スーさん、マーラーを聴く

6月21日(月)

週末の金曜日は、午後から休暇をもらって川崎へ。
エリアフ・インバル指揮、東京都交響楽団によるマーラー交響曲第2番「復活」を聴くため、会場であるミューザ川崎シンフォニーホールへと出向いたのである。
翌日の土曜日には同じ公演がサントリーホールにて予定されていたのだが、既にこちらのチケットは4月の時点で完売だった。藁にもすがる思いでミューザ川崎公演分のチケットを都響事務局に問い合わせてみたところ、こちらの公演はまだ残席があり、思いのほかいい席を取ることができた。望外の喜びだった。ついでに、娘にも行けるかどうか確認をしたところ「ぜひ行きたい」とのことだったので、その分のチケットも購入することにした(何と、学生割引でS席でも半額だった!)。そうして、首を長くしながらこの日のくるのを指折り数えて待っていたのである。
チケットを購入する段階で、この3月にマーラーの3番を一緒に聞きに行ったおのちゃん、ヨッシー、ハットリくんにもお知らせしたところ、彼らも「ぜひ行きたいっす!」ということになった。特に、オノちゃんとヨッシーはその日静岡市にて県中体連の出張が入っていたのだが、「何とかして川崎まで行きます」とのことだったので、「んじゃ現地集合ね」ということになっていたのである。

金曜日は、午前中が期末試験だった。自分の教科は前日に試験が終わっていたので、すぐに採点を終えて金曜日に備えることにした。午後、急いで自宅へと戻り、宿泊の準備をして、その日と翌日休みを取っていた妻を同乗して自宅を出たのが午後2時半。
外は、バケツの底をひっくり返したかのような大雨だった。東名高速道はまるで川のようだった。前をトラックに塞がれると、ほとんど視界は無きに等しかった。水たまりにハンドルを取られることも屡々。もちろん、速度は終始50キロ規制である。集中力を切らさないように運転して足柄SAにて小憩。
神奈川県に入ると、渋滞の表示が出ていた。どうやら厚木を越えたあたりで渋滞しているらしかった。それでも、ナビの到着予定時刻は午後5時半。さほど心配することはなかろうと思っていた(開演は午後7時)。
確かに、厚木〜海老名間は渋滞していたが、さほど時間はかかることなく、ちょうど5時近くに横浜町田ICから東名高速を降りて保土ヶ谷バイパスへ。この道も、途中で事故が2箇所も発生していたためか渋滞気味だった。

途中、オノちゃんと娘からメールが入った。オノちゃんらは、5時半くらいには川崎駅に着けそうだという連絡、娘からは川崎到着が6時半くらいになりそうとのことだった。だんだん焦ってきた。途中、保土ヶ谷バイパスから首都高神奈川1号線へ。浅田ICで降りてようやく川崎駅へと通じる県道101号に入ったのが午後6時。しかし、そこから渋滞にハマった。路線バスが何台も道を塞いでいて前へ進まないでのある。しかも、途中でホテルに電話を入れて駐車場の場所を確認したのだが、どうもこれが要領を得ない。「口で説明した方がわかりやすいと思いますので、とにかくホテルフロントまでお越しください」と言うばかりだ。
時間は刻々と過ぎる。ようやくホテル前に辿り着いたのが6時20分。どうやら駐車場はホテルをぐるりと回って、一般道から地下へ入っていくらしかった。焦った。ともかくも車を駐車してホテルへと急ぐ。途中、車に傘を忘れたことに気づいたため、チェックインは妻に頼んて慌ててプリウスまで戻る。息急き切って、ようやくホテルの部屋に荷物を置いたのが6時35分。
オノちゃんは、地元川崎にて音楽を学んでいるご子息と待ち合わせているとのことで「先に行ってます」とメールが入った。ヨッシーは部屋にいるらしかった。すぐにヨッシーと待ち合わせ、会場へと急ぐ。娘からは「会場に着いたから」とメールが入った。
時間は6時40分。ミューザ川崎がホテルのすぐ隣の施設だったことが幸いだった。ホテルの2階通路から、そのまま雨に濡れずにミューザ川崎まで行くことができた。すぐに娘に「当日券売り場で、名前言って学生証出せばチケットもらえるから」と電話を入れた。程なく、当日券売り場で並んでいる娘の姿が目に入った。その娘に合図をして入場。

ミューザ川崎シンフォニーホールは、サントリーホールと同様に、ベルリンのフィルハーモニーホールに倣ったワインヤード型のホールだった。座席は波打って傾いているのだけれど、実際に座ってみるとそんな感じはしない。舞台が思ったよりも低いことと、1階席の座席が少ないことが目についた。
汗を拭いつつ待つこと暫し。インバルが登場、徐に両手が挙げられ、弦のトレモロ強奏で曲が始まった。ソナタ形式で書かれた長大な第1楽章、スコアには第2楽章に入る前に「少なくとも5分間以上の休みを置くこと」と指定があるが、それは入場の際に「本日は楽章間の休憩はございません」とアナウンスされていたので、そのまま第2楽章へ。
そうして、第2楽章が終わったところで、インバルが一度舞台袖へと戻り、その間に合唱団と二人の独唱者、オルガニストが入場してきた。全員が揃ったところで再びインバルが登場、第3楽章が始まった。曲はそのままアタッカで第4楽章へ。このアルトの独唱(「原光」)がすばらしかった。その美しさの余韻を残しつつ、さらにアタッカで曲は終楽章へ。途中、舞台裏のバンダとの掛け合いを挟みながら、いよいよ「復活」の合唱が神秘的に入ってくる。思わず瞑目。この合唱を歌った二期会の合唱もすばらしかった。最後は舞台正面のパイプオルガンも加わって、大団円のうちに終曲。深い感動。

