スーさんの5連休

9月24日(木)

5連休だった。
以下、その間のことを箇条書きに記す。

・連休初日の土曜日は、オータくんとこのチームが本校を訪れて練習マッチ。オータくんは、先月末に沼津でK学園高スガイくんに厳しいお言葉をいただき、その後はどうかと思っていたが、どうもスガイ先生に言われたことがまだ顧問自身消化不良のところもあるらしく、選手たちもまだまだ発展途上という印象であった。
その日の夜は、そのオータくんにシンムラくん、ヤイリくんを加えての支部「育成リーグ」。もちろん、オータくんは最下位に沈んだが、なかなか打ち筋はいい感じであった。そんな感じ(←どんな感じだ?)で部活動も指導すればよいと思う。

・連休二日目の日曜日は、午前中が部活動の練習、午後はシベリウスのヴァイオリン協奏曲がどうしても聴きたくなり、イオン内にあるタワレコへ。下の駐車場は満車だったので屋上へ駐車したのだが、帰りにどこへ駐車したのかわからなくなって往生した。

・連休三日目は敬老の日。どうしようか迷っていたが、「製造業は休みじゃないとこが多いし、連休の中日ということでそんなに高速道は混まないだろう」との我田引水的お気楽判断を下して、兵庫県は神鍋高原にて実施される甲南合気会秋合宿に参加させていただくことにした。
決め手になったのは、内田先生からの「合宿ですが、来られるのであれば一日でも半日でもどうぞ。」というメールだった。さっそく世話役のイノウエさんに連絡を取り、宿泊等の手配をお願いした。
浜松を出発したのは午前7時半。ナビの所要時間表示は約4時間半であった。稽古は午後2時スタートとうかがっていたので、途中の渋滞分を見込んでも6時間あれば十分到着できるであろうと考えていた。
が、それがいかに甘い判断だったかということを後ほど思い知ることになった。
出発前にネットで高速道路情報を確認してみると、既に岡崎付近は渋滞し始めていた。部活動の遠征とかだとすぐに高速道から降りて国道を走ったりするのだが、さすがに一人旅ともなるとその気楽さが災いする。「ま、時間はあるからいいや」と渋滞にどっぷりはまってしまったのである。
何とか岡崎をやり過ごし、豊田JCTから伊勢湾岸道へ。この道は、東名阪道と合流する四日市JCT付近が慢性的に渋滞している。今回もご多分に漏れてはいなかった。この渋滞がひどかった。四日市ICを過ぎてようやく少しずつ走り始めたが、途中トイレ休憩にと立ち寄った御在所のPAが大混雑。駐車スペースを探すだけでも一苦労であった。再び戻った東名阪道は新名神の亀山JCTまでのろのろ運転。ようやく新名神に入り、それまでの鬱憤を晴らすかのように快適に走って名神に合流。京都の渋滞を避け、京滋バイパスを大山崎まで順調に走って大阪府に入った。ところが…。
広域情報によれば、中国道は吹田から宝塚トンネルの手前まで約18キロの渋滞を告げていた。実際、吹田の手前から渋滞が始まった。と言うか、ほとんど動かなくなってしまった。そのままのろのろ運転どころか、ストップ&ゴーを繰り返すのみである。
このままではとても稽古開始には間に合わないと思ったので、イノウエさんにメールをしたところ、「我々も大渋滞中です。お稽古開始は大幅に遅れそう、3時半ぐらいかもです」との返信があった。そうなんだ、先生たちも渋滞にはまってるんだ。少しは気が楽になった。
宝塚トンネルを過ぎてようやく渋滞が解消したので、そのまま中国道を福崎ICまで走って播但道を和田山まで。合宿所である名色高原に到着したのは午後4時過ぎ。何と、浜松を出発してから9時間近くが経過していた。
既に稽古は始まっていたので、すぐに稽古着に着替えて体育館へ。準備運動をしていると、内田先生から「お疲れさまでした」と声をかけていただいた。先生の稽古を受けるのは2年ぶりくらいであろうか。見知った面々に再会できるのも楽しみの一つだ。それに、今までと多少は違って、何を稽古するのかということがけっこうわかるような気がした。だんだんと慣れるにしたがって体がよく動くようになってくる。不思議なものだ。
スタートが遅かったので、稽古終了は午後7時。約3時間弱、たっぷりと汗を流す。すぐに入浴して夕食。水分を欲する体にビールがしみ渡る。その後は、一部屋に集合してプチ宴会。先月の城崎に引き続いて先生からはいろんなお話をうかがうことができた。その日の夜は布団に倒れ込むようにして熟睡。

