スーさんの休みなき週末

2月1日(月)

ソフトテニスな土日だった。
土曜日は、浜松市の1年生大会(団体戦)。予選リーグと決勝トーナメントの2回戦までが行われた。
本校は、予選リーグこそ1位で通過したものの、決勝トーナメントではシード下から勝ち上がってきたS中に3番勝負で敗れ、ベスト8入りはならずという結果だった。
言い訳をするつもりはないのだが、先週初めから1年生の大将前衛がインフルエンザに罹患して、試合前日にようやく登校できるようになったという状況もあった。もちろんその間はまったく練習はしていないので、当日もやはりその選手のミスが多く、負けた試合もその選手のペアが3番だったということもあった。しかし、それまでの練習の積み重ねはあるはずなのだから、敗戦は敗戦として厳粛に受け止めなければならないであろう。

また、これも言い訳めいてしまうのだが、このところ毎週のように県選抜の練習が組まれていて、じっくり指導できる土日のどちらかは自校の練習ができないという状況もある。
県代表チームの監督を任せられているのだから、それはそれで自らの務めを果たさなければならないのではあるが、そうやって他校の選手たちを指導しながら、ふと「こうやって他の学校の選手を一生懸命に教えてると、自分とこの選手とは差が開く一方だよなあ」と思ってしまうこともある。
特に、今回のように自チームが試合で負けてしまうと、よけいにその感を強くしてしまうのである。

気が晴れぬままに、夕刻からは久しぶりにシンムラくんも加わって、いつもの中華料理店で小宴。
このところ、小宴には毎回参加の**氏は、所謂「荒れている」学校に勤めているので、こういった気の置けぬ仲間と飲む時などには、つい愚痴の一つも漏れようというところであろうが、上からは「やたらと学校の様子を外で話すな」というご指導が為されたとのこと。もちろん、**氏とて地方公務員としての守秘義務に抵触するようなことを話したりはしていない。ちゃんと授業や部活動の指導を行いたいから、その環境を整えるにはどうしたらよいかということを話題にしているのである。そもそも、最もその責を負うべきはいったい誰であろう。そのことをよく理解していない管理者では困るのだ。

試合会場では旧知の先生とも顔を合わせる。かつては、しんどい学校で同じ学年を担当した戦友のような間柄の先生。「最近はどう?」と尋ねると、「生徒がよくないと、すぐに学年主任や担任の所為にさせられるんですよお。やってらんないっす」と曇った顔で答えた。困った話だ。これでは、心身を病む先生たちが増えていくばかりだ。こういう実態を、上は承知しているのだろうか。
試合で負けた気分も手伝って、いつもより悪酔いした感じのままに雀荘へ。
それでも、最近は大負けしなくなった。試合で勝てないと雀運は上がるということであろうか。

明けて日曜日は、県選抜の練習会。今回は焼津市の総合体育館のサブアリーナである。
焼津と言えば「焼津さかなセンター」、違います、「かどや」です。
昼に「かどや」へ行けることのみを何よりの愉しみとして、早朝に浜松を出発する。
前回、沼津K学園高のスガイ先生より指導を受けた前衛陣であるが、見違えるほどに上達している選手もいた。やはり、選手によっては相当のインパクトがあったのだと思った。
ひとしきり練習して、お待ちかねのお昼。正午ちょっと前に席の予約電話を入れ、まっすぐに「かどや」へと向かう。
定食の他に、「ホタテの醤油焼き」、「カキフライ」、「桜海老のかき揚げ」等が追加注文された。「うまい!」という言葉を発するのももどかしく、それらの料理は次から次へと平らげられていくのであった。
十分に満足して「かどや」を後にする。

午後からは、サブアリーナの後ろがやや狭くて試合をするには不適当ということもあって、外のコートを借用してゲームをすることにした。来る2月14日、富士宮に関東を中心とした選抜チームを集めて行われる研修大会に出場する選手の、カップリングを確認するのが主たる目的である。
そのまま午後4時過ぎまでゲームを行い、何とかカップリングの目処は立てることができた。後は、実際の試合ぶりを見て、最終的に都道府県対抗戦に出場する4ペアを選考することになる。

ちょうど試合が終わった頃から降り出した雨の中を、浜松へと帰る。
こうして、ソフトテニスな土日が終わった。
どうも、休日は家でのんびり過ごす時間がないと、休んだような気にならない。自分も年を取ったものだとつくづく思う。
でも、まだこんな土日が3月末まで続く。
Twitterでもしながら、気を紛らせようと思う。

そうして今日、如月初一。
昨日までほぼ30年にわたって取り続けてきた、地元紙の契約を解除した。いちばんの理由は、記事がおもしろくないからである。
もちろん、同時に取っている毎日新聞とは同日の談ではないのだが、それでも毎日新聞には記者が自ら足で稼いで記事を書いているという感じがある。
地元紙の場合は、取材をお願いしたところに出向いて紹介するという体の紙面づくりである。もう、そういう記事は読みたくない。
リージョナルなメディアは、内田先生や(http://blog.tatsuru.com/2010/01/10_1144.php)、140Bのオーサコくんも書いている(http://www.140b.jp/blog/2010/01/post_553.html)ように、「ミドルメディア」であるべきである。
それについては、ちょっと考えていることがある。もしも実現可能であれば、現職を辞してもやってみたいと思っていることがある。今から少しずつ準備していくつもりだ。

サリンジャーが亡くなった。
その報に接した先週の金曜日、『九つの物語』(集英社文庫)を購入して帰った。