スーさん、国語教育について考える

10月26日(月)

土日は、静岡県西部地区中学校対抗ソフトテニス大会。
県西部地区とは、昔の国名で言えば「遠江国」、すなわち牧之原市以西の地を指す。太平洋岸に面し、温暖な気候に恵まれている地域である。
冬の間は晴れの乾燥した日々が続き、北西の季節風が強く吹く。そのため、ゴムボールを使用してプレーするソフトテニスは、屋外で行うのに甚だ困難を伴う。でも、まだ10月の終わりくらいはそれほど季節風も吹くわけではない。台風の接近が心配されたが、日曜日も大会終了間際になって多少雨が落ちてきたくらいで、試合は団体・個人ともに滞りなく実施された。

台風よりも心配だったのは、新型インフルエンザであった。本校は、あれから学級閉鎖こそ1クラスで済んだものの、罹患生徒は他学年にもぽつぽつと出始め、幸い人数が増えなかったために学級閉鎖は免れたが、もしもこの土日で感染拡大が確実となり、学級閉鎖措置等が講じられれば、該当学級に所属している選手は大会出場ができなくなるという状況だった。
前日の金曜夕方までの状況で何とか大会出場は可能となったが、そんな状態であったから練習は木曜日と金曜日の2日間行っただけで大会に臨まなければならなかった。
正直なところ、団体・個人ともに県大会出場が決まれば御の字と思っていた。

土曜日は団体戦。32チームよるトーナメントである。2回戦を突破すれば(ベスト8)県大会への出場権が得られる。
初戦は何とか突破したものの、県大会出場の決まる2回戦の相手は、1年生大会、新人大会順位戦と2回対戦して2回とも敗退させられているT中であった。相手の攻め手は大体わかってはいたが、それに対応できるかどうかが心配だった。トップは快勝したが、2番は相手の元気の良さに負けて3番勝負。競り合うところもあったが、要所を締めて勝つことができた。「3度目の正直」というところであろうか。
これで何とか県大会への出場が決まった。

続く準々決勝の相手は、第1シードのA中。昨年も準決勝で対戦して敗れている学校である。A中の前評判は圧倒的に高かった。現に、新人市内大会は優勝。それ以外の各所で行われた様々な研修大会でも優勝を飾っていた。本校など、鎧袖一触で簡単に撃破されるであろうと思っていた。
試合は、2面同時進行で始まった。
確かにポイントは取られるのだが、相手もよくミスしてくれた。試合は、どちらのコートも一進一退、勝敗の行方はタイブレークへと持ち込まれた。
トップはあえなく敗れたが、2番は逆にこちらが先にマッチポイントを握った。それで勝ちを意識したか、こちらの後衛が中途半端に打ったボールを2本相手前衛に決められ、最後はリターンを厳しく打たれてゲームセット。勝てるチャンスも十分あっただけに、惜しまれる敗戦となった。でも、今の時期はこんなものなのだと思う。相手のことを考えれば、むしろ敢闘したと言えよう。わがチームも、少しは成長が見られるわいと思った。

翌、日曜日は個人戦。本校からは3ペアが出場した。全64組のトーナメントで、ベスト16が県大会に出場できる。2試合勝てばいいのだ。そんなに難しいことはないだろうと高を括っていた。
試合が始まった。2ペアがほぼ同時に1回戦だった。先に始まったペアのベンチに入った。こちらは何とか勝つことができた。もう1ペアの試合コートへと駆けつけると、ちょうど試合が終わったところだった。初戦で敗退していた。前日の団体戦での配球が気になった後衛選手のペアだった。観戦していた副顧問に様子を聞いた。ゲームカウント1-1から先にリードされて、そのまま流れを取り戻すことなくゲームセットとなったとのことだった。前日の試合の悪いイメージを払拭しきれないままにゲームに臨んでしまったのだろうか。

