スーさん、秋の小旅行する

11月17日(火)

日曜日から箱根に行っていた。
毎年恒例にしている妻との「秋の小旅行」である。
いつもは、伊豆の大沢温泉に行っていた。しかし、職場に出入りしている旅行業者から、ある人物が大沢温泉ホテルに行ったという話を聞いた。以前から気にくわないと思っていた人物だったから、「なにい?あんなヤツが行くってか!なら、オラもう行かね」と行き先変更を決めたのが9月。
そんな折り、たまたま箱根のポーラ美術館から職場にご招待状が届いた。美術担当教諭から、「行く人いたら連絡してくださ~い」と案内されていたのだが、誰も希望の申し出がなかった。「なら、オラ行くだ」と希望して、無料入場券をgetしたのだった。
さらには、JTBが発表した「2000人が選んだ全国の温泉地ベスト10」のトップに輝いたのが箱根だったということもあって、「ん?箱根って、そんなにいいとこなんだか?んじゃま、行ってみるべ」と行き先は自然に箱根へと決定されていったのである。
さっそく、R天トラベルで検索をしてみたが、一口に箱根と言ってもその宿の数は半端ではなかった。かくなる上は、検索条件を絞って宿を決定するしかない。条件①は源泉掛け流しの湯であること、条件②はできれば部屋に露天風呂が付いていること、条件③は値段であった。さすがに一人20Kを超えるようなところには宿泊できない。
でも、条件②を値段的にクリアするのは難しかった。ならば、せめてお風呂の充実している宿を、というところで決定されたのが今回宿泊した旅館であった。場所を湯本にしたのは、その地名から、いかにも箱根温泉発祥の地という感じがしたからだった。

日曜日、きっと高速道は混んでいるだろうと思っていたのだが、それが意外と空いていた。すいすいと走って御殿場インター出口へ。この出口が多少混んでいた(ETC出口より一般出口の方が空いていた)が、そこから箱根方面へ向かう車は少なく、これまたすいすいと走って、あっという間に仙石原へ。
目指すポーラ美術館へ行く途中ということもあって、有名なススキの草原へ立ち寄ることにした。
日曜日ということもあって、駐車場はどこもほぼ満車であった。何とか1台止められるスペースを見つけて車を置き、ススキの草原へ。それにしても、人、人、人である。でも、その人の波が隠れてしまうほどのススキの大群落である。何か、映画の舞台にでも入り込んでしまったような不思議な感じがした。
放っておくと妻はどんどんと先へ歩いていってしまいそうだったので、「おおい、もうこの辺で引き返そうや」と呼び止めて車に戻る。時間はまだ午前11時であった。どこかでお昼を食べてポーラ美術館の見学と考えていたのだが、そのまま美術館も見学しちゃおうということになった。

そのポーラ美術館。いかにも、美術館らしいお洒落な建築であった。印象派の作品が多く展示されているとのことだったが、実際に「え?この絵見たことある!」という作品ばかりで驚いた。
個人的には、マティスの作品が気になった。そう言えば、ヒンデミットが作曲した「画家マティス」という交響曲があったよなあと思い出したが、曲は覚えていない。とにかく色遣いがひどく印象的だった。
「ふーん」、とか「ほほう」と見入っていると、お昼を食べていないことも忘れてしまうほどだった。駐車場に戻って気づいたことなのだが、なぜか駐車してある車はジャガーがやたらと多かった。アストンマーチンも2台ほど止まっていた。かような美術館に来る人というのはエゲレス製のクルマを好むのだろうかと思いつつ、ポーラ美術館を後にした。

時間は1時前。ナビを見ると、湯本の旅館までは30分もかからずに行けることがわかって、「じゃあ、お昼は湯本でお蕎麦でも」ということになった。
そのまま国道1号線を湯本へ。途中、宮ノ下でお城のようなホテルが見えた。それがかの有名な冨士屋ホテルだった。すんごいホテルだった。「御殿」という形容がまさにぴったりするホテルであった。
その冨士屋ホテルを過ぎた辺りから、反対車線は大渋滞だった。ずーっと坂を下りきるまで車が絶えない。結局、そのまま湯本の手前まで渋滞していた。みんな冨士屋ホテルへ泊まるのだろうか??と思ってしまった(なわけないけど)。反対車線ばかりでなく、塔ノ沢を越えた辺りからこちらの車線も渋滞し出した。ようやく湯本へたどり着いて旧東海道沿いの宿舎へ。
チェックインには時間があったので、とりあえず車だけ置かせてもらい、遅めの昼食をとろうと湯本駅方面へむかうと、橋を渡った正面に「湯葉そば」なる看板が見えたので迷わず店内へ。板わさでビールを飲みつつ、湯葉そばをいただく。蒲鉾と言えば小田原が名産地。この板わさ、件の小田原産なのであろうか、ひどく美味であった。食後、湯本駅方面をぶらぶらして宿舎へと戻る。ちょうどいい食後の散策になった。

