スーさん、花粉症に泣く

3月2日(月)

それにしても、今年は例年に増して花粉の飛散がひどいような気がするのだが。
何をさておいてもまずは予防とこれ努めてはいるのだが、鼻はムズムズ、目はカユカユ、喉はシカシカで最悪である。
外出する際には、とにかくマスクが手放せない。そのマスク、手前のように眼鏡を掛けているとどうしてもレンズが曇ってしまう。で、「99.9%曇らないマスク」という触れ込みの鼻のところパッド入りのマスクを購入してきたのだが、装着の仕方が悪いのかとても「99.9%」などというわけにはいかない。息をする度に、眼鏡のレンズが一部だけ視界不良になる。パッドのないマスクよりは多少はいいとは思う程度である。

鼻には「花粉鼻でブロック」なるドイツ製クリームを鼻の穴に塗布するようにしている。これを塗れば「マスク不要」との触れ込みだ。でも、さすがにそれだけでは不安なのでマスクも装着するようにしている。それなのに、花粉は容赦なく侵入してくる(というか、もしもクリームもマスクも使用していなかったらどうなっているかがわからないから比較のしようはないのであるが)。
さすがに嚔や鼻づまりは幾分緩和されているように思えるのだが、目のカユカユは例年の比ではない。いったん、目頭か目尻を擦り始めようものなら、はてしなく擦り続けてしまうのである。当然、目の周りはカユカユを通り越してイタイタになってくる。

もちろん、帰宅したときには玄関に常設してあるダスキンモップのようなもので衣服の花粉を払い落とすようにしているし、帰宅と同時に加湿器のスイッチを入れ、室内に花粉が舞い上がらないように配慮もしている。
なのになのに、風呂に入ってきちんと洗髪もし、キレイキレイになって、どれどれ湯上がりのビールでもと飲み始めると、またもや目のカユカユと鼻のムズムズが始まってしまうのである。
「おのれ、この花粉野郎、こそこそ逃げ隠れしてるんじゃねえ!出てきて尋常に勝負しろい!」と叫んでみても始まらない。
さすがに寝室は大丈夫だろうと思うのだが、クローゼットに上着やらズボンやらを収納する際にどうやら花粉が潜んでしまうらしく、明け方近くになると鼻の片方は不通、喉はカラカラ状態で目が覚めてしまうことがしばしばである。
「ええい、こんなところにも隠れてる卑怯者がいるとは!何たる不覚!」と嘆いてもどうしようもない。のそのそと起き出して、洗面所でうがいをし、鼻にシュシュッと点鼻スプレーを噴射してまたのそのそと布団に潜り込むという毎日を強いられている。
まさに、花粉は目に見えない敵、テロリズムなのである。

学校においては、花粉症はひどくその影響を及ぼす。
何故か?花粉の飛散時期とインフルエンザ流行の時期とが重なるからである。
どういうことか。インフルエンザの予防策はご存知であろう。「うがい・手洗い・換気」である。前2者は花粉に影響はない。問題は「換気」である。
本校でも、インフルエンザに罹患した生徒が出た場合には、養護教諭の厳命により昼休みに強制換気を強いられる。音楽とともに、「さあ〜窓をいっぱいに開けて換気しましょ〜!」という全校放送が流れるのである。この放送、花粉症の生徒にはさぞかし恐怖の放送となっているであろうと想像される。
さらには、学校には必ず「脅迫換気症」とでも言いたくなるような教職員が必ず一人はいる。その教職員は、出勤と同時に学校中の窓という窓を開け放つ。もちろん、花粉が飛散し始める時期であろうがなかろうがお構いなしである。仕方がないので、手前のような花粉症の教職員が「ったくよう」とぶつぶつ言いながら、学校中の窓という窓を閉めて回るのである。
かように、この時期はどこの学校においても、インフルエンザVS花粉症の激しいバトルが繰り広げられているのである。

そもそも、手前は花粉症などとは無縁の日々を送ってきた。周囲には、「花粉症?かわいそうにねえ。オイラみたいにいつもテニスコートに出てると、花粉症なんて免疫になっちゃうんだよねえ。キミたちも外に出てテニスでもしたまえよ」などと嘯いていた罰が当たってしまったのだと思う。忘れもしない、前世紀最後の年、すなわちミレニアムの年から突然花粉症に罹患してしまったのである。

