニス鹿深の郷研修大会」に参加するためである。
出発は3日。今回は往復とも保護者の車に同乗させてもらうことになっていた。
午前6時半、浜松西ICから東名高速道に入ろうとすると、電光掲示板が三ヶ日ICあたりまでの事故渋滞を告げていた。通過時間は100分超。これなら三ヶ日まで一般道を走った方が早い。先が思いやられた。とりあえず、三ヶ日ICから東名へ。
最近ではいつでも渋滞している感がある音羽蒲郡~岡崎間は、躊躇うことなく並走する国道1号へ。
岡崎IC~豊田JT~伊勢湾岸道に入り、刈谷のPAにてトイレ休憩。しかし、渋滞情報はその先の弥富IC~四日市間の事故渋滞を報じていた。渋滞の列はどんどん伸びるばかりらしかった。仕方がないので、弥富で湾岸道を降りて国道23号を走ることにした。
誰も同じことを考えたのであろう、23号線はかなり渋滞していた。さらに国道1号へと抜けてみたが、こちらもそれなりに渋滞していた。やっとの思いで四日市ICに辿り着く。
ここから先は快適に走れた。それでも、試合会場に到着したのは午前11時半。何と5時間もかかってしまったのである。
会場に到着して、男子会場の責任者であるデグチ先生にご挨拶。
他にも到着が遅れているチームもあるとのことで、試合開始は11時の予定だったのだが、午後から団体戦の予選リーグに入るとのことだった。
その第1試合、相手は地元のS中だった。しかし、車から降りてすぐの試合だったためか、3番勝負の末に敗れてしまう。
続く第2試合は勝ったが、リーグ最終戦はこれまた3番勝負を接戦の末に落として、結果第3位で3,4位トーナメントに回ることになってしまった。これはやや予想外のことであった。
その日の夜は前夜祭。いつものメンバーが参集して、久濶を叙しつつ互いの近況を報告し合う。愉しい時間だ。
同宿のヨッシー、京都のミヤタ先生と部屋に戻り、少しだけ二次会。やや過ごしたためか、すぐに深い眠りに就くことができた。
4日。団体戦研修トーナメント。あれこれ考えた末に、いろいろとペアのカップリングを替えてみることにした。これが奏功したかどうかはわからないが、選手たちはだいぶんリラックスして試合に臨めるようになった感じがした。そのためか、何とか3,4位トーナメントの「決勝」まで勝ち上がることができたのである。
決勝の相手は、何と兵庫の強豪H中。まさか3,4位トーナメントに回ってくるとは思っていなかった。
結果、3番勝負の末に敗れてしまったが、試合をたくさんやることができたのはよかった。
午後は個人戦の予選リーグ。団体戦で大凡の感じは掴めただろうからということで、予選リーグはそれぞれのペアに任せることにして、ベンチには入らず遠くから戦況を見守るようにしてみた。
それがよかったかどうかはわからないが、特に大将ペアは落ち着いた試合ぶりを見せてくれるようになった。
この日の夜は、参加チームの監督がほぼ勢揃いしての懇親会。
前日の夜とはまた違って、いろいろな話題でそれぞれの席が盛り上がる。自分のところには、和歌山のキンちゃん、奈良のオーヤマ先生、京都のミヤタ先生らが集まり、大いに盛り上がった。何とも楽しいひとときだった。4月の異動以来、こんなにも大笑いしたのはこのときが初めてだった。
宴も果て、宿に帰って寝ようとしたが、同部屋のミヤタ先生の大鼾になかなか寝付けない夜を過ごすことになってしまった。
5日。個人戦予選リーグの残りと順位別トーナメント。
本校は、大将ペアを含む2ペアが予選を1位で通過して、1位トーナメントに入ることができた。
大将ペアは難なく初戦を突破したが、もう1ペアは三重Y中のペアと大接戦になった。残念ながら、試合の最中に後衛選手が足を捻挫して初戦敗退となってしまったが、その怪我さえなければ十分に勝てそうな試合であった。
大将ペアはベスト4まで勝ち上がった。準決勝の相手は強豪三重Y中の大将ペア。昨年末に四日市で対戦したそうだが、その時は鎧袖一触で退けられたそうだ。
その第1ゲーム、後衛がテンポよくサービスを入れ、前衛もいい動きでポイントをして奪取。幸先のいいスタートだった。
しかし、さすがは百戦錬磨のペア、ここから相手後衛が配球を変えてきた。それに対応しきれず、結局そのまま4ゲームを連取されて敗れてしまった。それでも、選手たちは手応えを感じていたようだった。
監督としても、夏までに何をどのように準備しておけばいいのかがはっきりした大会だった。
いつもそうだが、この大会は参加するたびに何かを得ることができる。ほんとうに貴重な大会だ。
それは、大会のコンセプトがしっかりしているからだ。
勝利至上主義にとらわれず、選手のマナーを重視している大会だからだ。
だからと言って、試合のレベルが低いわけではない。この大会参加チームの中から、毎年夏の全国大会に出場している選手がいるのだ。
帰路は順調だった。渋滞の東名阪道を避け、国道1号・23号を経由して、みえ川越ICから伊勢湾岸道へ、さらに東名へ。最後は三ヶ日のトンネル付近で事故渋滞したが、それでも夕方の5時半には浜松へと戻ることができた。
いつもながら、デグチ、ニシカワ両先生にはたいへんお世話になりました。
和歌山のキンちゃんや、奈良のオーヤマくん、京都のミヤタくん、楽しいお話をありがとうございました。浜松に帰ってからも、時々思い出し笑いをしております。
夏はどこまで勝てるかわかりませんが、何とかオーヤマくんが審判委員長を務める明日香の地へ行けるよう頑張らせたいと思っております。