2回戦、3番登録のペアは危なげなく勝って県大会出場を決めたが、もう1ペアはタイブレークの末に敗退してしまった。前日の団体戦初戦で対戦した学校のペアだったから、相手の攻め手はわかっていたはずだった。しかし、こちらの前衛はひたすらミスの繰り返しだった。ポイントを決めるのが仕事の前衛が機能しなければ試合は勝てない。反省点の多く残る試合となった。
残った1ペアも、3回戦で敗退した。でもまあ、このへんが実力なのだろう。

すぐに帰ろうと思っていたが、シンムラくんとこの大将ペアが勝ち残っていたので、県選抜チームの選手選考も多少は考慮に入れつつ、オノちゃんらと試合を観戦することにした。
何と、シンムラくんとこの大将ペアは決勝戦まで進出した。
その決勝戦、相手に2ゲームを先行されるが、そこからじりじりと挽回して追いつき、勝敗の行方はタイブレークに。ここで活躍したのがシンムラくんとこの前衛N選手であった。要所でことごとくポイントを決めて、粘る相手を振り切った。見事優勝を飾ったのである。もちろん、彼らはジュニア育ちの選手ではない。シンムラくんが中学入学時から手塩にかけて教え育てた選手たちである。天晴れ!よくやったと称えたい。

前日、いつものように、いつもの雀荘で少しだけ麻雀をした。シンムラくんは、このところ役満の2週連続フリ込みなど、ひらすらマイナスの更新が続いていたのだが、そのおかげか新人大会では快進撃を続けてきた。土曜日の団体戦もベスト8入りして県大会出場を決めている。その日の麻雀では、今度は親チョンをしでかしてしまった。そうしたら優勝である。麻雀など勝てずとも、試合で勝つ方がよいのである。
シンムラくんには、これからもずっと麻雀で負け続け方がよいのかもしれない。

さて、ソフトテニスのお話はこのくらいにして、本業のお話を少し。
不肖、中学校の国語教師で口を糊させていただいているが、どうもこのところ生徒に教科書を音読させると気になることがあるのだ。
それは、文語的な言いまわしの文章になると、とたんにすらすらと音読できなくなるということである。
古文の音読がうまくできないということではない。古文は、音読練習を繰りかえせば、驚くほど流暢に読めるようになる。
読めないのは、やや文語的言いまわしを含む現代文と、文語で書かれた短歌の音読である。

例えば、以下のような文章である。
「さまざまの供物をささげ、祭器もよく吟味するし、参詣の人も多かったので、祭器を取られぬように番をする必要があった」(魯迅「故郷」竹内好 訳)
つっかかるところは、「さまざまの」「取られぬように」あたりである。もちろん、これが「さまざまな」とか「取られないように」と書かれていれば、つっかかったりはしない。

和歌で言えば、例えばかの有名な「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の高嶺に雪は降りける」(山部赤人)の歌。「田子の浦、ゆうち出て見れば」と読んでしまう。まあ、これは字余りだから仕方がないのかもしれないのだが。
さらには、「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛しき」(東歌)の「何」「そこの児」と読んでしまうこと。確かに、「何そ」の「そ」が係助詞だとの説明なしではうまく読めないのかもしれないのだが。
さらには、百人一首にも撰ばれた「玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば…」(式子内親王)。「絶えなば絶えね」がうまく言えない。早口言葉のようでもあると言われればそうかもしれないのだが。

読み易く、すらすら頁が進む例えばケータイ小説のようなものばかり読んでいると、かような現象が生じるようになってしまうのであろうか。その由って来る所以はわからないが、やや文語交じりな言いまわしの文章に触れる経験が少ないということだけは確かであろう。
明日からは読書週間。
とにかく、少しでも興味を持って「読んでみようかな」という思いが湧いてくるよう、「この本は読んでおきたい!」という本を紹介するようにしたい。でないと、この国の豊かな「書き言葉」の一部がどんどん失われていってしまうような気がする。