スーさん、「蝉しぐれ」を見る

10月12日(火)

先月に引き続いての3連休。
はじめの2日間は、部活動がらみの2日間だった。
初日は、市民スポーツ祭のソフトテニス競技(個人戦)が予定されていた。しかし、雨のため大会は女子のみが実施するということで、男子は翌日に順延との連絡が入った。幸い、この日は体育館を使用する部は新人大会だったので、本校の体育館は空いていた。ラインは引いていないが、ポールを立ててネットを張り渡すことはできる。その旨、主将のところに連絡を入れ、午前中だけ練習を行った。
午後は、高校の卒業生たちによるコンサートのために帰省していた娘のために、リハーサル会場への送り迎えのアッシーくん。
夕刻からは支部定例会だった。前週、「開店2周年記念」ということで、店名(「波=なみ」)に因んで生ビール73円、サワー173円のお店へ。その後は、これまた支部定例会の場所に指定された雀荘へ。

明けて日曜日。朝には雨は止んでいた。男子の部は、16面のコートを使用して行われた。結果は惨敗。近年稀に見る悪い結果であった。選手は、それなりの技術は身に付けていると思う。だが、どうもそれが試合で発揮できない。これは、今後の大きな課題となるところである。

そうして体育の日。
部活動は休みにした。選手も頭を冷やす時間が必要だろうと思ったからだ。こちらも、何かリフレッシュをと考え、朝から映画を見に行くことにした。「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」である。
セナのファンは世界中に多い。
いったい、セナのどこに惹かれるのか。
それは、たぶんセナが「子ども」だったからだ。
セナがひたすら追い求めたこと、それは誰よりも速く走ることだった。でも、莫大なマネーが動くF1は、政治が大きく絡む世界だった。そのことを熟知していたのはアラン・プロスト。プロストは「大人」だった。

政治は大人の世界である。そんな世界に、一人だけ「子ども」がいた。周囲はその稚気に振り回された。なぜなら、その「子ども」はどの大人よりも速く走ることができたからだ。あまりに勝てないことに業を煮やした大人たちは、言い掛かりとも言うべき干渉を行い、その「子ども」からタイトルを剥奪した。どころか、規定違反として罰則まで科したこともあった。それは、周囲が彼に「もっと大人になれよ」と諭したことでもあった。
しかし、そうやって周囲の大人が彼を何とか大人にしようとすればするほど、彼は大人になるために必要なことを、それが自分の追い求めることに必要だと思われたことは利用しつつ、「ただひたすらに速く走ること」への集中力を増していった。

その集中力は、奇跡とも思えるドライビング(例えば、母国ブラジルGPで初めて優勝した時の6速だけのドライビング)を現出させた。セナ自身は、それを「神」と表現した。
世界中の人々は、まずその「速さ」に魅せられた。
しかし、プロストとの確執を通して、人々はセナがまるで子どものようなことを熱心に主張していることに驚いた。そうして、モータースポーツ世界最高峰のレースの世界に身を置きながら、こんなにも子どもっぽいことを主張していいのかと訝った。
同時に、人々は周囲に妥協しながら日々生きている自分に引き換え、セナのひたすら「勝つこと」にこだわり続ける姿勢に、自分が大人になる過程で失ってしまったピュアな世界を見た。
こうして、その「子ども」は世界中のモータースポーツファンに愛される子どもになった。

しかし、気まぐれな「神」は、いつまでも大人になろうとしない子どもをそのままに放置してはおかなかった。予選から度重なる事故に見舞われていた94年サンマリノGP。ポールポジションからスタートした6周目、高速のタンブレロ・コーナーへ時速300キロ超で飛び込んだセナのマシンはコンクリート壁に激突、帰らぬ人となった。
神は、彼が「子ども」のままでいるうちに、自分の傍へと彼を召した。

映画を見終わった帰り、自宅近くのコンビニで昼食を買い、ついでにすぐ隣にあるTUTAYAでDVDを2本借りた。「蝉しぐれ」と「雨あがる」である。
夕方から、「蝉しぐれ」を見た。
文四郎は、セナと違って「大人」だった。
父が非業の死を遂げようと、ために生活が困窮しようと、反逆人の子どもと罵られようと、ひたすらそれらの逆風に耐え、ひたすら父の汚名を晴らす日が来るのを待っていた。
抗命辞しがたい指示を受けようとも、それを逆手に取って、父の仇を晴らす計略を巡らした。そうして、見事に自らの思いを果たす機会を得た。
セナとは対照的だった。

どちらがいいとは言うまい。
これは個人の「生き方」に関わる問題だ。その選択に関しては、他者の容喙する余地はない。でも、それぞれ精一杯生きたことだけは確かである。
自分も、そんな生き方をしたいと思う。
2本の映画を見て、そんなことを考えた。