スーさん、敬意について考える

4月20日(月)

慌ただしい日が続く。
先週は、教頭に代わって、2年生の野外活動へ途中から付き添い。
火曜日は午後から夕方まで、さらに水曜日は教務の出張後、夕方から一泊して木曜午後の退所まで。
場所は、浜松市北部にある市の野外活動センターである。市街地からこのセンターまでは車でおよそ1時間。道すがらの新緑が目に染みて美しい。

野外活動のように、学校を離れて行う活動時には、ふだんの校内生活では見られない生徒の姿も目にすることができるのだが、本校の生徒たちを見ていると、外で活動するときでもそんなに行動が大きく変わるということはないような気がする。
決してはしゃいでいるわけでもなく、かといって鬱陶しいと思っているふうでもなく、それなりに活動を楽しんでいる様子がいろいろな場面で見て取れるのである。

本校の生徒は、いわゆる「街場の子」たちである。
あまり人見知りをしないと言うか、とにかく屈託がない。
たとえば、手前のように授業に入ってなくて、せいぜい部活動の生徒くらいしか関わりがなくても、「先生、ご飯を炊く水って、このくらい入れればいいですかねえ?」とか、「すごくおいしそうなカレーでしょ?」とか話しかけてきたりする。
基本的に、(心中の思いは不測であるが)「先生は尊敬すべき存在である」とか、「大人(先生)は信頼に足る存在である」ということを、態度として表現することができるのである。

もちろん、どんな大人も信用していいってことではないだろうし、先生の中にも(手前のように)あまり尊敬するに足る人物ではないと思われる教師もいるわけで、それを別なくして接することははたしていかがなものかと思われるのだが、どうやら本校の生徒たちはそうやって接することが自身の生存戦略上極めて有利に働くということを、生得的(か後天的どうかは知らないが)に身につけているようなのである。

明日は、全国の中3生徒を対象に、本年度の「全国学力・学習状況調査」が実施される。
これは行政から漏れ伝わってきたことなのであるが、昨年度どうやら本校はこの調査において、全国でもトップクラスの成績を収めたらしい。だって、某教育研究所から視察官が「指導実践例を作成してほしい」という旨の依頼に来校したほどだったからだ。
もちろん、そういう結果になったことに家庭の教育力が重要な役割を果たしていることは改めて言を俟つべくもない。

もしかしたら、家庭で「先生には礼儀正しく振る舞いなさい」と厳しく教えられているのかもしれない。
とにかく、何が学力調査に相関しているのかはよくわからない。
でも、はっきりしていることは、学力調査ではそれなりの結果が出ているということだ。
昨今、やたらと「エヴィデンス・ベーストで示すこと」が奨励されているが、とりあえず全国の学力調査で好成績を収めようと考える学校があるのなら、確実に効果の上がる方法をお教えしよう。
やるべきことはただ一つ、「先生には礼儀正しく接する」ということから始めることだ。
少なくとも1年後、学力は確実にアップしているはずである。

で、週明け。
修学旅行に行っていた3年生も戻ってきて、ようやく全学年が揃っての学校生活が始まった。
やっと新学期になったという感じだ。
何度かやり直した時間割も、いい感じで仕上がった。
手前は今年も中3の授業を受け持つ。ようやく授業に入れるのが、何より楽しみである。
いちばん最初の授業こそ、肝心である。
「なんだか、この先生の授業、おもしろそう」と思わせること。これからの1年間が、この最初の授業にかかっていると言っても過言ではない。
楽しい1年になりそうな予感がする。

<追伸>
土曜日、支部定例会に行く前、何気なく毎日新聞の夕刊を見ていたら、思わず「えっ!」と声が出てしまった。
近著、『街場の大阪論』を上梓した江さんが、道頓堀のグリコをバックに「でぇーん!」と写っていたからだ。
いやあ、江さん、全国版ですよ!やりましたねえ。でも、「こんなとこ、僕、よう歩きませんで」っていうのが、いかにも江さんらしくて、思わず笑ってしまいました。
『街場の大阪論』、今度持ってきますから、サインしてくださいねー。