スーさん、音楽を聴く

11月3日(火)

<お詫びと訂正>
前回の日記で、「静岡市での会合が終わって駆けつけた沼津のコヤタ先生ご一行が、先生に来年予定されている図書館研究大会での講演を依頼されていた。」と書きましたが、どうやら手前勝手な思い込みだったようで、「そのようなお願いはしておりませぬ!」と件のコヤタ先生から厳しいご叱責をいただきました。その時は、内田先生に今後の講演予定の確認をされていたとのことでした。謹んでお詫びと訂正をさせていただきます。

ついでに今日(文化の日)のことを。
今日は、娘の学内演奏会を聴くために、妻と二人で横浜まで出かけていた。
演奏は午後1時の出演予定と聞いていたので、「いくら渋滞があっても、4時間見とけば余裕だろう」ということで、午前9時に浜松を出発した。思いの外、東名は混んではいなかった。昨日来の冬型気圧配置のおかげか、途中から見える富士山が稜線から頂上までくっきりはっきりと見える。見事な眺めだった。

横浜町田ICで東名を降りたのがちょうど12時ちょっと前。そのまま横浜横須賀道路を南下、途中から首都高神奈川3号狩場線に入り、新山下出口で降りて元町方面へ。狭い坂道を上がると、ちょうど演奏会が行われるホールの横に出た。
「おお、ここだここだ」と車を停めようとしたのだが、付近の駐車場はどこも満車であった。
仕方がないので、「港が見える丘公園」付近まで駐車場を探したのだが、ここも満車。も一度元町方面に降り、石川町から山手町方面にぐるっと回ってみると、すぐそこにコイン・パーキングがあった。時間は刻々と過ぎていく。もう贅沢は言ってられない。すぐにそこへ駐車して、階段を山手教会方面へと駆け上った。
と、登り切ったところに、「日本庭球発祥の地」なる石碑があった。「1878年(明治11年)、山手公園で日本初のローンテニスが行われ、初のテニスクラブがつくられた」とある。思わずデジカメに納めた。テニスに縁があるんだと思った。
でも、ゆっくり見物などしてはいられない。先ほどのホールへと急がねばならない。しかし、歩けど歩けどホールの影も形も見えてこない。「やっぱ、こっちじゃないらあ?」と妻に尋ねる前に、妻は通りがかりの人に場所を尋ねていた。どうやら、反対方向に来てしまったらしい。急いで山手教会の信号のところまで戻る。そこからホールまでは、何と目と鼻の先だった。

しかし、遅かった。妻が娘に確認のメールを送ったところ、「もう演奏終わって着替えてるところ」と返信があったとのことだった。時間は、まだ1時前だったが、どうやら棄権する学生もいたりして、演奏時間が早まったらしい。道を間違えなければ…と悔やまれた。
でも、娘は「いいじゃん、どうせ演奏は最悪だったから。そんなことより、せっかくだから3人で写真撮ろ?」と屈託がない。ショパンのバラード第1番は聴けなかったが、「ま、いいか」と思い直した。
それにしても、いいところに建てられている大学である。ひょっとして、ここは横浜の中でも一等地ではあるまいか。閑静な住宅街の中に、教会や学校、瀟洒なレストランやカフェが建ち並んでいる。
斯様なところで音楽に勤しんでいられるなんて、何とわが娘は幸せであろうかと思わずにはいられなかった。

娘も昼食はまだということだったので、「中華街で昼食を」ということになった。その前に、娘は「港が見える丘公園」なども案内したいと言っていたが、景色よりも空腹を満たす方が優先された。
すぐ近くの駐車場にプリウスを入れ、そこから歩いて中華街へ。既に午後2時を過ぎていたが、中華街は多くの人でごった返していた。
娘は、「この時間なら飲茶がオススメ」と言っていたが、「安いランチでもいいか!」ということになって、本通りの「揚州飯店」というお店へ。ランチということもあり、味はごくごく普通という感じであった。
それよりも、中華街で、家族3人で食事をするということが大切なことであった。

そのまま娘を住まいのある新横浜まで送って帰途に就く。
慌ただしい横浜日帰りツアーであったが、港町の雰囲気を十分に感じられた一日であった。
横浜って、いい街です!