スーさん、韓氏意拳を学ぶ

11月8日(月)

以下、先週の備忘録を。

3日(文化の日)
朝から横浜へ。みなとみらいホールでの「都響スペシャル横浜公演」を聴くためである。同行はオノちゃん。現地で、音大生のご子息と合流して、一緒に公演を聴くことになっていた。妻と計3名でプリウスに乗り込み、ちょうどお昼に横浜へ到着する予定で浜松を出発した。
出発前、テレビは厳戒の横浜の様子を伝えていた。APECの開催直前だったからである。横浜に到着後、会場近くの駐車場に車を置こうとして、いきなり検問を受けた。どうやら、APECの会場はみなとみらいホールのすぐ隣らしかった。そのため、ホールにいちばん近い市営の駐車場は閉鎖されていたのだ。交通整理をしていた警備員の方にお聞きすると、「クイーンズ・スクエアなら駐車場があります」とのことだった。案内どおりの駐車場に入れ(何と地下4階だった!)、エレベーターを上がると、そこがみなとみらいホールの入口だった。 すぐに娘と待ち合わせを予定していたJR桜木町駅方面へ。ランドマークプラザを出ると、ひどく高いビルがどおーんと建っていた。かの有名なランドマークタワー(70階建て)だった。目の前には帆船「日本丸」。その隣には博物館も見えた。娘との待ち合わせ時間にはまだ20分ほどあったので、「日本丸」と「横浜みなと博物館」も見学してみることにした。日本丸は、今にも航海に出られそうな状態で保存されてあった。博物館もさっと見学して娘と合流。
昼食は中華街でと思っていたのだが、わざわざ電車に乗るのも時間がかかるし、ランドマークプラザ内にもいろんな飲食店が入っていたので、そこで昼食にしようということになった。
昼食を終え、みなとみらいホールへ。正面に立派なパイプオルガンが設えられた立派なホールだった。娘の大学のオケもここでコンサートをやるとか。ここにも警備の警察官がいたが、せっかくなのでホール正面にてその警官に写真を撮ってもらった。
午後2時きっかりに開演。オープニングはベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。演奏は可もなく不可もなしであったが、テュッティでの硬質な響きがちと気になった。続いて、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。初めて聴く曲だった。悪くはない。独奏者の指がよく動いていた。
休憩後は、リムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」。始まってすぐに、どこかからかすかな音楽が聴こえてきた。「ん?誰だよ、ケータイの着メロとか鳴らしてんのは!」と思いきや、鳴っていたのは自分のズボン内のiPhone4だった。知らぬ間にiPodの設定になっていたらしい。かなり慌ててスイッチを切った。指をスライドしないと「電源を切る」ことができないのは、こういうときにはかなり不便だと思った。ああ、あせった。
この日のコンマス、たぶん休日のファミリーコンサートだからと任されたコンマスだったのだろうか、ひどく張り切っていた。というか、力んでいた。いきなりヴァイオリンのソロで音を外しまくった。そのあとの態度がいけなかった。ソロの失敗を悔やむかのように、天を仰いでいたのだ。
でも、そのチョンボも第2楽章のオーボエのソロで帳消しになった。思わず胸がいっぱいになった。全体的には、ところどころで都響「らしさ」はうかがえたものの、「ま、こんなもんかな」という「シェヘラザード」だった。昼間のコンサートということもあったのかもしれない。
終わって、娘を新横浜まで送る車中、娘が「あのコンマスはよくない」と言い出した。「失敗するのは仕方がない。でも、その後の態度がよくない。だって、失敗していかにも悔しそうな態度を取るのって、聴衆に対するリスペクトがないじゃない!」とのことだった。わが娘ながら、たまにはいいこと言うなあと感心しながら聞いていた。

