スーさんの、テニスな三連休

3月23日(月)

ソフトテニスな3連休だった。
春休み初日の土曜日は、早朝から滋賀県は長浜へ向けて浜松を出発。今年で21回目となる「滋賀・近隣府県中学生ソフトテニス研修大会」(団体戦)に参加するためである。

このところ、3連休の高速道は各所で激しい渋滞を引き起こしている。一律千円は確かにありがたいのだが、「だから渋滞くらいは我慢せよ」というのも困る。
案の定、東名下りはいつもの音羽蒲郡を過ぎた辺りから渋滞が始まった。仕方がないので、これまたいつものようにすぐに東名を降りて国道一号を岡崎まで。そこから名古屋を過ぎるまでは順調に流れたのだが、春日井を過ぎた頃からしきりにナビが「渋滞考量オートリルートを開始しますか?」と聞いてくるようになった。小牧〜一宮JCT間が渋滞しているとの情報は流されていたが、8キロ程度であったからそのまま走ってもどうもなかろうと思っていたのだが、どうやらナビがそのようにアナウンスするときは回避した方が賢明な種類の渋滞らしかった。
果たして、小牧ICからびたりと止まってしまっていた。リルートは選択していなかったが、そこで降りることにした。とりあえず岐阜方面へと走って、国道155号線を名岐バイパス(22号線)まで走り、東海北陸自動車道の一宮木曽川ICから再び高速道へ乗り、一宮JCTから名神へと戻った。そこからは渋滞はなく、米原JCTから北陸自動車道に入ってすぐに高速道を降り、一路試合会場である長浜ドームへ。
試合開始には間に合いそうになかったので、主催者である滋賀県の委員長ニシカワ先生に連絡を入れ、初戦だけリーグ戦の対戦を変えてもらうよう依頼しておいた。到着は9時半。渋滞がなければちょうど2時間ほどで来られるから、1時間半ほど余分に時間がかかってしまったことになる。

到着して早速ニシカワ先生にご挨拶。すぐに試合が始まった。相手は地元滋賀のT中。トップ負け、2番勝ち、3番勝負も勝ってまず1勝。
思わぬ収穫があった。いつも団体戦ではトップに起用してきた後衛選手であるが、普段の練習ではけっこういいボールも打てるのだけれど、こと試合になるとつい気弱な配球とイージーミスが目立ち、なかなか勝てない試合が続いていたのであったが、この日は何かが吹っ切れたように別人のような落ち着いた配球をしていたのである(遠征前に、いつもと同じような試合ぶりなら団体メンバーから外す旨を言渡してあったのが効いたのかもしれない)。
もう一つは、1年生後衛に2年生前衛を付けて3番に置いたところ、堂々の試合ぶりで3番勝負を勝ってくれたことである。
これで気をよくしたか、続く第2試合も滋賀NK中に3番勝負で勝って予選を1位で通過することができた。

決勝トーナメント、初戦の相手は京都のO中。大将後衛が選抜チームで抜けていたおかげか、この試合も勝ってベスト4。続く、準決勝は何と滋賀県選抜チームであった。さすがに県代表にも勝てるだけの実力はない。何とか食らいつこうとはしたのだが、鎧袖一触で撃破されてしまった。でも、選手たちにはいい経験となったはずだ。
同じく浜松から参加したシンムラくんとこのK中は、何と決勝まで進出した。しかし、相手は滋賀県選抜チーム。シンムラくんのK中にもわが静岡県選抜チームの前衛選手はいるのだが、フル代表にはさすがに歯が立たなかった。それでも2位は立派である。
終わって、京都府は宇治市へと移動する。翌日からの「五里五里の郷中学生ソフトテニス研修大会」に参加するためである。

宇治市の宿はこのところいつも宇治川畔の民宿「亀石楼」。どの部屋からも水量豊富な宇治川を眺めることができるいい宿である。
夜は、主催者である京都NJ中のミヤタ先生、K中のキシ先生行きつけの近鉄寺田駅すぐそばの「和壯」。創作料理と豊富な種類のお酒の飲める瀟洒なお店である。
おいしい料理に舌鼓を打ちつつ、地元スタッフの先生方との話も弾んで知らぬ間に二更も過ぎようかという時間である。途中、コンビニでまた宿で飲むための酒類やつまみを購入して帰る。

明けて春分の日。
「五里五里」の研修大会は個人戦からスタートしたが、長浜ドームでは同じ日程で各県選抜チームによる研修大会が組まれていた。監督である自分と、スタッフのヨッシー、オノちゃんは、それぞれシンムラくんや副顧問に「五里五里」個人戦の面倒を見てもらうよう頼み、同じく京都府選抜女子チームの監督であるミヤタ先生の車で、黄砂に霞む名神を長浜へと向かったのである。

この日、長浜に集まった選抜チームは12チーム。遠くは、徳島県や島根県からも参加していた。試合は4チームによる予選リーグと予選順位で組み合わせられた決勝トーナメント。本県は、石川・愛知・京都のリーグに入っていた。
試合が始まった。初戦は京都。前回も岐阜の多治見で対戦しているが、その時は大将ペアが不在だったとのことだった。その大将ペアには負けたがそれ以外の2ペアは勝ってまず1勝。しかし、続く愛知と石川には大将ペアしか勝てずに敗退。結果、予選は3位通過となった。