チェックイン後は、すぐさまお風呂へ。もちろん、ここのお湯は条件①の源泉掛け流しの湯である。しかも、加水や加温をいっさい施していない。まさに、字義通りの「源泉掛け流し」なのである。大浴場には「庭園露天風呂」が付帯していたが、ここは何と男女混浴(時間によって女性専用となる)であった。
と、一人のご老人が露天風呂へと出て行った。「ん?大丈夫なのだろうか?」と訝りつつ、「んじゃ、オイラも行ってみるべ」と、意を決して(いや、やっぱりこういうものは微妙な問題でして、いくら歳を取ろうが微妙なものは微妙なのでして…)露天風呂へと出てみた。そのご老人以外には入浴者はいなかった。安心して湯に浸かった。これがまたいかにも適温でいい湯であった。と、そのご老人から「今日は風が強くて、ちょっと寒いくらいですなあ」と話しかけられた。あれこれと話をする中で、「湯河原もなかなかいいっすよ」と薦められた。自分も早く退職して温泉巡りをするようになりたいと強く思った。
宿の食事は多すぎず少なすぎず、ちょうどよい分量と味の料理であった。妻と二人で完食。遅めの昼食を蕎麦だけにしておいたのは正解だった。
それにしても、温泉というのは不思議である。その日は、ご老人も言ったように、風も強くてやや肌寒い日であった。でも、湯上がりに素足のままいても体が冷えないのである。これだから温泉は堪えられない。すっかり満足してほくほくと蒲団に入る。
翌朝は、もちろん朝食前に朝風呂へ。鳥の囀りを聞きながら温泉に浸かるのも贅沢な時間である。そうやって、朝風呂に入った後の朝食はよりおいしくいただける。
朝食後、その日のだいたいの予定を立てて宿を後にした。

そのまま旧東海道を芦ノ湖畔へ。まずは、箱根関所跡。物見櫓まで登ると、ここから遠く富士山を望みつつ見る芦ノ湖の景色がすばらしかった。
すぐ近くの桟橋から遊覧船(有名な海賊船ではありません)が出ていた。別に乗るつもりはなかったのだが、土産物を物色していると「まもなく30分周遊コースの乗船が始まります。お乗りのお客様は…」というアナウンスが入った。30分ならばと、遊覧船に乗ることにした。ほとんど波もない湖面を巡る遊覧船。箱根の外輪山がぐるりと見られる。乗船してみるものだと思った。
下船後は、元箱根へとちょっと戻って、箱根旧街道へ。鬱蒼とした杉木立の中を石畳の街道が続いている。足下の摩耗した敷石が江戸時代からの月日を偲ばせた。街道を行く江戸時代の旅人たちの姿が目に浮かんでくる気がした。でも、さすがに登りになっている街道は先へと進むのが躊躇われた。お昼も近いことだしということで旧街道を戻って、妻がどうしても食べたいと言っていた「雲助だんご」のお店へ。餅米を使用していないのに、餅のような食感のお団子であった。これは美味しかった。土産に「黒ごまきなこ」のだんごを購入して帰途に就く。
その帰り道、箱根峠の「道の駅」に立ち寄る。そこから見える景色がまた絶景であった。駒ヶ岳の隣に見えるのが二子山だと知り、「おお、あの山がスライドして、あそこからウルトラホーク1号が飛び立ったんだよなあ」、「ってことは、あの山の地下に地球防衛軍ウルトラ警備隊の秘密基地があるってことかあ」と暫しの感慨に耽るバカな夫。

そのまま国道1号線を三島へと下って、いつもの沼津港にて遅めの昼食。ここのお鮨はほんとうにどこのお店で食べてもおいしい。
有名な「魚河岸丸天」に「みなと店」がオープンしていた。そこにしようかとも思ったが、以前妻と入ろうとして満員で入れなかった「魚がし鮨」へ行くことにした。ここのランチは安くておいしい。ひょっとして、沼津でお鮨が食べたいから、伊豆・箱根行きを選ぶのかもしれない。

かようにして幕を閉じた「09秋の箱根行」であったが、とにかく箱根は人と車が多いということを実感させられた。
宿も、あまりに多くて、どの宿をチョイスすればいいのか難しいということもある。
しかし、温泉と景色はすばらしい。美術館とか、見所も多い。
でも、また来年からは大沢温泉ホテルにしようと思う。やはり、あのやさしい湯が忘れられない。
大沢温泉ホテルさん、ごめんなさい。今年は浮気しちゃいました。来年はよろしくです。