スーさん、パスを出す

11月15日(月)

日曜日は、中体連ソフトテニス部主催のサークル研修に講師として招かれたので、今年の新採の先生を含む、主として20代の先生方を前に、ソフトテニスの指導について一席伺う。

若手指導者たちを対象にした指導者講習会は、3年前は県西部地区の先生たちを対象に、2年前は中・高体連の合同研修会でも行ったことがある。
でも、今回の研修会は自分の中では今までとはちょっと違った感じでとらえていた。
大きなきっかけは、先月の内田先生の浜松講演会だった。そのときの日記(10月25日)にも書いたが、先生は「自分のリソースは、先人たちからパスされたものだから、それはパスしなければならない」とおっしゃった。
そのあとで読んだ『街場のメディア論』(光文社新書)にも、先生は「贈与してくれた人に直接返礼をしてはならない。パスは次のパッサーに向けて送らなければならない。そのパッサーがまた次のパッサーに送れるように。」(175頁)と書かれていた。
そんなときに、中体連ソフトテニス部の役員からお話をいただいた。今までだったら、「もう過去に何度かやったからいいよ」とお断りしていたかもしれなかった。でも、今回は先生のお言葉がしっかりと刻み込まれていた。一も二もなく承諾した。

以下、どんなことを「パス」したのか、その要点を記しておきたい。

○初めて顧問になって、具体的に何をどう指導したらよいのかわからないままに顧問を任され、きちんとした指導ができずに子どもたちには申しわけない思いをしている先生も多かろうと思うが、そんな「疚しさ」こそが顧問としての原点である。「疚しさ」」を感じるからこそ、常に「こんな指導でいいのだろうか、もっといいい指導法があるのではなかろうか」と問い続ける姿勢が生まれてくる。

○勝ち負けにこだわり過ぎないようにしたい。「勝つこと」だけを求めることで、見えなくなることも多い。それよりも、実際に練習をしていく過程で、子どもたちがどう変わっていったのかという過程こそが大切だ。

○やたらに練習マッチばかりしていると、自分の指導力が磨けない。じっくり練習で自分の選手たちに向きあって、子どもたちが伸びるための指導を展開したい。

○試合には勝ち負けが伴う。負けの責任はすべて指導者にある。だから、試合に負けた選手たちを見せしめのようにランニングさせたりするのは以ての外。指導者が、勝てなかったことを選手たちに詫びるべきである。

○やたらと子どもたちを叱ってはならない。「じゃオマエやってみろよ」と選手から言われて、選手以上のパフォーマンスができるのか。どうすればできるようになるかということを示唆したり、選手と共に考えたりしたい。

○どう指導したらよいのかわからなくなることもある。そんな時こそ、「師」を求めるべきである。指導者が「師」を仰ぎ見ることによって、その指導者の視線を子どもたちも見るようになる。つまり、より高いものを目指すようになってくる。

○具体的な練習メニューは、いろんな指導書等に載っているもので十分。大事なことは、それらのメニューを、いかに自分とこの子どもたちの実態に合うようアレンジしていくかということ。

○指導するときの言葉、特に比喩の使い方はとても大切。その使い方を工夫したい。比喩によって、すとんと子どもたちの胸に落ちることがある。

○人間の身体が持っている大きなポテンシャルを、具体的にどう発現させていくかということを考えたい。従来の定説にとらわれない柔軟なスタンスを持ちたい。

○技術的な指導は、指導者がどこに目を付けるかということを知っておきたい。例えば、子どもたちの肘の使い方に着目すべきなのに、ボールのインパクトを指摘しても指導にはならない。

こんなことを話したあとは、実際にテニスコートへと移動して、ボール出しの仕方や前衛のポジション取り等について説明した。
どの先生も、熱心に聞いてくれたし、実際にやってみてくれた。拙い説明ではあったと思うが、何かしら掴んでくれたのなら幸甚である。

この職も、そろそろ出口が見えてきている。それまでの間、でき得るだけのパスを出していきたい。今はそんなことばかり考えている。