スーさん、鰻屋さんと間違えられる

6月15日(月)

土曜日は、大家さまである内田先生の結婚式、披露宴に参列させていただくために神戸へ。

4月半ばの土曜日、自宅に結婚式のご案内と思しき封書が届いた。仕事柄、教え子の結婚式には何回か出席させてもらっているので、今回も「誰だよ、結婚すんの?」と思いつつ、差出人を見て思わずあっと声が出かかった。そこには内田先生のお名前が書かれていたからだ。
さっそく、その日の定例会に参集した支部メンバーにご案内を見せた。一同、手前と同様に驚きつつも、「いやあ、おめでたいっす!」と大喜び。「もしも2次会等があればぜひとも参加したいっすね!」とも。
が、日が近づくにつれ、先生からは披露宴が午後7時からということで、基本的に2次会は行わない旨のお知らせをいただき、支部員たちは涙を呑んで支部長に全てを託したのであった。

初めは新幹線で行くつもりだった。でも、礼服を用意したり、帰りの荷物の心配をしたりとか考えているうちに「車で行こっかなあ」と思い始め、「そうだ、高速道路って土日は千円だっけ」と思い出し、神戸まで往復600キロ弱の距離なら、プリウスの燃費を考えれば新幹線よりずっと安価に行けるという結論に達し、「んじゃま、車で行くべ」ということになったのである。

実は、この土曜日は、妻も車で娘のところへ行くことになっていた。不肖の娘も大学3年生になり、主たる講義が横浜の山下公園近くにある本校で行われることになって、今までの住居だと通学に不便ということで転居したのだが、今まで住んでいた藤沢市の物件の、その日が引き渡し日だったからだ。
かくして、夫は西へ、妻は東へとそれぞれ車を走らせることになったのであった。
東名高速道の豊川ICを過ぎた辺りで、「渋滞情報」が出ていたので確認すると、「この先の岡崎インター付近で、事故が発生したとの第一報が入りました」とのお知らせであった。やな感じがした。すかさず、音羽蒲郡ICで降りて国1へ。岡崎ICから再び東名に入ると、まるで渋滞などなかったかのような順調な流れである。そのまま休憩も取ることなく、吹田Pまで走って昼食。

女学院へは、ナビの案内で西門から入らせてもらうことになった。こちらには守衛さんはいなかった。そのまま駐車場と思しき場所まで運転し、ちょうど1台分だけ空いていたスペースに駐車して、着替えのために「めぐみ会館」へと向かう。事前に、内田先生から着替え等はそこでという指示を受けていたからだ。とりあえず人がいる方へと向かう途中、カゲウラくんとばったり。「ねえ、めぐみ会館ってどこか知ってる?」と聞くと、一緒になって探してくれた。どうやら、グラウンドの方らしい。そのめぐみ会館2Fに行くと、イワモトくんの顔が見えた。着替えができる部屋を聞き、大急いで着替える。

式は構内のチャペルにて行われることになっていた。既に、講堂前には多くの人たちが参集していた。汗を拭き拭き、その列の中に加わる。見知った顔を次々に見つけて挨拶を交わす。うれしい時間だ。
そのうちに案内があり、チャペルへと移動する。着席すると、最前列に内田先生が見えた。
パイプオルガンの前奏に引き続いて、父君に伴われた新婦が入場された。皆で賛美歌「こころを高くあげよう」。続いて、チャプレンによる聖書の朗読。祈祷。式辞。厳かな雰囲気がチャペル全体に広がる。指輪の交換、宣言と進んで祝歌。最後は、皆で賛美歌428番を歌って、祝祷を捧げる。退場するお二人を盛大な拍手で送って式が終了した。

式後は、中庭にて出席者全員の記念撮影。撮影後も、お二人を囲んで小グループの記念撮影が続く。
時間は午後3時。披露宴は午後7時からということで、つい甲南麻雀連盟本部の「弱雀」ジロー先生や、ホリノ「社長」、カゲウラくんらと、「じゃあ、時間まで元町あたりでちょっとだけやりますか」ということになった。「んじゃ、とりあえずホテルにチェックインしてから合流します」ということで、手前はそのまま披露宴会場である「ホテルオークラ神戸」へと向かう。事前に内田先生から、「宿泊場所は披露宴会場のホテルの部屋を用意しておきますから」と伺っていた。ありがたいことである。

そのホテルオークラ神戸に到着した。で、でかい!いつも神戸や大阪に泊まるときは、「どうせ寝るだけなんだから、できるだけ安いとことでいいや」とばかりに、低料金のビジネスホテルしか宿泊したことがなかったから、かような高級ホテルは「分不相応」の部類のホテルであった。
とりあえずチェックインをして、部屋まで案内してもらう。その部屋が、これまたびっくり。広いのだ。贅沢な気分になって、ついソファーに座ったりしてのんびりしてしまった。
そのうちに、オーサコくんやカゲウラくんからメールが入った。JR元町駅向かいのビル7Fの雀荘にて囲んでます、とのことであった。
ホテルオークラから徒歩にて元町駅へと向かおうとホテルを出ようとしたときに、ちょうどホテルに到着された内田先生ご一行とばったりお会いした。先生から「どこ行くの?」と聞かれたので、ツモ牌のまねをすると、「しょうがないなあ、積み棒してたからって披露宴に1秒でも遅れたら、会場には入れないからね」と念を押される。

