スーさん、読書する

10月4日(月)

このところ、読書の仕方が変わってきた。
以前から本は読んでいたのだけれど、今までは何冊かの本を同時に少しずつ読んでいた。ところが、夏休みの終わりくらいから、とにかくいったん読み始めると途中で止めることができず、そのまま最後まで読み切ってしまうようになったのである。
「え?それが普通じゃん」と思われる方もおられよう。
でも、今までの自分は、余程おもしろい本じゃないとそういう読み方ができなかったのである。というのも、自分の場合は未読の「積ん読本」が多いため、つい「あれも読みたい、これも読みたい」と目移りしてしまい、その結果自然と数冊の本を同時に読むような方法が身に付いてしまったのである。
それが、集中して一気読みするようになってきたのだ。

何がきっかけかはよくわからない。
今月、何かあったっけ?と思い出してみると、影響があるとしたならこれしかない、と思えることが一つだけあった。
またか、とうんざりされる方もおられよう。でも、それしか思いつかないのだ。
それは、POWER BALANCEの「首輪」を手に入れたことだ。
9月6日の日記にも書いたが、手首に装着したPOWER BALANCEは、絶大なる効果を発揮した。入手先は、沼津のH先生である。そのH先生から「PBのネックレス装着中。つけてる感覚がなく、鬱陶しさは皆無です。効果はあるのがないのかいまいち分かりません。」なるツイートのあったのがちょうど9月15日。
「あら。首輪も出たんだ。ぜひ次回お会いした時に実費で。」とリプライすると、すぐにケータイに「自宅に直接送りますよ」とのメールが入った。
待つこと3日。「首輪」が郵送されてきた。さっそく、その日から装着してみた。が、肩こりにはさほどの効果はないように思われた。
べつだん、特別な効果を期待して装着したわけではない。体のバランスが取れた生活ができればよい程度の軽い気持ちだった。

しかし、それは装着している本人がまったく気づかないままに静かに、しかし着実にその効果を発揮し始めていたのだった。
9月は本を15冊読んだのだが、そのうちの半数以上(8冊)が「首輪」装着以降の読了だったのである。しかも、その8冊は、前月から引き続いて読んでいた本ではなかった。
自分でも、先月末(29日)には、“このところ自分でも驚くくらいに集中して本を読んでいる。帰宅してから妻が帰ってくるまでの時間は、とにかく「読書ハイ」状態。従来の「活字中毒症状」は、かなりその重篤度を増していると思われる。大丈夫かなあ。”とツイートしているくらいである。

そんなことを先日の支部定例会の折に話していると、話題はヨッシーも手に入れたPOWER BALANCEのことに及び、そのうち誰彼ともなく、「本をたくさん読めるようになったのって、首輪のせいなんじゃないの?」ということになった。そのときは、「そんな効果はないらあ」と受け流していたのだけれど、こうしてここ2週間ほどの読書傾向を探っていくと、どうしても「首輪」に行き着いてしまうことに気がついたのである。

さて、その「首輪」効果?も霊験灼かなうちに、これぞ「今年読んだ本のベストワン!」をご報告。くどいようであるが、「今年出た本のベストワン」ではなく、「今年読んだ本」である。
それは、石光真清の『城下の人』(中公文庫)である。
著名な本なので、既読の方も多かろう(ちなみに、全4巻で『城下の人』はそのうちの第1巻)。
石光真清は、“日本陸軍の軍人(最終階級陸軍少佐)、諜報活動家、大陸浪人。幼名は正三。明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した”(@Wikipedia)人である。そうしてこの著作は、真清没後、長男真人氏により遺稿を手記としてまとめられたものである。
その手記が読ませるのだ。
まるで、一編のドラマを見ているように、小説でも読むかのように読めてしまう。
最初に、「文体、会話、地名などは出来るかぎり現代風に改めた」とあるから、随分と読み易くなっていることを差し引いても、つい頁を繰るスピードが速くなってしまうほどにおもしろく読める。これは、その手記自体が保持しているおもしろさであることの、何よりの証拠である。

具体的に、どういうところがおもしろいのか?
大きな事件に関することを書いていても、それが自分に関わる人たちのあいだではどのような出来事と結びついていったのかということが、いかにも細かいところまで記述されているので、ついその場面を見ているかのような気持ちにさせられてしまう、というようなところだ。

例えば、西南の役で熊本城攻城戦を友人と見に行った際の、薩摩軍の兵士たちとのやり取り。
「こんなところで何をしている」「戦争を見に来たのです」「ふむ、何処の者じゃ」「本山村です」「いく歳になるか」「二人とも十歳です」「何ちゅう乱暴者じゃ、お父さま、お母さまに申し上げないで、こんなところへ勝手に来てはいかん。危いから早くお帰り、お家では心配されていよう」
どうだろう。薩摩軍兵士が、子どもに話しかける様子が眼に浮かんでは来ないだろうか。

また、日清戦争が終わって、まだ抵抗を続けている台湾の掃討戦でのお話、「周花蓮」の章。
ある城を攻撃し終わった際、死屍累々の中から聞こえた泣き声に気づき、銃を片手に死亡していた母親の背に負われた幼児を助けるお話であるが、戦争の推移をいかに具体的に記述しようとも、戦いの最中に助けた幼児に「周花蓮」と名付けるお話の方が、いかに戦争の悲惨さを物語っていることか。

他にも、戦場で罹患したコレラをどのようにして治したかという話など、当時の人々の考えていたことや行動がいかにも生き生きと記述されていて、どの頁を開いても、つい読み耽ってしまうのである。
何より、人が生きるということはどういうことか、ということに思いを至らされる。

こういう著作が残っているということ、そうしてそれを現代でも読めるということの幸せ。これぞ、読書の醍醐味と言えよう。
未読の方はぜひ。