スーさん、リーダーシップについて考える

2月8日(月)

珍しく県選抜の練習が入っていない土日だった。
両日とも、午前中は部活動の指導、午後は家の炬燵で丸くなるという、判で捺したような生活だった。
でも、こういうふうに過ごすのが、何より心も体も休まる。

土曜日は、晡時よりいつものメンバーでの小宴。
「リーダーシップ」についての話題になった。例えば、校内で対教師暴力が発生した。さて、どう対処するか?
校内で最終決定権を持つのは学校長である。そこで、
①何より、学校長がそのリーダーシップを発揮して的確な指示を出し、速やかに事態の収拾にこれ努めるべきである。
という意見と、
②学校長にもいろんなタイプがあるのだから、まずは部下が意見具申を行い、学校長にはそれに従って具体的指示を出してもらうようにする。
という意見に分かれた。

さて。
もちろん、ケースバイケースで具体的な対処法は異なってくるのであろうが、対教師暴力というのは学校にとっては非常事態である。非常時に、部下があれこれ話し合いつつ善後策を協議など、とてもしている暇はなかろう。ゆえに、自分が主張したのは前者(①)である。

かつて、太平洋戦争を戦った旧日本海軍は、官僚主義の悪弊に陥っていたと言われる。
その官僚主義については、マートンによる「官僚制の逆機能」についての指摘が有名である。(@Wikipedia、以下も)①規則万能(規則に無いから出来ないという杓子定規の対応)、②責任回避・自己保身、③秘密主義、④前例主義による保守的傾向、⑤画一的傾向、⑥権威主義的傾向(役所窓口などでの冷淡で横柄な対応)、⑦繁文縟礼(膨大な処理済文書の保管を専門とする部署が存在すること)、⑧セクショナリズム(縦割り政治や専門外の業務を避けようとするなどの閉鎖的傾向)などである。

太平洋戦争の帰趨を決したと言われるミッドウェー海戦で、日本海軍機動部隊を指揮したのは南雲忠一中将だった。もともと「水雷屋」と言われた彼が畑違いの機動部隊の指揮を任されたのは、“優柔不断と評される一方で、一度決めた作戦ならばそれを徹底して進める人物でもあった”(@Wikipedia)からとも言われている。まさに、「官僚主義」の賜物であったと言えよう。
彼は、ミッドウェー島への攻撃部隊収容に際し、米空母発見の報に接して、第2次陸上攻撃用に装備していた爆弾を艦船攻撃用の魚雷に兵装転換を命じ、ために攻撃隊の発進が遅れたところを米攻撃機に急襲され、機動部隊主力の空母4隻と3千人の尊い人命を損失するに至った。

問題の兵装転換に際しては、
“第二航空戦隊を率いていた山口多聞少将はこの混乱は危険と判断し「現状況は一分一秒を争う。地上爆撃用の爆弾でもアメリカ海軍空母の甲板を破壊すれば発艦できなくなるのでこのまますぐに発艦し攻撃すべし」との考えから、信号で駆逐艦を中継して「直ちに発艦の要ありと認む」と進言した” (@Wikipedia)が、却下された。
このとき、実際に空母「赤城」の飛行甲板上にいた淵田美津雄は、『真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄の自叙伝』(講談社)の中で以下のように書いている。
“古来、兵は拙速を尚ぶのである。私は思った。ミッドウェー基地反復攻撃に備えていた第二波攻撃隊を直ちに発進させなければならない。兵装は陸用爆弾であった。けれども、陸用爆弾だって、敵空母の飛行甲板をぶち破って、その発着機能を封ずるだけの威力はあるのであった。あとの始末は、そのあとでゆっくりやればよいのである。
私はやきもきしていた。けれども、南雲部隊司令部は、拙速よりも巧遅に惰した。”(205〜206頁)
いくら部下が「やきもきしていた」としても、実際に攻撃隊発進の命を下すことはできない。命令するのは南雲長官であった。かくて、“急降下爆撃機による爆撃によって「加賀」4発、「蒼龍」3発の爆弾を受け瞬く間に炎上、旗艦である「赤城」にも2発の爆弾が命中して炎上した。”(@Wikipedia)

非常の時こそ、組織の「長」たる人間は、そのコンティンジェントなリーダシップを発揮することが求められる。なぜなら、「兵は拙速を尚ぶ」からである。
しかし、「官僚主義」に陥っている指揮官には、そんな指示をすることができなかった。
これは組織の大小にかかわらず、いずれの組織についても斟酌しなければならないことではなかろうか。
もしも選ばれてその任にあたるのであれば、その役どころの自覚と決断力の涵養は常に自らに科さねばならないことは言を俟つべくもないが、自らが「官僚主義」の悪弊に陥っていないかと自省することも必須のことであるように思う。事ほど然様に、リーダーシップを発揮するというのは難事なのである。

寒さもあって、小宴では日本酒の熱燗に終始した。話の内容もあって、だいぶん酔いが回った。
そんな状態での打牌は乱れた。半荘を4回ほどやったが、ほとんど最下位であった。酒席であんまり重たい話をしてはいけないと自省した。
後悔先立たず。