2月15日(火)
濃密な10日間のことを書いておきたい(長いです。すみません)。
2月5日(土)
午前中に荷物の最終チェックを行い、午後の新幹線で大阪へ。
とにかく、わが心ここにあらず状態で、本を読んでも音楽を聴いてもまるで落ち着かない。
大阪に到着後は、ホテルへと直行。このホテル、昨年地デジTVを購入した際のエコポイントで交換した旅行券で予約をした。旅行社には、「関空行きのバスターミナルにいちばん近いホテルをお願いね」と頼んでおいたところ、何とホテルのフロントが22階にある、「ごっつい」ホテルを予約してくれた。しかも、客室は最上階の31階。妻と二人で「うへえ~」と言いつつ旅装を解く。
この日の夕刻からは、大阪のシモムラ先生主催の「てっちり宴会」が予定されていた。場所は、年末に忘年会をして好評だった生野区のふぐ料理専門店。シモムラ先生夫妻、滋賀のニシカワ先生、デグチ先生親子、そしていつもおなじみ大阪のマサキ&モトニシ&マツザワ先生のトリオ。
ちなみに、ウチの奥さんはてっちりをいただくのが初めてとのことで、いたく感動したらしい。堪能してホテルへと戻る。
2月6日(日)
関空行きのバスは、JR難波駅の2階バスターミナルを午前7時40分に発車した。いよいよだと思うと胸が高鳴る。1時間もかからずに関空の出発ロビーに到着。集合場所には既に旅行社のシモヤマさんがいらっしゃった。荷物を預け、今回現地で使用するWiーFi端末を受け取りに行く。海外ローミングを使用するよりも安価だということで、レンタルを予約しておいた機器だ。
程なく、全員が集合して搭乗手続きへ。私たちの搭乗するガルーダ機は満席とのことで、この手続きを終えるのに結構時間を要した。そのうえ、出発時間が急遽15分早まったとのことで、出国審査を終えてものんびり免税店などを見ている余裕はなく、すぐに搭乗口へと急ぐことになった。
出発は午前11時少し前。飛行機に乗るのはいつ以来かしらん、などと思いつつ機上の人となる。フライトは約7時間。途中、読書をしようと持ち出した本も、どうも集中して読むことができない。隣で妻が読んでいるバリのガイドブックの方が気になっていけない。
そうこうしているうちにガルーダはデンパサール空港に着陸。
エアターミナルを出ると、むっとした熱気に身体が包まれる。思わず、長袖シャツの袖を捲る。空港から宿舎であるアヨドヤ・リゾートまではバスで30分ほど。
ホテルに到着してまず驚いたのはそのエントランス。天窓まで吹き抜けになっている広いスペースの中心に、ヒンズーの神様と思しき石像が置かれ、その周囲にソファーが配置されている。テラス越しには中庭の池が見える。
簡単な打ち合わせをと部屋割りを済ませ、各自の部屋へ。この部屋も広い。ベランダからは池のある中庭を見ることができる。興奮を抑えることができないままに、とりあえずは夏の服装に着替えて夕食場所へ。
この日の夕食はバイキングだった。内田先生、ジロー先生と同テーブルで食事をいただく。ああ、バリに来たんだと実感する。
食後は、守さん夫妻も誘ってプールで泳ごうと思ったのだが、残念ながらプールは午後9時にて終了とのことだった。
内田先生の部屋では、カンキくんが持参した牌と、サニーが持参したマットとで「バリ場所」が始まろうとしていた。私たちよりも2日早く社員旅行でバリ入りしていたミツヤスさんも加えてメンツは揃っていたので、しばらく見学してから部屋に戻る。
こんな夜は簡単には寝付けそうになかった。そのうちに、雷鳴が轟き始めた。そしてスコール。その音に誘われるかのように、知らぬ間に眠りに落ちていくバリの序夜であった。
2月7日(月)
朝、日本では聞いたことのない鳥の鳴き声で目が覚める。思わず、ベランダに出て暫し鳥の声を録音する。こういうときにiPhoneはとても便利だ。
朝食は、ビーチ近くのレストラン。曇っていたが、そのうちに薄日が差してきた。どうやら雨は大丈夫そうだった。
この日は、オプションツアーでウブドへと出かけることになっていた。ウブドツアーの参加者は12名。私たちと、守さん夫妻、ジロー先生、サニー、カンキくん、スナダくん、セイちゃん&ネムイシさんの一眼レフコンビ、フルタさん姉妹というメンバーである。
それにしても、バリのマイクロバスのサスは最悪である。道が悪いのかもしれないのだが、ちょっとした凹凸でも激しく上下動が伝わり、思わずシートから転げ落ちそうになってしまうほどなのである。
最初に立ち寄ったのは、木彫りと布製品をあれこれ売っているお店。そうなのだ。こういうツアーは、お店と提携しているから安価な値段で組めるのだ。特に買うものとてなかったのだが、妻は職場の人たちへということで、木彫りのストラップを何セットか購入した。ちなみに、ジロー先生が疑惑のネックレスを購入したのは、このお店だった。