・連休四日目は国民の休日。朝は6時半から杖の稽古。早朝から杖を振れるというのも得がたい機会である。先生からは細かいところまでご指導を受けることができた。早朝稽古の後の朝食がどれほどおいしく食べられるかご想像できよう。時間を見ると、もう8時を過ぎていた。そのまま後ろ髪を引かれる思いで、先生をはじめ皆さまにご挨拶をして帰途に就く。
行きとは違う道で帰ることにした。名色高原からは出石に出て、福知山を経由して舞鶴自動車道を吉川JCTまで。行きの渋滞が嘘のように、中国道は空いていた。が、名神に入ると大山崎~瀬田東IC間が渋滞していた。仕方がないので、行きと同様に京滋バイパスへ抜けたのだが、どうやら京滋バイパスも名神との合流地点手前から渋滞しているとの情報であった。何とか下道に降りて、滋賀県内から新名神に合流できないものだろうかと思い、「そうだ、ミヤタ先生に電話してみよう!」と思いついた。ミヤタ先生は地元京都NJ中のソフトテニス部顧問である。「え?先生、何してますのん?いっしょにお昼食べに行きましょか」と仰る。事情を話すと、すぐに信楽まで走る道を教えていただいた(えーと、ちなみに車を運転しながらケータイで話したりはしていません。一応、プリウスにはハンズフリーの装置が付いております、念のため)。すぐに京滋バイパスを宇治西ICで降りて、一路信楽を目指す。
信楽は、もちろん信楽焼(特に狸の置物)の里とは聞いていたが、これほど至る所に件の狸の置物が林立しているとは思わなかった。せっかくなので、一体購入して帰ろうという気になった。すぐにかつて信楽中にお勤めの経験があるデグチ先生に電話してみた。「おまえ、そんなとこで何してんねん!え?タヌキってか?知ってるでえ。今から電話しといたるわ。行ってみ。」
持つべきものは、ソフトテニス仲間である。
教えられたお店に行ってみた。「えーと、デグチ先生からおうかがいしたんですけど」とお店に入ってみると、「ええ、今電話いただきました。どれにしましょ?」と話が早い。
その社長さんとあれこれ話していると、何とその社長さんは高校ソフトテニス界の名門、M高校の出身であることがわかった。大学でもソフトテニス部に所属して、「浜松商業出身の選手が同級生でしてん」とのことだった。ひとしきりソフトテニスの話が盛り上がったところで、「これがええんと違います?」と言われた置物を購入することに決めた。お代を支払おうとしたら、「いーえ、デグチ先生から、金取ったらあかんど!ってくれぐれも言われてますねん」と仰る。「いえいえ、とんでもない、ちゃんとお支払いしますから」と何度もお願いしたのだが、取り合ってはもらえない。申し訳ないので、「お水がおいしくなる」という陶器の水筒を一つ購入させてもらい(それも半額でした)、お礼を言いつつお店を後にする。すぐにデグチ先生にお礼の電話を入れたことは言うまでもない。渋滞を避けようと通過した信楽であったが、ずいぶんといい思いをさせていただいた。こういうことってあるんだ。
それから後は、多少は渋滞もあったが、何とか午後4時前に学校へ到着。その日は午後からの練習にしてあった部活動へ。遅れることも予想して、副顧問に練習の面倒を頼んでおいたのは正解だった。
その日の夜は支部例会。シンムラくんがヨッシーに小四喜をフリ込んだ。シンムラくんは新人戦で勝てるかもしれない。

