スーさん、総長を迎える

11月2日(月)

土曜日は、われらが内田総長が来浜されて講演をされるとのことで、甲南麻雀連盟浜松支部総力を挙げてお出迎えをしようと、1ヶ月以上前からこの日を心待ちにしてお出迎えの準備に勤しんでいた。
講演終了後、総長は神戸までお帰りになるとのことであったが、「その前にちょっとだけ飲みましょう!」とお聞きしていたので、講演会場から浜松駅までの送迎車の手配に始まり、浜松駅前で午後4時くらいから飲める場所の選定、その店の料理や部屋の佇まいや接客の状況等を確認するため事前の「下見」までも敢行して、総長をお迎えする手筈は用意万端抜かりなく進行していたのであった。

その土曜日、午前中は部活動の指導を終え、帰宅して昼食もそこそこに、妻の車に同乗して講演会場である浜松学院大へ。
ちょうど車から降りると、そこへタクシーがすーっと入ってきた。「たぶん内田先生だよ」と妻に言いかけると、正しく車中の人は内田総長その人であった。世の中、こうなっているのである。「やっぱり、先生とはご縁があるんだ」と妻は感心することしきり。
それにしても、主催者と思しき関係者が誰もお出迎えに出ていない。たまたま駐車場係をされていた人が、「じゃ、ワタシが案内します」と言われる。そりゃないだろ?とやや憤りつつその旨を先生に告げると、「まあ、教育関係の人たちって、だいたいこんな感じですよ」とあまり意に介さないようであった。
そのまま先生に同行して講演会場へ。

受付を済ませて会場に入ると、既にほぼ満席状態であった。講演に先立って、高校の先生による「総合的な学習の時間」についての実践発表が行われていた。
席を見渡すと、オーツボくんが手招きをしていた。彼のすぐ隣とその前の席を詰めてもらって妻と座り、講演を待つ。
その間に、オノちゃんとヨッシー、シンムラくんとヤイリくん、静岡からコヤタ先生一行などが続々と会場入りしてくる。
実践発表が終わって休憩。さらに会場を見回すと、ハットリくんやオータくんご夫妻、合気道浜名湖道場の面々も散見せられた。

ミニコンサートが終わって、いよいよ内田先生の講演である。
お出迎えもないことにもムッとしていたが、司会者が先生の紹介で「神戸女学院大学」と言うべきところを、「神戸学院大学」と紹介したのには呆れた。実は、講演の演題を書いた垂れ幕にも、「神戸学院大学教授」と書かれていたのだ。
その程度にしか内田先生のことを認知していなくて、それで講師に頼むってか。「ええい!われらが総長を何と心得おるか!覚悟せい!」と、隣でいきり立つオーツボくんを宥めるのが一苦労であった。(でも、実際ひどいっすよね)
さすがに、内田先生もそのことは気にされていた(当然である!)らしく、「わたくしは神戸女学院大学に勤めておりまして、よく似た名前の大学もありますし、実際に神戸学院大学もありますので、そのへんは間違えられると困るのですが」と前置きされて講演に入られた。ろくに紹介もできなかった司会の人には、よおく反省してもらいたい。

お話は、高等教育の現状報告から始まった。以下、メモしたところを箇条書きに。
・どうやら、文科省が進める「標準化」は、「差別化」と同義語である。つまり、差別化することで、リソースを集中するところを定めるつもりらしい。
・小泉構造改革の失敗の反省がなされていない。市場原理を導入した結果、株式会社立大学は軒並み潰れている。このことを文部官僚はどうとらえているのか。そもそも、教育は儲かるからするものではない。
・「勉強するとどんないいことあるの?」という子どもからの問いにベネフィットを示し始めた時から、日本の子どもの学力は劇的に低下したのではないか。
・「勉強する理由は、自分で考えさせる」こと。その価値を簡単に言えない(説明しない)からこそ、「教育」が成立する。
・教育の目的は、子どもの小さなフレームを壊し、「成熟させること」である。
・そもそも、教育とは「おせっかい」と「持ち出し」である。
・「今この瞬間、この場所にゴジラがやって来たらどうするか?」という、誰もすぐにはどう行動すべきか判断できないとき、「この人のついて行けばいいんじゃないか」という、自らメンターとなるべき人を探し当てることができるセンサーを磨かせたい。そのためのキーワードは「礼儀正しさ」である。

満席のオーディエンスは、途中からぐいぐいと先生のお話に引き込まれていくのが感じられた。「うんうん」とか、「そうそう」という頷きや独言があちらこちらから聞こえた。
「ハンカチ落とし」の例話で、先生が「邪心」という言葉を使われた時など、思わず会場内は大爆笑であった。そんな笑いも交えながらも、先生のメッセージはひしひしと伝わってきた。

講演が終わっても、どうやら主催者の誰一人として先生を駅までお送りするなどの申し出はなかった模様である。(最後まで失礼な応対だったと思う)
もちろん、総長は支部が配車していたシンムラ号で、駅近くの宴会場までご案内する手筈になっていた。他のメンバーも、それぞれ誰かしらの車に分乗して宴会場へ。
この日はだいぶん暑かったため、総長はかなり喉が渇いていたらしい。ヨッシーがすぐに生ビールを注文して、まずは「お疲れさまでした〜」と乾杯。先生は6時半過ぎの新幹線でお帰りとのことであったから、2時間1本勝負(何のだ?)の宴会が始まったのである。

程なく、前任校で一緒だったタカヒサ先生ご夫妻がお見えになった。残念ながら講演会は米の収穫で聴けなかったため、何とか宴会だけでもと駆けつけたのである。奥方は、先生を見るなり、「7年越しの恋が実った思いです!」と爆弾発言。
続いて、ハットリくんと同じ職場で講師をしていて、今回どうしても内田先生にお会いしたいということで同行してきたイケダさんは、先生の著書もかなり読み込んでいるらしく、いきなり「ウチの学校でこんな生徒がいるんですけど…」と先生に質問を始めた。
その前には、静岡市での会合が終わって駆けつけた沼津のコヤタ先生ご一行が、先生に来年予定されている図書館研究大会での講演を依頼されていた。(丁重にお断りされていたが)
いやはや、女性陣たるや恐るべし。
それにしても、われらが総長、女性には大モテであるということが判明した。
さらに、合気道浜名湖道場のタカバさん、シンシンも加わって、内田先生を囲む小宴はますます盛り上がりの様相を呈していった。

いつも思うのだが、先生を囲む宴会は、得も言われぬほっこりした雰囲気に支配されるようになる。
知らぬ間に、そこの居合わせた人たちの間に、きわめて親密なコミュニティが形作られていくのだ。そうして、いつまでも浸っていたくなるような居心地のよさを感じるようになる。
初めて顔を合わせた人でも、以前から知ってたように感じられ、互いに共通の話題で盛り上がることができる。そうして、不思議なことに、いつもよりお酒も美味しく感じられ、ついつい飲み過ごしてしまうということになる。
これこそが、内田先生の「エートス」なのである。

居心地のいい時間の過ぎるのは早い。あっという間に2時間は経過して、総長のお帰りになる時間となる。新幹線の改札口までみんなで出向いて、お帰りになる総長をお見送りする。さすがに万歳三唱こそなかったが、オーツボくんが大きな声で何やら叫んでいた。(ああ恥ずかしい)
かくして、夢のような内田総長来浜の一日は終わった。
その余韻に浸りつつ、居合わせた人たちは、先生を中心に形成された親密圏を確かめるかのように、夜の浜松の街へと繰り出していったのであった。