4日(木)
本校の、市教育委員会指定研究発表会当日だった。コメントは控えたい。

6日(土)
夕方、四国から守さんとカンキくんが来浜。守さんは翌日の講習会のため。カンキくんは、日曜日の成田発バルセロナ行きの「途中下車」。
さっそく、守さんからこの日の午後わが家に到着するよう届けられたバランスボード等の荷物を持参して、この日のために貸切予約をしておいたレストランへと駆けつける。
参加したのは、いつもの浜松支部の面々とスガイくん一家、合気道浜名湖道場の有志。会の最初こそおとなしく料理とお酒をいただいていたのだが、前菜が終わると早くも「臨時講習会」が始まった。特に好評だったのはバランスボード。スガイくんの娘&息子がすぐに飛びついた。それからは、料理もお酒も「講習の合間にいただく」という状況を呈してきた。たぶんこうなるであろうという予想から、レストランを貸切にしたのは正解だった。守さんから次々に繰り出される身体操法の数々に、参加者たちは目を白黒させながらも、自分が実際にやってみたり、指導してもらったりしながら、その楽しさを実感させられていった。
いつ果てるともしれない「臨時講習会」も気がつけば3時間以上を経過。あまりお店に迷惑をかけるわけにはいかない(って、十分かけてたと思いますが)ので、ホテル近くの二次会ができそうなお店に連絡を取って、そちらに移動する。
二次会では、専ら「マフェトン理論」のことが話題になった。同行していた妻がひどく興味を持った様子だった。こちらも、あっという間の2時間の余。守さんには、翌日講習会をお願いしているということもあり、名残は尽きないままにお開き。翌朝早く成田へと向かうカンキくんには、支部から「バルセロナで飲んでね」と静岡の緑茶を餞別に。何とも楽しい夜だった。

7日(日)
明けて日曜日。講習会のこともあったから、前日は「バカ飲み」しないようにと気をつけていたので、二日酔いもなく会場である本校へ。到着すると、向こうからヨッシーと、お隣りT中の先生が走ってきた。「先生、体育館でインディアカやるそうなんですけど」と言う。そんなはずはなかった。ちゃんと職員会議でもこの日は体育館を使用させてもらうと確認が取れていたはずだし、教頭だって何も言ってなかった。何でも小学校区のインディアカ大会を本校体育館で行う予定になっていたらしい。でも、おかしなことに本校職員は誰もそれを知らなかった(というか、誰かが忘れてただけなんだと思うけど)。でも、続々と「それらしい」人たちが集まってくる。ぐずぐずしてはいられない。
と、そのときお隣りT中のコーイチ先生が「ウチの学校の体育館なら使えますよ」と言ってくださった。T中ならば、本校から歩いて行けない距離でもない。すぐにお願いをして、関係する先生方と生徒に連絡を入れることにした。
そうこうしているうちに、守さんが到着された。事情をお話してお詫びしつつ、同乗してきたオノちゃんと一緒に、すぐT中へ移動してもらうことにした。何とか連絡の手筈も済み、予定時間より10分ほど遅れて、まずは大人対象の講習が始まった。生徒の講習と時間差があったのが幸いした。参加生徒が多かったため、先生方に生徒のやり方を見てほしいとの守さんからの依頼で、チェックポイントを事前に講習しておくことになっていたのだ。
メンバーは前夜とほとんど変わらなかったが、初めての先生方は、私たちが初めて守さんの講習を受けた時のように驚きの目を見張った。すぐに「守さんワールド」に引き込まれた。
1時間後、生徒対象の講習が始まった。最初は、タオルを使ったストレッチから。すぐにできる生徒や、なかなかできない生徒など様々。でも、生徒たちは楽しそうにやっていたし、何より守さんが近くで見るようにと指示されると、かなり至近距離でしっかり見ようという生徒たちばかりだった。興味津々だったに違いない。
そんな講習もあっという間にお昼過ぎ。そろそろお開きということで、最後はインディアン相撲をやって終了。何とも学ぶことの多い講習会だった。生徒たちも同じ思いだったことと思う。
せっかく浜松まで来ていただいたので、お昼は恒例のうなぎ。いつもは「うなとろ茶漬け」をご賞味いただくのだけれど、駅近くの「支店」はかなり待たされるとのことで、ヨッシーが手配してくれた駅南のお店へ。
守さんの新幹線の時間が3時半過ぎだったので、食後は駅すぐ近くのロイホでコーヒー。最後に、駅にて守さんをお見送りして「濃い」2日間が終わった。
今回、誰よりも大きな関心を示したのは、不肖の妻だった。日曜日は時間休を取っていたのだが、守さんのお帰りの時間が3時半過ぎの新幹線と聞くと、職場に電話をかけて遅れて出勤する旨の連絡をしていた。マフェトンも、すぐに実践してみたいと乗り気満々である。それより何より、「韓氏意拳に入門したい!」と言い出した。
守さ~ん、どうしましょう?