決勝トーナメント、初戦の相手は島根。T中選手による単独チームである。後衛にU-14で最終選考まで残った選手を二人も擁しているとのことで、かなりの実力を有するとの評判だった。しかし、試合はやってみなければわからない。その二人の後衛相手に堂々と渡り合った本県ペアが、1,2番ともに勝ったのである。

続く相手は奈良。昨年も、奈良とはこの大会の決勝で対戦した。昨年の奈良は、本番である都道府県対抗戦で、男子が準優勝、女子は優勝を飾った。全国でも屈指の実力を持つ県である。当然のこと、そのための強化費も本県の5倍以上と噂に聞く。今年も、昨年に負けず劣らずの実力ペアを擁しているとのことであった。
トップの大将戦。多分に試合馴れしていると思われる相手後衛の繰り出す配球に、こちらの前衛がついていけない。要所でその前衛のところに打たれてポイントを奪われる。結果、1ゲームを取るのがようやくというところであった。2番はこちらが粘った。タイブレークまで縺れたが、何とか勝つことができた。3番勝負、こちらの強打をうまくロビングでかわされ、我慢できずに打つボールを相手前衛にポイントされる。この試合も、何とか1ゲームは取ったもののそれで終わってしまった。さすがに簡単には勝たせてはくれない相手であった。
時間があったので、そのあと再び石川と練習マッチをして長浜を後にする。昨年もそうであったが、この大会は本番前の仕上がり具合をチェックするのにひじょうにいい機会となる。昨年のような結果を残すことはできなかったが、本番までの各選手の課題をはっきりさせることができた。

途中、長浜ドームの外を見ると何と土砂降りの雨であった。それに気温もどんどんと下がっているようで、寒いことこの上ない。浜松を出るときには、確か「3連休の最高気温は20度以上」と聞いていたので、グラウンドコートは持参せずに来たのだが、持ってくればよかったと激しく後悔した。
再びミヤタ先生の車で宇治へと戻り、何はともあれと風呂に入って体を温める。この日の宴会はJR宇治駅近くの家庭料理のお店。地元O中のI先生御用達のお店だそうだ。どの料理もしみじみと美味しい。風呂上りのビールが堪えられない。前日よりは少し早め、そろそろ二更も終わろうかというところで宴会はお開き。さすがにこの日は宿で飲むこともなく爆睡。

最終日。「五里五里」団体戦。予選リーグの相手は、兵庫H中と奈良K中。いずれも、強豪校と全国に知られたチームである。勝てるはずがない。予定どおりリーグ最下位で決勝トーナメントへ。
その1回戦の相手は、何とシンムラくんとこのK中だった。実は、予選リーグが終わったところで、そのあまりに不甲斐ない試合ぶりに業を煮やし、選手たちにはひどく激を飛ばしたところであった。そんな事情もあってのことだろうか、予選リーグとは打って変わった試合ぶりでK中には勝つことができた。怒り心頭のシンムラくん。
その後の準々決勝は、淡路島のA中に撃破されて6位という結果だった。おかげで、だいぶんこの先の指導のポイントや選手起用がはっきりしてきたような気がする。

いつもそうだが、収穫の多い大会であった。だからこそ、こんな遠くまで遠征をするのである。つまりは、やたらと催される凡百の研修大会と違って、長浜や宇治の大会は「かけがえのない研修大会」ということである。主催者であるミヤタ先生とキシ先生にお礼を言って宇治を後にする。

渋滞の予想がつかなかった。とりあえず、京滋バイパスに乗ったが、仰けから時速20キロくらいの渋滞。草津のJCTから第2名神はすいすいと走れたが、東名阪道との合流地点で再び停車と発車を繰り返す渋滞。そのまま御在所のSAまでのろのろ運転であったが、そこを過ぎると嘘のように走り出した。伊勢湾岸道は快調だったが、またしても今度は東名との合流地点である豊田JCTが大渋滞。つまりは、横入りをする車で後ろが詰まってしまうのである。何とか東名に合流したものの、そのまま岡崎を過ぎるまでは渋滞が続いた。
浜松西インターを出たのは午後8時半。宇治を出たのが午後3時半だったから、途中の休憩を入れても5時間はかかっているということだ。渋滞がなければ凡そ3時間のドライブだと思うのだが。
途中、何度か止まった際に、すかさず「交通情報」メールを後続のシンムラ、オノ、ヨッシーに向けて発信した。曰く、「東名阪道は全く止まってるわけではないので、亀山から下に降りる必要なしと認む」とか、「亀山から鈴鹿まではいちばん右車線を走るべし」とか、「豊田の合流地点はぎりぎりまで右車線を走行すべし」などというメールである。どうやら、かなり正解だったようで、後続車からは「情報のとおりでした!」などというお礼のメールが返ってきた。困ったときは、助け合うのである。

ぐったりと疲れて帰宅。
帰省中の娘の顔を見たら少し元気が出たが、さすがに今朝は起き上がることができないくらいであった。何とか出勤したが、さしあたっての業務はなしとの教頭の判断で、お休みをもらって自宅にて蟄居。
明日から、新年度の会議が始まる。またもや机上のノートPCから目を離せない日が2日間続く。そうして、26日からは三重県伊勢市にて都道府県対抗戦。たぶん、ネットブックを持参で、伊勢でも書類づくりをしないといけなくなるような気がする。
どうしてこんな状態になっているかという原因ははっきりしているのだけれど、まあいいや、言っても詮無いことだし。
もう、こういう生活もそろそろ終わりにしたいと真剣に考えるようになった。