スーさん、異動する

4月11日(月)

新年度になって十日あまり。
それにしても、多忙な毎日だった。

1日は、新しい職場での第1回職員会議。校長が経営方針を述べ、新しい組織が発表される。
自分は第1学年の学年主任を拝命した。
本校は、ここ数年のうちに市内でも最大規模の学校となる。現在でも、発達学級を加えて計24学級という大規模校である。
1年生は8学級で254名。担当する教員は11名である。旧日本陸軍の編制に倣うなら、「中隊」規模を担当することになる。となると、その規模の学年主任ならば、さしずめ中隊長というところか。
指導する教師の数も多いので、いかに学年教員間のコミュニケーションを図るかということに何より意を用いることになる。多忙さは、たぶんそれがインセンティブになっているのであろう。

1年生の担当ということは、何をさておき入学式であった。
入学式は6日の午後。ところが、生憎2日と3日は土日だった。準備をするのは、4日と5日の2日間しかない。
第1学年を担当する教員の中には、経験の少ない新規採用教員と常勤講師もいる。彼らの指導もしつつ、とにかく準備に遺漏なきよう気を遣いながらの2日間だった。

6日。午前中は、新任式と始業式である。2,3年生の生徒たちが登校してくる。式が行われる体育館は、二つの学年の生徒だけで既にフロアのほとんどが埋められていた。
新任式は、新任の職員紹介に続いて、生徒代表の歓迎の言葉、新任職員代表の挨拶と型どおりに進行して終わった。
続いて始業式。生徒代表が新学期の抱負を述べる。続いて学校長の話。新学期ということもあるのだろう、生徒たちはお行儀よく静かに聞いている。さらに、生徒たちにはお待ちかねの学年・学級担任の発表。
始業式が終わると、それぞれのクラスに戻って新しいクラスへと移動する。そうして午後の入学式の準備。1年生の教室に上級生がやってきて、お掃除をしてくれたり、黒板に歓迎の言葉を書いてくれたりするのである。
入学式の開式は午後1時半。受付はその1時間前からだが、気の早い生徒と保護者は12時過ぎにはやって来る。そのため、少し早めに昼食をいただいて受付に備える。
受付では、市から送られてきた入学通知書を受領して新入生の確認を行い、新しい学級へと案内する(これは上級生が担当)。保護者にはそのまま式場である体育館へと入ってもらう。

さて入学式。式中、学級担任が新入生一人一人を呼名場面があった。どの生徒も大きな声で元気よく返事をしてくれた。
終わって、生徒も職員も退場したあと、保護者には学年主任からひと言お話をする時間が設けられていた。「自立と共生」について簡単にお話をする。
このあとは、人数が多いため半分のクラスが記念撮影、残りの半分はクラスに戻って学級活動となる。好天に恵まれた、いい入学式だった。

7日と8日は、上級生との対面式や、全校のオリエンテーションが計画されていた。学級組織を決定したり、班編成をしたり、清掃分担を決めたりする時間が必要なので、いきなり授業をするわけにはいかない。そんなことをして慌ただしく過ぎていった2日間だった。

大規模校というのは、もちろんそのデメリットもいろいろあるのだが、こと教員に関して言うなら、自分的には大規模校の方が楽しくていい。だって、いろんな先生がいるからだ。教員の人数が少ないと、どうしても話をする人とかが限られてきてしまう。でも、大勢いるといろんな先生と話をすることができるのだ。
また、学年主任をするのも確か7年ぶりだと思うのだが、これまた楽しい。なぜなら、一緒に指導する仲間が10人もいるからだ。
今までやっていた教務主任は、どちらかと言えば「一人職」であった。自分一人であれこれ書類を整えたり、時間割を作ったりしていた。ところが、学年主任には「学年教師集団」なるものを率いることなるので、一人ではできないことも、みんなでやればできるということがある。ここが教務主任とは全く違う。
いやはや、多忙ではあるが、充実した毎日である。

そんな多忙な中で迎えた週末は、土曜日に名古屋での講習会を終えた香川の守さんが、夕方に浜松入りすることになっていた。
新幹線の改札口で守さんをお迎えし、いつもの支部メンバーと合気道浜名湖道場の有志による小宴が行われた。
守さんのご好意で、名古屋での講習会が行われる際には、浜松まで足を延ばしていただけることになったのだ。となれば、韓氏意拳にも正式に入門してご指導を受けるがよかろうということになった。
その記念すべき第1回の浜松教室。3時間は瞬く間だった。自分は2回目だったのだが、「たぶんこんな感じかなあ」というのが、最初の時に比べれば多少なりともつかめてきたような気がした。得難い講習会だった。守さんにはご無理をお願いして、ぜひ定期的に開催していきたいと強く思った。
多忙な新年度に、すばらしい一服の清涼剤となった。