日本で、日本の交響楽団の演奏で、こんなにすばらしいマーラーが聴ける時代になった。紛うことなく、インバル・都響のマーラーは、一つの最高水準の演奏に達している。もう今年はこのコンビによるマーラーを聴くことはできない。また来年までのお楽しみということである。それほどに、次回の演奏が待たれるインバル・都響のすばらしい演奏であった。

その興奮も覚めやらぬままに、とりあえず食事をしようということで、オノちゃんジュニアの案内で、川崎駅前のLAZONA川崎プラザ4階中華料理店へ。さらには、駅近くの居酒屋に河岸を替えて、飲みかつ食らい談論風発。「んじゃ、そろそろ帰ろうか」と時計を見ると11時45分。そのまま駅まで娘を送っていったのだが、そんな時間というのに、まだ駅は人、人、人。都会なんだなあと実感させられた。

明けて土曜日は8時に朝食。何と、朝食のレストランは10階だった。泊まったのは「川崎日航ホテル」の19階。ここの朝食はすばらしかった。何より品数が豊富。和食も洋食も、サラダもフルーツもジュース類も言うことなし。思わず、何度もおかわりをしてしまった。たっぷりといただき、ゆっくりとコーヒーを飲んで、チェックアウト。いいホテルだった。でも、このホテルも某ホテルチェーンに買収されるらしい。たとえそうなっても、ぜひこのすばらしい朝食だけはこのままに残してほしいものだ。

さて、せっかく川崎まで来たのだからと、まずは川崎大師に参詣しようということになった。ホテルからはさほど遠くはない。さっそくナビを設定して出発。川崎大師近くのコインパーキングにプリウスを停めて大山門へ。さすがは、初詣客が関東で一、二を争うと言われる寺院である。立派な門前町が形成されているし、それらしい雰囲気が醸し出されている。新築成った薬師堂へもお参りして参道の土産物店を冷やかしに。ここでヨッシーが買った葛餅は、昔から有名な葛餅だったらしい。さすが、食べ物の目利きに関してはヨッシーの右に出る者はいない。

続いて、この日の第2目的地である横須賀へ。日露戦争の日本海海戦で主力艦だった戦艦「三笠」の見学である。自分は以前に二度ほど見たことはあったが、オノちゃんやヨッシーは見たことがないということで行くことになったのである。
川崎から横須賀までは、東京湾の海岸沿いを走る。途中、羽田空港に飛行機の発着するところが見えた。自分は運転をしているので、じっくり見られないのが悔しい。「おお〜」とか、「へえ〜」とか言うのを横目で恨めしそうに見ていた。
湾岸の道は、やがてヨコハマベイブリッジに差し掛かった。通るのは初めて。伊勢湾岸道の名古屋港に掛かる橋とよく似ていた印象だった。やがて、高速道を降り国道16号をひたすら南下。八景島を通り過ごし、横須賀市内へ。
記念艦「三笠」は、米軍基地のすぐ南に隣接した公園内にあった。近くの駐車場から、その艦尾が見えた。「おお〜」と言いつつ、入場券を購入して艦内へ。順路の案内にしたがって、艦尾から船首へ、そうして艦橋へ。そこには、東郷平八郎や秋山真之が立っていた場所にプレートがはめ込まれていた。「おお〜」と言いつつ、艦内へ。有名な「本日天気晴朗ナレドモ…」の電文や、秋山真之自筆の書、連合艦隊解散の辞などを見る。
最後に、「三笠」のすぐ前に建立されていた東郷平八郎の像の下で記念撮影。これでNHK大河ドラマ「坂の上の雲」を見る楽しみがまた増えた。

ちょうどお昼を過ぎていたので、「海軍カレーでも食べようか」という話も出たのだが、手頃なレストラン等も見つからなかったので、そのまま鎌倉まで行って何か食べようということになった。行き先は鶴岡八幡宮。横須賀からは15キロ弱。30分ほどの距離だ。鎌倉に近づくほどに、周囲の風景が変わってきた。骨董品店や仏壇・仏具店が目につくようになったのである。
ちょうど2時近く、鶴岡八幡宮に到着。すぐにコインパーキングに駐車して、参道近くにあったお蕎麦屋さんにて遅めの昼食。
食事をしつつゆっくり休憩してから参道へ。正面やや高いところに本宮が見えた。近づくと、中の「舞殿」で結婚式が行われていた。こういうところで式をするというのはかなり費用がかかるんのであろうか。衆人注目の中での結婚式である。笙の音が辺りに響いて神聖な雰囲気を漂わせていた。
それから、春の強風で根こそぎになった大銀杏の木。「がんばれ大銀杏」の立看板とともに再び植え替えられていた。新しい葉も出ていたので、うまく根付いてくれればと思う。本宮への階段を登って参詣し、お札を購入して鶴岡八幡宮を後にする。

帰りは、お蕎麦屋さんでビールを飲んだ運転手に変わってヨッシーがハンドルを握ってくれた。ヨッシーの運転は極めて安全運転。そのまますぐに助手席で熟睡。気がつくと、東名高速道に入っていた。
行きと違って雨も降らず、順調に浜松へと帰り着く。

前回のサントリーホール行きと同様に、「濃い」コンサートツアーだった。前日の夜はコンサートを堪能し、終演後に一杯、泊まって翌朝はゆっくり起床、昼までに名所を巡り、昼食に地元の美味しいものをいただいて帰るという、新たな「コンサート小旅行」の型ができつつあるように感じる。
よいことである。
みなさん、また行こうね。