スーさん、忙中閑なしの年度末

3月25日(水)

新年度の準備で、目の回るように多忙な日々である。
そんな中、仕事に向かう手を強制的に休ませられたのがWBC。
春休みに入った職員室、緊急放送モニター用のTVを誰彼なしにオンにすると、もちろんそのまま試合終了までオフになることはない。途中、歓声が大きくなる度に、振り向いて画面に見入ってしまう。そのまま、そのイニングが終わるまではPCのキーボードから手が離れる。そんなことの繰り返しだった。

特に、昨日は決勝戦。相手がそれまで勝敗五分の韓国となれば、必然的に気合いも入ろうというもの。
年度末の異動辞令伝達が行われた月曜日以降、新年度の準備は急速にその多忙度を増していくのだが、さすがに昨日は午前中の運営会議終了後、そのまま食い入るようにTV中継に見入ってしまった。

新年度の準備をこれだけ急いでやっているのはわけがある。
明日から3日間、都道府県対抗全日本中学生ソフトテニス大会に参加するために、三重県は伊勢市まで遠征するからである。
明日の午後3時からが監督会議、午後5時からが開会式である。
競技は、明後日(27日)が個人戦、最終日(28日)に団体戦が予定されている。

この都道府県対抗戦に向けては、昨年12月のメンバー選考からスタートして、着々とその準備を進めてきた。
団体3チーム9ペアのメンバーを、年明けの1月には2チーム6ペアに絞り、さらに最終的な4ペアに絞ったのは2月初旬。
その後、そのメンバーで初めて臨んだ岐阜遠征では、昨年末の東海インドアを制した愛知県には善戦したもののご当地岐阜県に惨敗。今後のチームづくりの方向性を模索していたところ、ちょうどその翌週に練習会を行った沼津K学園高のスガイ先生から貴重なアドバイスをいただき、そこから少しずつ方向性が見えてくるようになった。

方向性がはっきりすれば、あとはそれに向かって練習を積み重ねるだけである。
オノダコーチのお声掛かりで、成年の国体選手と一緒に練習する経験も積み重ねながら、県内最後の練習として伊豆長岡の体育館で仕上げをし、リハーサルのつもりで臨んだのがこの3連休の中日(21日)、滋賀県立長浜ドームでの「近隣府県対抗 中学生選抜ソフトテニス大会」。
滋賀県中体連ソフトテニス部専門委員長であるニシカワ先生のご厚意で参加させてもらえるようになった大会である。

その前日(20日)は、同じく長浜ドームを使用して、「滋賀・近隣府県中学生選抜ソフトテニス大会」が開催されることになっていた。こちらは基本的に単独校による大会である。
さらには、21日~22日には、これも例年参加させていただいている京都府宇治市での「五里五里の郷中学生ソフトテニス研修大会」が予定されていた。
あれこれ考えた末、20日は長浜ドームで試合後そのまま宇治市へと移動、21日は手前と本校から県選抜に選ばれた選手1名を連れて再び長浜へ、22日は宇治へ戻って個人戦、という3連休の計画を立てた。些かハードなスケジュールであったが仕方がない。
そんな折り、今回は「五里五里」に選手を同行できなかったため自分だけでも顔を出すつもりでいたオノちゃんが、「20日から一緒に行ってもいいっすよ」と申し出てくれた。かくして、20日早朝に選手を乗せたオノちゃんアルファードは、一路長浜を目指したのである。

さて、20日の滋賀・近隣府県大会(団体戦)は、3ブロックの予選リーグとその順位によって組み合わせられた決勝トーナメントにて行われた。本校は、奈良県選抜のブロックに入っていた。
奈良県はソフトテニスの盛んな県である。高校では有名なT商業高があるし、小学生のジュニアも全国レベルである。もちろん、中学生のレベルも高い。ちなみに、昨年の都道府県対抗戦では準優勝している。その後を継ぐ今年の選抜チームである。

本校は第2試合で対戦したが、まさに「鎧袖一触」であった。
今年の奈良県男子選抜チームは、1月に行われた近畿インドア大会で優勝・準優勝ペアが中心のチームとのこと。そんな相手に単独校チームが為す術などあろうはずはない。スピード、パワーともに桁の違いを見せつけられた。

翌21日。本校の選手一人を連れて、再び長浜ドームへ。既に、他の本県選手たちはコートでボールを打っていた。どうやら、県東部地区の選手たちは前泊したらしかった。
この日参集した男子は、11チーム(徳島・奈良・京都・滋賀・和歌山・富山・福井・石川・岐阜・愛知・静岡)。試合は、前日と同様に予選リーグと、その結果で組み合わされた決勝トーナメント方式である。

本県の予選リーグは、石川・京都との対戦。それぞれ3番勝負になったが、3番ペアが危なげない試合ぶりで快勝、1位で予選リーグを通過した。
決勝トーナメントは何と第1シードとなっていた。前年この大会で石川が優勝していたからであった。
トーナメント初戦の相手は富山。3番勝負となったが、勝ってまずはベスト4入り果たす。

準決勝の相手は、昨年末に愛知県で行われた東海インドアや、2月に富士宮で行われた加藤杯を制している愛知。現時点で、全国8本くらいの実力は有していると考えられている相手だ。
試合はまたもや3番勝負となったが、3番ペアは終始リードを奪ってゲームカウントは3−1。このまま逃げ切れるかに思われたが、そこからじりじりと挽回されて勝負はタイブレークに。タイブレークも一進一退であったが、最後は攻め切った本県ペアに軍配が上がった。
1ポイントの重みがずっしりと実感させられた痺れるような試合であった。

決勝の相手は、前日に本校チームが対戦した奈良県であった。
強敵であったが、本県の特に大将ペアは気持ちで負けていなかったのだろう、後衛選手がびしびしといいボールを打ち込み、機を見ては多彩なショットも繰り出して、相手後衛選手のミスを誘う。前衛選手もいいところでポイントしてゲームカウント3−1とリード、それから1ゲーム落としたものの、そのまま4−2で相手大将ペアに勝利する。

ひょっとして奈良とは3番まで回らないかもしれないと思って、ここまでずっと3番勝負をものにしてきたペアを2番に起用したが、さすがに直前に愛知戦のファイナルゲームを終えたばかりで休養もできないままに試合を行うことになったためか、要所でミスが出て1−4で敗戦。
3番勝負も、1ゲーム取って奮闘したものの、ゲームカウント1−4で敗戦。実力チームが相手だから3番まで回らないかもしれないと考え、3番の備えをしなかった監督のオーダーミスと言えよう。
それでも、奈良県の戦術もだいたい理解することができたのは大きな収穫であった。

本番までちょうど1週間ということで、リハーサルを兼ねての大会参加であったが、確かな手応えを感じることができた。
選手たちも、「自分たちはやれるんだ」という自信を持てたのではないかと思う。
うれしい気持ちと、1ポイント1ポイントそれこそ身を削るようなゲーム展開にぐったり疲れて宇治へと戻る。
その日の夜は、伏見にて懇親会。地元の美味しい原酒をしこたま飲んで、意識不明寸前状態で宿へと戻る。

最終日の22日は朝からそぼ降る雨。残念ながら個人戦は中止となった。することもないので、ソッコーで帰ることにする。
いつも「五里五里の郷研修会」は何かある。これに懲りて、キシ先生やミヤタ先生は頭を丸め、「五厘五厘の郷研修会」と大会名を改称するようお願いしたい。

では、伊勢に行ってきます。
目標である団体戦初戦突破できるよう、がんばってきます。
応援をどうぞよろしくお願いします。