スーさん、黒帯をとる

11月24日(火)

「濃い」3連休だった。
土曜日は、北総合気会浜名湖道場の昇級・昇段審査。
以前、この日記にも書いたように、手前は師範より初段の審査を受けるよう申し渡されていた。
周囲の道場生からは、「気楽にやればいいよ」とか、「途中で吐いたりしなきゃ大丈夫だから」などと慰撫されて、だいぶん気持ちは楽にはなったものの、それでプレッシャーがなくなったかと言えば嘘になる。
どころか、かなりのプレッシャーを感じていた。さすがに、審査当日は部活動の練習を休みにした。部活動の指導をしてから審査会場へと向かう精神的な余裕など、皆無だったからだ。
その日の午前中は、道場仲間のタカバさんが撮ってきてくれた、北総合気会「基礎鍛錬会」のDVDを見ながら、捌きの基本を復習していた。所々、一時停止やコマ送りをさせながら、じっくりと足の運びを中心に観察した。納得するところ大なるものがあった。多少は不安も取り除かれた。
会場への道すがら、内田先生から教えていただいた審査にあたってキーワードや、ウッキーからのアドバイスをもう一度思い出しながら、「もう、こうなったら、頭ではなく自分の身体がどれだけ技を覚えているか楽しむつもりでやろう!」と決意した。
もちろん、こんな喩えは不遜であろうが、決闘に行く武士ってこんな気持ちだったのかもしれないと思った。さぞかしイヤだっただろうなあと思ったのだ。
ロッカールームに入ると、ちょうど山田師範も着替えをされているところだった。「どうですか?」と尋ねられたので、「もうどうにでもなれって感じです」と答えると、「いやいや、もう次から次へとみんなを投げ飛ばしてやればいいんですよ」と、大笑いされつつお答えになった。

審査が始まった。はじめは小学生。続いて新しく入門した若者2人の5級。3級の女性が終わって、いよいよ手前の番である。
やる前は、道場生筆頭格のナカムラさんから、「たぶん、二段を受けるタカバちゃんと途中までは一緒にやると思うから」と言われていたが、名前を呼ばれたのは手前一人だった。
座りの固め技から始まった。これは1級の時も同じだったので予想はしていた。続いて、座りの入り身投げ、小手返し。半身半立ちからの両手取り四方投げ、片手取りからの回転投げ(内、外)など。ここまでは何とかこなせた。ミスは、四教の裏で持ち手を間違えたことと、五教の捌きくらいだったと思う。
続いて立ち技。片手両手取りからの小手返し、入り身投げ、四方投げ。途中で、師範から入り身転換からの技がないとの指摘を受けた。
さらに、後ろ両手取りからの入り身投げ、固め技。このあたりから息が切れてきた。
後ろ両肩取りからの固め技(二教裏、三教)の途中で、再び師範から指導が入った。二教の裏のやり方が間違っていたからだ。
これ以降は、何の技を指示されたのか覚えていない。とにかく、最後の方は腰が痛くてたまらなくなってきた。ナカムラさんからは、「最後は自由技だよ」と事前に言われていたので、両手取りからの自由技にしようと考えていたのだが、師範からは「では、座りの呼吸を」との指示がなされた。たぶん、腰を痛そうにしていたので、お許しが出たのかもしれなかった。
かくして、後半はよれよれの昇段審査は終わった。
他の道場生からは、「力強かったよ」とか、「よく体力もったじゃん!」とか言われたが、たぶん後でビデオを見れば、目を覆わんばかりの技にしかなっていないだろうと思う。
それでも、よくやったと自分で自分の身体を褒めてやりたい気分だった。よく身体は技を覚えていてくれた。
暫時休憩の後、タカバちゃんの二段の審査が始まった。途中から短刀取り、二人取りの技も指示された。よく捌いて技をかけていた。ここまでできなきゃ二段にはなれないのだと実感させられた。自分には途方もなく遠い道であろう。

終了後は浜松駅近くのビアホールにて直会。席が山田師範のすぐ隣に用意されていた。初段の時は師範の隣に座る決まりになっているのだそうだ。「先生、自由技なかったですね」と尋ねると、「やらせようと思ったんだけど、ちょっとしんどそうにしてたからなあ」とおっしゃった。やはりそうであったのだ。
その日の夜は、痛飲した。

日曜日、午前中は痛む膝と腰を引き摺りながら部活動の指導。午後は家でTUTAYAからレンタルしてきた「ワルキューレ」のDVDを見て過ごし、夕刻からは昨晩に引き続いて浜松駅へ。
少し前に、「東京から帰る途中に浜松で途中下車したら、鰻をご馳走してくれますか?」と、何とも厚かましい連絡をしてきていた、「N氏」こと大学院内田ゼミ聴講1期生同期の「ジョンナム」ナガミツくんをお迎えするためである。
仕方がないので、彼の希望を容れ、浜松駅の近くで飲んで鰻も食べられるお店を探しておいた。
こちらのお迎えは、オノちゃん、ヨッシー、シンムラくん、オータくんのいつものメンバー。特に、オータくんはお初にお目見えということで、「楽しみです!」とN氏との邂逅を心待ちにしていた。

6時半過ぎ、件のN氏が登場。「いやあ、7年ぶりの思いがやっとかないましたあ!」と抱きついて来た。恥ずかしいので、すぐさま駅南の件のお店へ。
生ビールでの乾杯後は、東京での「のりピー」ネタから始まって、N氏の爆裂トークは止まることを知らない。その間、「うむうむ、これはうまいっす!」と言いつつ、浜名湖の海の幸に舌鼓を打っている。
ヨッシーも、よせばいいのに、「せっかく浜松に来たのだから」と、鰻関連メニューを次から次へと注文した。「上うな重」、「うまき」、「きも焼」、「うなぎの酢の物」などが続々と運ばれてくる。その度に垂涎の表情を垣間見せつつ、すかさず箸をのばすN氏。
途中から、仕事帰りの不肖の妻も加わって、N氏のトークはさらに盛り上がりを見せていった。気がつけば、あっという間の3時間。京都行き最終の新幹線の時間が迫っていた。ほくほくと満足顔のN氏を見送る。なあに、これでわれらが京都へ出向いた際には、N氏のおごりで先斗町で舞子はんも同席しての宴会を催してもらえるのだから、そう考えれば安いものだ。(ナガミツく〜ん、今度京都に行ったら祇園に行こうねー)
それにしても、濃密な時間だった。もちろんおもしろい話の連続であったが、決してその内容の知的レベルは低くはなかった。自分も、カール・シュミットの著作や、サルトルについて話ができた。得難い時間だった。

明けて月曜日。この日は、夕刻から本校職員の通夜が予定されていた。土曜日の朝、急逝されてしまったのだ。もちろん、現職である。
その通夜、教え子の卒業生や、現役生とその保護者、もちろん他校の先生たちなど、凡そ千人が参列してくださった。あまりに突然のことだったので、自分も含めて、俄には現実を受け入れられない人が多いのではないかと思う。
自分だって、いつ同じようになるか定かではない。そうなっても最低限周囲が困らないようにだけはしておかなくては、という思いを強くした。
心からご冥福をお祈りしたい。