スーさん、花火を見る

7月6日(月)

花火を間近で見るなんて、いったい何時以来のことだろうか。

週末の土曜日は、夕刻より浜名湖の玄関口にある弁天島へ。
平成13年度の沼津K学園高女子ソフトテニス部卒業生で、浜松出身のM塚選手の母堂が中心になって、ちょうど高校が期末テスト期間中のこの時期に、スガイ監督一家を招いて泊まりの宴会と翌日の潮干狩りイベントを行うようになった。
M塚選手の他に、K藤選手、M下選手も同期でスガイ先生にお世話になった。その3人の選手を中学時代に教えたのが手前である。そんなご縁で、私のところにも「ぜひ奥様と一緒にいらしてくださいね」とM塚さんからお誘いがきた。
中学校は、ちょうどこの時期あたりから市の中学総体(いわゆる「夏の大会」)が始まっているから、昼間の潮干狩りは参加できないが、前夜の宴会ならば出席は可能だ。断る理由とてない。
ということで、参加させていただくようになって今年で早3年目。

1年目は、浜名湖畔に突き出した庄内半島の先端、浜名湖頭脳公園内にある「カリアック」という名称の商工会議所福利研修センターにて行われた。施設もきれいでよいところであった。
昨年は、舘山寺温泉のサンビーチ海水浴場を目の前にした民宿(旅館?)。愛想のいい女将さんが切り盛りする感じのよい宿であった。
そして、今年は弁天島温泉である。

弁天島温泉では、例年7月の第1土曜日の夜に海開き花火大会が開催される。
この弁天島の花火は、弁天神社の祭礼の奉納花火として明治40年ごろから始められたものだそうだ。打ち上げられる花火はおよそ2,800発。単発の花火に加え、仕掛け花火も随時打ち上げられ、太平洋とつながる表浜名湖の夜空を彩る。
当然、当夜の弁天島周辺には花火を見ようと多くの観光客が詰めかける。海上は、JR東海道線弁天島駅南側にある弁天島海浜公園。周辺の道路は夕刻から交通規制がかけられる。
今回の宴会は、その弁天島で行われるというのだ。

どうやって行こうかと思案した。幸い、職場に弁天島近くに在住の先生がいた。例年の状況を聞いた。
どうやら、浜名湖右岸から弁天島へと渡る橋が大渋滞するらしかった。ならば、その右岸に車を置いて自転車で行こうと思いついた。自宅には折り畳み自転車が2台あるから、それを積んでいけばよい。あとは駐車場だ。
ちょうど右岸には公共のプールとテニスコートのある総合公園がある。その併設されている有料駐車場へ止めればよいと考えた。何時間止めても300円の駐車場だから、たぶん24時間利用できる。
かくして、弁天島宴会の準備は着々と進行していったのであった。

妻の運転で自宅を出発したのが午後4時。宴会は6時から。途中で自転車に乗り換える時間を考慮しても十分に間に合う時間だった。
件の駐車場に到着、予定どおり折り畳み自転車を降ろし、既に渋滞している車の列を尻目にすいすいと橋を渡って弁天島へ。妻の自転車は車輪が小さいためか、すぐに離れてしまう。バックミラーで確認しながらのんびりと走る。
自転車で走ると、車ではなかなか気づかない景色を見ることができる。黄昏へと向かう浜名湖の湖面は美しい。湖面を渡ってくる風も気持ちがいい。
ほんのり汗をかいて宴会場所へと到着すると、何とK学園高男子ソフトテニス部監督のハラ先生の顔が見えた。先週、沼津でお世話になったばかりだ。「あと一人いれば、麻雀できるじゃん」とご挨拶。

スガイ先生からは、「急遽、舟に乗って花火見物に行くことになったそうです。出発は7時だから、それまでに食事を済ませてほしいそうです」と聞かされた。
「花火なんか見たくないなあ。だいたい、今から宴会するんだから、酔って船なんかに乗っちゃうと悪酔いしそうだからやだよ」と駄々をこねてみたが、誰も取り合ってくれなかった。
かくなる上は、早く飲んで酔うしかない。
新鮮な浜名湖の魚介類中心の料理はおいしかった。何より、刺身の盛り合わせが絶品であった。刺身にはビールではなく日本酒である。「冷酒が飲みたい」とわがままを言い、コップでくいくいといただく。
昔話や近況も肴にして、急ピッチで飲み且つ喰らうと、舟の出発時間だ。

宿のすぐ前が舟の係留場所である。「今から2時間ほどはトイレに行けませんから、今のうちに済ませておいてください」という宿の人からの案内もあり、言われたとおりにトイレを済ませて船着き場へと向かう。と、スガイ監督が焼酎の一升瓶を抱えて舟に乗り込んできた。困った人である。
定員オーバーになるからと、手前とS山さんだけが別の舟に乗ることになった。出発前、その隣の舟にスガイ監督からロックでも水割りでもない焼酎がコップに注がれて渡された。ホントに困った人である。

いよいよ出発。どうやら、舟で海上から花火見物をするにしても、その「場所取り」があるらしいのだ。他にも、続々といろんな大きさの舟が花火会場方面へと海上を疾走していく。
それにしても、海の上は涼しかった。というかちょっと寒いくらいであった。まさか舟で花火を見るなんて知らなかったから、手前やスガイ監督はTシャツ1枚であった。「さみいよう」と泣きを入れると、「じゃあ身体の中から温めればいいんだよお」とさらに焼酎を注ごうとする。まことに困った人である。
舟が会場近くの海上に到着した。同じ宿から来た舟は、互いにロープで係留して錨を降ろす。表浜名湖で今切口(太平洋に開いている場所)に近いのだけれど、ほとんど波はなく舟は揺れない。これなら悪酔いもしそうになかった。

花火が上がり始めた。さすがに、海上で見る花火は迫力十分である。目の前に、どおーん!と打ち上げられる花火を、「おおお!」とあんぐり口を開けながら見上げる。
時々、スターマインなる連発花火が打ち上げられる。華麗である。「おおおお!」と言葉にならない声が出てしまう。
同時に、つい焼酎を一口。どお~ん!また一口。どお~ん!少しずつ焼酎が減っていく。
途中、とてつもなく大きな花火が打ち上げられた。空一面に広がって、まるで雨が降るような光のシャワーが降り注ぐ。「あわわわわわ!」とこれまた言葉にならない声が出てしまう。
そのうちに眠くなった。救命胴衣を船端に掛け、枕の代わりにして横たわると、知らぬ間に意識が遠のいていた。
何やら大きな音がして目が覚めたのは、最後の大仕掛け花火が終わった瞬間だった。し、しまった、見逃してしまった。

長居は無用とばかりに、舟を停めていた錨が引き上げられ、方向転換をして舟は宿へと引き返す。行きと同様に、多数の舟が海上を疾駆していた。海上から見ると、橋の上は既に車の列で渋滞していた。
スガイ監督ほか、宿泊されるみなさんにご挨拶をして、妻と自転車を引きながら帰途に就く。歩道も歩行者でいっぱいで、とても自転車に乗れるような状況ではなかった。それでも、さほど時間もかからずに駐車場まで戻ることができた。
もちろん、帰りは妻の運転。すぐに意識不明となる。気がつくと家に着いていた。

かくして、生まれて初めての海上花火見物は終わった。
少し早めの夏の気分が味わえた夜だった。
花火もたまにはいいっす。