次は銀細工のお店。周囲には水田が広がっていた。銀細工よりも、そちらの風景の方が気になった。ここでは年に3回もお米が収穫できるのだそうだ。このお店でも、ジロー先生は疑惑の単独行動をしていた。
バスはウブドの中心部へと入ってゆく。道の両側には、絵画・彫刻のお店が軒を連ねている。ここは芸術家たちの村なのだ。そうして、美しい棚田が広がる場所へ。思わず歓声が上がる。同時に、物売りさんたちの集中攻撃を受ける。一切受け流してバスへ。
昼食後は美術館。ここで、新婚旅行時に購入してきた絵とそっくりな絵を見つけた。構図といい、筆致といい、描かれた年代といい、まさにこの作者によって描かれたであろうと確信させられる絵だった。
また、この美術館でその美しさに心奪われたのは、庭に咲いていた孔雀花。何とも美しい花である。何とか日本で咲かせることはできないものかと思うほどであった。
お次は猿の森。猿が放し飼いになっているヒンズーの寺院である。ここの猿たちは、ほんとうに人馴れしていておとなしかった。のんびりと座っているポーズとかが、いかにもバリらしさを感じさせてくれた。
そしてウブド市場。ここは、まさに“The Asia”とも言うべき場所だった。まるで迷路のような場所に、所狭しと商品が陳列されている。どの品物にも値札は付けられていない。交渉して購入するのである。それにしても、原価がまるでわからない品物を、日本で買うときの値段を想定しつつ購入した場合には、かなり高く買ったことになるということを後で知った。
最後は、絵画を売るお店。あれこれ見ているうちに、一つくらいは家に飾るために購入しようかということになったのだが、あまりに高価だった。さすがにこれではいらないとバスに戻ろうとすると、何と値札の5分の1の値段でよいと申し出てきた。ならば、と購入することにした。ヒンズーの神、ガネーシャの絵である。バリで買い物をする際には、5分の1までは値切られるということを覚えた。
さて、バスはそのままホテルには戻らずに、ケチャックダンスの劇場へと向かった。到着すると、既に内田先生をはじめホテル残留組の人たちが着席していた。
ケチャは、まだ外が明るいうちに始まった。これはたいへんにおもしろい踊りだった。静と動が絶妙にかみ合って、得も言われぬ雰囲気を醸し出していた。クライマックスでは、トランス状態の主役が燃え盛る火中へ跳び込んでいったのだが、彼が素足であることを終演後一緒に記念撮影をして知った。
興奮覚めやらぬまま、次に向かった場所は王宮料理のレストラン。舞台に並んだサーバーの女性たちが、各自の席まで料理を運んで、次々にそれぞれの皿に料理を盛り付けてくれるのである。特別に料理が美味しかったというわけではないのだが、こうしてサービスされると、つい美味しくいただけるのが不思議だった。料理をいただいたあとは、私たちが料理を食べている間じゅう舞台で踊りを披露してくれていた女性たちと一緒に記念撮影。
ホテルに戻る前に、二次会の連絡があった。どうやら、ビーチで二次会をするとのこと。みなさん、ほんとうにお元気である。
とりあえず、部屋に戻ってシャワーを浴び、ビーチまで出かけようとすると、部屋のインターホンが鳴った。ジュリー部部長さんからで、スコールのためビーチでの二次会は部長さんの部屋に変更になったとの連絡だった。
妻と一緒に伺うと、既に部屋の中はほとんどの人が集まって談笑していた。さすがに午前1時を過ぎて部屋に辞したが、まだ二次会は終わりそうな雰囲気ではなかった。確かに、ショートステイ組にとってはバリ最後の夜である。名残惜しい気持ちは自分も同じだった。
それにしても、長くて濃密な一日だった。
2月8日(水)
バリ最終日。雷と雨の音で目覚める。この日は、とにかくのんびりと過ごすことにしていた。ゆっくりと朝食をいただいたあとは、雨も上がっていたので、妻とホテル周辺を散策してみることにした。
いろんな花が咲き乱れていた。日本で見る夏の花は、「とにかく頑張って咲いている」という感じなのだが、バリの花々は「余裕を持って咲いている」という感じだ。ヘンに自己主張していない。周囲の風景に溶けこんで、よく見ると透き通ったたいへんに美しい色彩を放っているということがわかる。いい感じだ。
そのまま歩いて行くと、バリ・コレクション(ショッピングモール)に着いた。スーパーマーケットがあったので、そこでおみやげにするお菓子などを購入。
ホテルに戻って、一緒に昼食に行く予定にしていたミツヤスさん、ジロー先生、カンキくん、サニーらと連れ立って再びバリ・コレクションへ。ナシゴレンやミーゴレンをいただこうという魂胆である。こういう料理は、やっぱり現地の空気の中でいただいてこそ、よりそのおいしさを実感することができるものであろう。
昼食後は、ミツヤスさんオススメのマッサージへ。足の指先から頭のてっぺんまで、たっぷり2時間ごりごりしていただく。私たちは2階で施術してもらっていたのだが、階下からはジロー先生と覚しき人のうめき声が上まで漏れてきた。