・連休最終日は秋分の日。この日は、以前から案内のあった練習マッチのために名古屋はO中まで。
今月の初め、件のO中顧問から練習マッチご案内のFAXが入った。ひょっとして、どこぞの試合会場等でご挨拶とかした方なのかと思い、行けそうな日にちにマルを付けて返送した。すると、23日の練習マッチの要項が送られてきた。8校が集まって総当たりの団体戦形式の試合を行うとのことであった。
連休最終日であるし、また渋滞するとやだなあと思っていたが、何のことはない、敬老の日の渋滞が嘘のようにすいすいと走って名古屋に到着できた。
O中に到着すると、FAXの送り主がやってきた。見知らぬ先生だった。「どうしてウチの学校を?」と尋ねると、「確かネットかなんかで見たんですよね」とポケットに手を突っ込んだまま答えてくれた。あまり敬語を使うことも知らないらしい。来たことを後悔した。すぐに愛知県で旧知のS先生に電話してみた。S先生によれば、やたらにFAXを送りつけて「まるで通販のように」練習マッチを行うことが流行っているらしいとのことだった。「たぶん、そういう類の練習マッチだと思います。ボクは行きませんよ」とも。
来たことを後悔したのは、それから試合が始まって確信に変わった。参加校中、言動が異常な(としか書きようがない)顧問がいたのだ。具体的な言動の詳細はとてもここでは書けない。この時代に、まだこんなことをする顧問がいるのかとわが目を疑った。本校と対戦して手前のところに挨拶に来た時には、ターゲットのように罵詈雑言を浴びせかけられていた選手に、思わず「ひどいこと言われても、テニスを嫌いにならんとがんばれよ」と声をかけずにはいられなかった。ほんとうなら、自分も含め、周囲の大人たちがその顧問の言動を止めさせるべきであったと思う。「義を見て為さざるは勇なきなり」という言葉が頭の中を駆け巡っていた。情けなかった。
他にも、「おい、お前なんでそんなコースに打つんだあ?」などと、ひどく甲高い大きな声を出している先生もいた。よく見ると、何と女性の先生だった。悪いけど、とても女性の言葉とは思えない言葉遣いだった。少なくとも自分は、こういう女性の先生には教わりたくないと強く思った。
とにかく、大きな声で指導する先生がやたらと多かった。そうやって、学校で指導しろよってば。他の先生や保護者や他校の選手たちが見ている前で、大声を出して選手を指導することって、自分がふだんの練習ではろくな指導もしていないということを露呈する以外の何ものでもないってことがなぜわからないのだろう。
大きな声を出して指導(罵倒?)する顧問って、選手に「んじゃ、お前代わりにやってみろや」と言われて、選手以上に自分はできるとでも思っているのだろうか。ってか、何を以て選手にそれだけ偉そうに指導できるのだろう。その根拠は何なのだろう?自分にはそれだけの指導力があるとでも思っているのだろうか?
見当違いも甚だしいと言わざるを得ない。こういう手合いは、即刻顧問を辞するだけでなく教員そのものを辞めるべきだと思う。
かような顧問たちの中に、自分も同様に混じって参加したことをたいそう後悔したが、いつも自分が参加させていただいている研修大会ではついぞ見られない光景をたくさん見ることができた。そういう意味では今回の名古屋行も無駄ではなかったのかもしれない。しかし、ああいう手合いが自分と同じソフトテニス部の顧問をしているかと思うと、胸くそが悪くなった。
ぐったりと疲れて帰途に就いた。連休の最後にオチがついた感じだった。
さて、今週土曜日からは新人大会が始まる。新チームの始動だ。