スーさん、パサージュについて考える

4月26日(月)

合気道な週末だった。
金曜日は、月に一度の北総合気会山田師範による稽古。この日は、片手両手取りからの技の展開で、最後は二人掛かりと三人掛かり。たっぷりと汗をかく。
終了後は直会。遅くから始まったのだけれど、10名ほどの門下生が集まった。
師範のお話は多岐にわたったが、中でもロシア支部での稽古の様子については、持参されていたiPod touchで実際の稽古の様子等を見せてくださった。200名近くのロシア人門下生を前にしての稽古は壮観そのもの。稽古後のボリショイ劇場での公演のことや、ロシア料理のことなど、ほんとうに貴重なお話をたくさん聞かせていただいた。

明けて土曜日は、午後から浜名湖道場の特別稽古と臨時の昇級審査が予定されていたのだが、朝食時に背中の筋を痛めてしまったため稽古は断念し、午前中の部活動指導終了後、そのまま豊橋へ。
「すぐに読みたい本がほしいと思ったら豊橋のS文館書店へ」というのが、自分の中での不文律である。ベンヤミンの『パサージュ論』(岩波現代文庫)を購入したかったのだ。
どうしてベンヤミンが読みたくなったか。理由は単純で、いつだったかふとつけたテレビで見たパリのパサージュの街並みになぜかひどく惹かれたからだ。で、パサージュのことをネットで調べると、どうやらベンヤミンという人が『パサージュ論』なる論考を書かれていることも判明した。いったいそれはいかなるものにてやあらんと、いや増す興味にこれは実際の書物を見てみないわけにはいかない、という気持ちが嵩じてきてしまったのである。

職場から豊橋へ行くのなら国道一号線に出るのが早い。最近は郊外店の進出もあったためか、だいぶん道路も整備されて、あまり時間をかけずに国道一号線へと出られる。
その国道一号線、浜名湖が太平洋とつながっている今切口の真上を通っている。春の午後、波頭が光る太平洋を左手に見ながら浜名湖上を越えていくのは気持ちのいいことこの上ない。小一時間のドライブで豊橋市へ到着。すぐに市営駐車場へと車を入れてS文館書店へ。
文庫本は2階だ。エスカレーターを昇ってすぐに岩波文庫のコーナーへ。岩波現代文庫もそこに配架されている。探してみた。が、ない。何度も何度も書棚を見た。やはりない。こんなことは、この書店に限って今まで一度とてなかったことだった。ショックだった。もちろん、事前に電話で確認もせずに出かけた自分が迂闊だったと言えばそれまでであるが、目的の本がないなどということは毫も考えだにしないことであったのだ。
仕方がないので、隣の書棚にあった『ベンヤミン・コレクションⅠ』(ちくま学芸文庫)を購入して帰る。これは、巻中に『パサージュ論』にも収められている「パリ-19世紀の首都」なる論考が入っていたからだ。

それにしても、どうしてそんなに「パサージュ」に惹かれてしまったのか。たぶん、日に増してドーナツ化してゆく浜松市の街中のことに引きつけて考えていたのだと思う。わが市の中心部にもこんな魅力的な小径と店舗があればなどと…。
浜名湖も含めて、浜松市にはその魅力を発信できるところが多くある。その発信の方途を具体的に考えている。ひょっとして、ベンヤミンからも何かヒントがもらえるかもしれないと思ったのだ。

帰りは、静岡県と愛知県とを分かつ湖西連峰の峠を越えて浜名湖西岸へと降りる。これまた湖畔の道を浜松へ。このドライブも、その風光の美しさに癒されることこの上ない。特に、浜名湖と奥浜名湖である猪鼻湖とを分かつ瀬戸から東名三ヶ日ICとを結んでいるかつての有料道路、「浜名湖レークサイドウエイ」からの景色はほんとうに美しい。四季折々の湖畔の表情と自然が堪能できる。浜名湖の近くに住んでいてほんとうによかったと実感させられる道だ。もちろん、ドライブのバックミュージックはマーラー。

自宅に戻って、購入してきた本を広げる間もなくバス停へと向かい、駅行きのバスで浜松駅へ、そうしてJR東海道線で浜名湖畔の新居町駅まで。この日、臨時の昇級審査を受けたKくんの「昇級おめでとう&岩手に行ってもお元気で」の会に出席するためである。
浜松駅で電車に乗る際、同じ門下生のタカバさんから宴会場所のメールが入った。新居関所跡のすぐ向かいのお店とのことだった。
電車から見える夕方の浜名湖の景色も、この上なく美しい。駅を降りると、「うなぎ」の看板がやたらと目に付く。そう、ここはうなぎ養殖の本場なのだ。
程なく、「昼は蕎麦屋、夜は居酒屋」なるお店に到着。ちょうど小宴は始まったばかりだった。
山田師範ばかりではなく、いつもは湖西市で稽古している人たちともあれこれいろんなお話をすることができた。つい調子こいて飲みすぎ、帰りはシンシンのクルマの中で熟睡してしまった。楽しい春の夜だった。

同時刻、市の中心部では市中体連の大々的な会合が開かれていた。運動部活動指導に携わる市内殆ど全ての顧問が一同に会して開催される大宴会である。
もちろん、自分はこの会はここ数年参加をご遠慮するようにしている。性に合わないのである。
どうしてそれだけの人数を集めなければならないのか。それだけの人数を集めることにどんな意義があるというのか。どうも権力的な臭いが芬々として、嫌な感じがするから行かないことにしているのだ。
そんな会合より、合気道仲間と飲む方がよほど楽しい。お付き合いのお酒は、体を蝕むだけだ。
そういう年回りになった。

日曜日の午後、午睡のあとでさっそく「パリ-19世紀の首都」を読む。しかし、実際にパリのパサージュを見てみないことには、書かれたことも十分には理解できないのではという思いが残った。
そうして今日。自宅に帰ると、土曜日にネットで注文した『パサージュ論1』(岩波現代文庫)と、ついでに注文した『パリのパサージュ』(鹿島茂/コロナブックス)が届いていた。このついでに頼んだ方の本、何より美しい写真と文章が秀逸だった。これは、死ぬ前にどうしてもパリのパサージュを見てみなくてはという気持ちになった。いつかパリに行ったら。必ず。