スーさん、型について考える

11月29日(月)

部活動の指導をしていて気がついたことを少々。

テニスのような、ことラケットスポーツに限っては、ボールを打球する際のフォームについてやかましく言われることが多い。
特に、コーチは選手の一挙一投足を注意深く見守り、「違う、そうじゃなくてもっと左手を前に出して全体のバランスを取って打つんだ!」」とか、「肘が下がってる、打つ前に肘は上がってこないとダメなんだよ!」などと指摘して指導している。
もちろん、「フォーム」なるものは、その競技が始まって以来、「こうすれば最も効率的に力強く、かつコントロールされたボールが打てる」との経験則で自然に固まってきたものであろうから、それを無碍に否定するわけではない。

しかし、ともするとそのフォームに拘るあまり、必要以上に細部にわたって指導してしまうこともある。
初心者の場合は、そんなに細かなところまでは指導しなくても、大凡のかたちができてくればそれでよしとするのであろうが、ある程度のレベルを超えて、さらにそれ以上レベルアップさせようとすると、どうしても細部にこだわって指導するようになるのだ。
そうすると、選手はどうしてもその指導されたことにとらわれてしまい、却ってうまく打球できないというようなことが出来することもある。

「でも、それはそれで仕方のないことなのであろう」と考えてよいものなのかどうか考え込んでしまった。
ほんとうにそれでいいのだろうか。
この場合の「フォーム」とは、例えばボールを打つ際の具体的な身体操作(手足の使い方、身体の他の部分の動かし方など)も含めてのことである。であるならば、「それを指導することがコーチの仕事だろうが」と言われそうである。おっしゃるとおりである。
考えなければならないことは、そのコーチングの方向性である。

例えば、テニスの場合は打点が体に近いと、ネットミスをすることが多い。だから、練習中に打点が近い選手には、いちいち「打点が近いぞ」と注意をすることになる。
そんな場合、打点の矯正に焦点を絞ることも大切だろうが、それだけではなく、「その打点で打たざるを得ない場合はどう打つか」という方向性でコーチングをすることも必要なのではないかということなのである。

もちろん、どんな場合でもベストの打点で打てることが理想であろう。そのためにフットワークを磨き、予測能力を高めることを意識して練習に励むことも大切なことだ。
でも、特に試合の場合にはベストの打点で打てないことの方が多い。となると、「常にベストの打点で打てるようにせよ」という指示も必要ではあろうが、「打点が近くても、ネットせず相手のチャンスボールにもならないような打法も工夫せよ。例えば…」と、その具体的な打ち方を示唆することも、大切なコーチングと言えるのではないかということである。

うまく身体を使うことで、本来なら自由闊達に打球できるはずのところを、打点を気にしながら打とうとするために、つい打法の幅が狭まってしまうというようなコーチングの陥穽に陥ってはいないだろうかということを、時にはチェックすることも必要だと思うのである。

あらゆる体勢で、あらゆる種類のボールがミスなく打てるようにすること。これがテニスの理想である。
しかし、「テニスの打法はかくあるべし」という考えにとらわれると、極めて幅の狭い打法でいろんなボールを打たねばならなくなる。これは技術的にかなり難しいことである。
たった一着のスーツだけで、仕事も結婚式も葬式も賄うことはできない。 TPOに応じて、服も着替えるべきなのだ。

合気道の稽古は、型稽古に終始する。しかし、その型稽古は実に多くの種類がある。だから、それに習熟することで、相手の出方に応じて変幻自在に技が繰り出せるようになる。
テニスの練習もそうありたい。
先日の「気の錬磨・剣杖特別稽古」の際、多田先生は、「一番の杖には杖の使い方のすべての要素が入っている」とおっしゃった。同様に、テニスにおいても、「この練習の中に基本的なラケットの使い方はすべて網羅されている」というような練習法を編み出したい。

ソフトテニスを武術的立場で考えることで、そこから何か新しい発想が生まれはしないか。
そんな試みをこれからも積み重ねていきたい。