続いて、妻から電話が入った。妻は、娘の部屋に残った荷物を運ぶため件のオデッセイで行ったのだが、どうやらトンネルを抜けるときに付けたライトをそのまま消し忘れていたみたいで、またもやバッテリー上がりを起こしてしまったらしかった。電話口からは、「悪いけどJAFの会員番号教えてほしいんだけど」と申し訳なさそうな声が聞こえてきた。既に家族会員の申請を出してあったので、JAFには手前の番号で対応してもらえるとのことだったのだ。いやはや、いろんなことがあるものだ。

雀荘に到着すると、まだ東3局くらいであった。ジロー先生、ホリノ社長、カゲウラくんと、「歌う牧師」カワカミさんが囲んでいた。戦局を見守っていたのはオーサコくん。そのまま半荘が終わるのを待つ。披露宴までの時間を勘案しつつ、2回目は東回しで手前とオーサコくんが入る。トップは2回とも「社長」。ドラを暗刻で持ちつつ、さらに裏ドラも乗せるというドラ爆弾を炸裂させたりして、群を抜く強さを発揮した。
そのまま、みんなでわいわいと話をしながらホテルオークラへと向かう。
手前は一度部屋へ戻ってシャワーを浴び、着替えて披露宴会場へと向かうことにした。

ホテルのロビーで、香川の「お気楽旦那」モリさんと一緒になった。モリさんからは、さる事のお礼ということで、名物の讃岐うどんをいただいた。(わざわざありがとうございました。浜松に帰って、さっそくいただきました)
既に、会場前には多くの人たちが集まっていた。受付のカンキくんにお祝いを渡して控え室へ。カクテルを1杯も飲み終わらないうちに、披露宴会場へと移動する。
それにしても広い部屋だった。どうやら有名な会場らしい。参加者は総勢180名。座席表を見ると、著名な方々も多く来ていらっしゃることがわかった。

新郎新婦の入場から披露宴が始まった。
媒酌人のご挨拶もそうであったが、参加している皆が得も言われぬ和やかな雰囲気のままに宴は進行していった。
気がつくと、あっという間に3時間が経過していた。最後は内田先生のご挨拶であったが、「え?もう終わりなの?」という感じだった。
これが、内田先生と、先生にかかわる人たちのエートスなんだと思った。
いつも、先生宅で飲んだり麻雀したりしているときの温かな雰囲気。それが、広い会場でたくさんの人が参加しても、その雰囲気のままに維持されているのだ。
すばらしいことだと思う。
何より、内田先生の終始絶やさぬ穏やかな笑顔が印象的だった。
それが、今回の披露宴の全てを物語っていたと思う。

宴後は、三々五々に分かれて二次会へ。
手前は、カゲウラくんらとともに、JR三宮駅北側にあるバーへ。既に、江&アオヤマ夫妻、ヒラカワさんらがいらっしゃった。どうやら、江さん行きつけのお店らしかった。
「いつもこればっかりや」と江さんが勧めるドライマティーニをいただく。強いお酒であった。舐めるようにしか飲めない。それをちびりちびりやりながら、皆さんのお話を伺う。これも得難い時間であった。
ヒラカワさんからは、「浜松で鰻屋さんやってんの?」と言われてしまった。いえ、ち、ちがいます。
そのうちに、終電もなくなる時間になってちらほら帰る人も出始め、手前は同様にホテルへと戻るヒラカワさんとタクシーに同乗させていただく。
さすがにドライマティーニは効いた。そのまま部屋に戻って、ゆったりしたバスタブで入浴してから爆睡。

翌朝、朝食を取っていると、「あれ?スーさんですよね?」と話しかけられた。以前、朝カルの打ち上げで大阪北新地にてご一緒したことがある浜松のエビサワさんであった。朝食をいただきながらあれやこれやと話をしていると、ヒラカワさんもお見えになった。「ぜひ浜松にも鰻を食べにお出でください」とご挨拶。

チェックアウトは正午であったから、そのままホテルにのんびりしていてもよかったのだが、することもないのでそのまま帰ることにする。
阪神高速から名神に入り、途中から第二名神を経由して東名阪道、伊勢湾岸道とお決まりのコースである。と、伊勢湾岸道に入ったとたん、渋滞情報に接する。岡崎インター付近で火災のため14キロの渋滞とのことだ。どうやら、東名岡崎インター付近には何か妖魔が棲んでいるらしい。あまり近づかない方がよさそうだ。仕方がないので、湾岸道の豊明インターで降りて国道1号線を走る。岡崎インターで再び東名に入って、自宅に帰り着いたのがちょうど12時。
行き帰りの車中では、ずっとシベリウスを聴いていた。最近入手して未聴だったコリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団による交響曲全集である。いい演奏だった。おかげでまったく眠くなったりしなかった。
こうして、生涯忘れ得ぬ神戸行は終わった。

内田先生、奥様、この度はまことにおめでとうございました。
すばらしい会にお招きいただいて、ほんとうにありがとうございました。
また、支部会員たちもご自宅にお邪魔させていただくこともあると思いますが、その節はどうぞよろしくお願いいたします。