花粉症については、以下のような記述を読んだ。ちょっと長いので要約してご紹介する。興味のある方は、ぜひとも「花粉症特集2009」のHP(http://eco.goo.ne.jp/life/health/kafun/chishiki/05_2.html)
より、「第5章 花粉症は国民病Part1」にアクセスして全文を徴していただきたい。

“そもそもの始まりは、昭和30年代の拡大造林。
戦後の復興ムードの中、過剰な木材の需要に、広葉樹を主体とした里山は皆伐され、そこに新たに早生樹種の代表格であるスギやヒノキが大量に植えられた。
日本の国土面積に対する森林面積は約67%。その中の人工林の比率は約4割。そのほとんどがスギ、ヒノキ、マツなどの針葉樹。つまりは、国土の3割以上はスギ、ヒノキ。
だが、拡大造林されたスギ、ヒノキの森林が丁寧に手入れされてさえいれば、これほどの花粉が舞うことはなかったはず。
昭和35年(1960年)に丸太材の輸入自由化、昭和37年(1962年)の木材製品輸入自由化を契機として、外国から木材が入り込んで来た。
以来、国内の木材の価格は下がり続け、ピーク時には1m3あたりの価格が2万円を超えていた時期もあったそうだが、それも今ではその1/3以下に下落。
木材の価格下落に伴い、間伐材などは、どこにも見向きされなくなる。
かつては、この間伐材も、木の直径に応じて、さまざまな分野に使用されていた。
が、間伐材の用途が減少してくるにつれて、間伐材そのものの価格は下落し続け、間伐という作業自体が赤字を生み出す労働になってきた。
成長した木材がある程度の価格で取引されるのであれば、そのための間伐にもお金を使う林業経営者もいるだろうが、生長した木材でさえ下手をすると赤字であることから、間伐に回せるお金などどこからも出てこない。
間伐が行われないために、一定面積内に必要以上の木が植えられている。
これが、花粉の数に影響しないわけがない。
もうひとつ問題なのは、枝打ちが行われていないこと。
スギは放っておけば枝をどんどん出して葉を茂らせていく。だが、枝が成長すると幹の成長が遅れたり、まっすぐ育たなかったり、さらには幹部に節ができるなどの理由で、不要な枝を切る。
ところが放置されているから、枝打ちがされていない。
枝打ちされていないスギやヒノキは、枝打ちされているスギやヒノキよりも倍の花粉を出す。
2000年、森林経営者の作業実施状況では、間伐を実施したと回答しているのは、わずか17.7%。つまりは、80%以上が間伐しなくてはならないところで間伐が行えていない。
間伐が行えていないということは、さらにお金にならない枝打ちが行われているわけがない。
つまり、日本の人工林の80%は、付ける必要のない倍量の枝を持ち、倍量の花粉をまき散らしていることになる。”

これって、立派な人災じゃないの。
でもまあ、木材輸入自由化を推進した人たちも、それがいかなる影響を及ぼすかなどということまでは神ならぬ身、知る由とてなかったのであろう。まさか木材輸入自由化の半世紀後に、国民の5人に一人が花粉症に罹患するなどという状況など、ゆめ思わなかったに違いない。
それは仕方がないとしても、現在のまま森林を放置しておいていいということではなかろう。
直ちに、林野庁の責任者は今後の森林整備に関わる施策を国民にアナウンスしてほしいのである。
定額給付金など配るのを即刻中止して、その一部をぜひとも森林整備に充当していただきたいものだ。

お話変わって、日曜日は不詳手前の誕生日であった。
もちろん、誰からもお祝いなどなかろうと思っていた。知命の年を過ぎるほどの年になると、そうは誕生日もうれしいものではなくなるというものである。
が、何と大学院内田ゼミ同期生であるナガミツくんからお祝いメールをいただいた。
ナガミツくん、ありがとう。ご期待に沿える教員となるべく、さらに精進していきたいと思います。