マッサージから戻ると、もうチェックアウトの時間である。急いで荷造りをしてフロントへ。荷物を預けて、バリ最後の夕食。ビーチサイドのレストランで海鮮料理をいただく。テーブルは、内田先生、ミツヤスさんと。先生からは、貴重なお話を伺うことができた。耳福な時間だった。
途中からライブが始まったのだが、興に乗ったミツヤスさんがギターを借りて歌い始めた。あんまりお上手だったのでびっくりした。
さて、ホテルの出発は午後10時半。残留組のケチャに見送られながら、後ろ髪を引かれる思いでアヨドヤ・リゾートを後にする。
空港近くで、“see you soon”のサインボードを見つけた。そうなるといいなあと思いつつエアターミナルへ。搭乗まではだいぶん時間があった。免税店で残った10ドルほどを消化して、出発を待つ。離陸は午前1時だった。関空までは6時間のフライト。夜遅いということもあり、機内はすぐに室内灯が消された。しかし、さすがにシートで熟睡はできない。4時間ほどうつらうつらしたが、すぐに目が覚めてしまった。飛行機はまだ台湾沖だった。沖縄上空に差し掛かったところで朝食。ちょうどそのころ、窓からは朝日がきれいに見えた。
関空には午前8時過ぎに到着。寒い。出国審査を終えて、WiーFi機器を返却し、守さん夫妻とともにJR乗り場へ。特急はるかにて新大阪へ向かう。
バリでは、至るところに人の姿があった。日本は、通りに人がほとんどいなかった。それがちょっと不思議な感じがした。
新大阪にて守さん夫妻と別れ、ひかりに乗車して浜松まで。自宅には午後1時過ぎに到着。何だか和食が食べたくなり、近くのお店で昼食後、そのまま二人とも夕方まで死んだように眠る。この日は、夜になってもまだ浮遊感が残ったままだった。
2月10日(木)
出勤。自分がどこにいるのやら判然としないままに一日が過ぎた。
2月11日(金)建国記念日
この日は、翌日富士宮にて開催される県選抜チームの試合のため、富士宮への移動日だったのだが、朝から雨ということもあって自宅で待機していた。
そのうちに連絡が入り、何とか体育館を借りて練習ができるようになったとのことで、富士宮へと移動することになる。
お昼過ぎ、ヨッシーとオノちゃんが迎えに来た。実は、バリから帰った翌日あたりから、じわじわと腹痛に襲われていた。バリ残留組の人たちに言わせると、どうやら「日本不適応症」らしかった。この日が最悪だった。薬を飲んではいたものの、痛みは一向に収まらない。そのため、練習はほとんど任せ切りにして、車の中で休ませてもらうことにした。
夕方からの小宴も早々に切り上げさせてもらい、部屋のベッドでうんうんと唸っていた。どうやらアルコールのような刺激物は、まったくお腹にはよくないらしかった。
夜、バリで一緒だったフルタさん姉妹の妹さんが、facebookでお友達申請してきた。てっきりお姉ちゃんの方だとばかり思っていたのだが、メッセージを読むと妹さんの方だとわかった。ひとしきりfacebookのチャットでやりとりをしたのだが、おかげで腹痛はかなり紛らせることができた。フルタさんの妹御はユニークな人である。
2月12日(土)
朝、まだ雨は降っていた。どころか雪に変わりつつあった。とりあえず会場へと出向くと、試合は全て体育館内で、ゲーム数を減らして行うとのアナウンスがあった。
わが県のエントリーはA・B2チーム。最初に試合を行ったのはBチーム。相手は新潟県だった。どのペアも競り合ったのだが得点には結びつかず、結果ストレートで敗退。
Aチームは気を吐いた。初戦を突破してベスト8。準々決勝では神奈川県を、準決勝の茨城戦では3ペア全てタイブレークの接戦をものにして決勝へと進出したのである。
決勝の相手は、優勝候補の三重を準決勝で倒して勢いに乗る千葉。ポイントは競り合うのだが、こちらが要所で先にミスをして、結果はストレート負け。
しかし、まだ本戦には1ヶ月ある。何より、結果が伴うことで「やればできる」という実感を得たことが大きい。
腹痛は相変わらず収まらなかったが、結果には十分に満足して富士宮を後にする。
2月13日(日)
完全オフ。朝から炬燵で丸くなる。
お腹は相変わらず。しくしく痛むので、本を読んでいても集中できない。
食事→ネット→読書→寝る→食事→ネット→読書→寝る、の繰り返し。一日があっという間に過ぎる。
2月14日(月)
バレンタインデー。らしい。
チョコレートは食べなかったが、午後になってお腹の痛みがなくなってきた。
2月15日(火)
お腹、完治。バンザ~イ!みなさま、ご心配をおかけしました。(_ _)
と、こんな濃い10日間だった。(最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。)