スーさん、授業をする

12月22日(月)

とかく部活動の話題が多いので、たまには授業のことを。

中3国語の2学期の終わりは、「説得力のある文章を書こう」という教材で締めくくり。
教科書には、「自分の主張を確かな根拠を挙げて表現する」、「主張を明確に伝えるために、効果的な構成を工夫する」、「異なる立場から主張を見直し、説得力のある意見文を書く」という三つの目標が掲げられている。作文の授業だ。

作文を書くのは苦手、という生徒は多い。ご自分の中学時代を思い出してみても、そういう思いを抱く方は多いのではなかろうか。
今回も、「作文を書いてもらうから」と言うと、いちばん前の席にいた生徒が「うげえ」という顔をした。ま、当然かもしれない。
教科書には、①主張のまとめ方を考える、②主張の述べ方を知る、③根拠を明らかにする、④異なる立場から見直す、⑤構成を考える、⑥テーマを見つけ意見文を書く、⑦読み合う、という7段階のガイドラインが示されている。
でも、そのとおりにやろうとすると何も書けない生徒が出てきてしまう。

と、内田先生が『こんな日本でよかったね』(バジリコ)で書かれていたことを思い出した。
“「言いたいこと」は「言葉」のあとに存在し始める。「私」は「私が発した言葉」の事後的効果として存在し始める。”(同書、23頁)ということである。
そこで、以下のように授業を展開してみた。

まずは、「説得力のある文章ってどんな文章だろう?」と質問してみる。
すぐに手が挙がる。
「読んでわかりやすい」、「根拠や資料がはっきりしている」、「身近なことを話題にしている」、「自分の体験が書かれている」、などの意見が発表された。
「そうだね。じゃ、今からさっそく説得力のある文章を書いてみよう」と、A4にちょうど600字が収まる原稿用紙を配布する。
「え?いきなりですかあ?」と当惑の声が上がるが、「そう、いきなり」。
「じゃあ書いていこう。とにかく書き始めること。書き出しは事実から書こうか。えっと、『12月に入ったが、あまり寒くはない日が続く』、とか『昨日塾の帰りに雨が降ってきた』とか、『今年は受験生なのでクリスマスも正月もない』とか、何でもいい。テーマとか考えなくていいから、とにかく書き始めること。そうして、書いた言葉が次の言葉につながり、言葉が自動的に生成されていくようにしよう」などと説明した。「で、何を書こうとしたかということが、書いたあとに自分でわかるような文章を書いてみよう」と。

はじめは当惑顔の生徒もいたが、何のことはない、書き始めるとどの生徒も猛烈な勢いで書き始めた。
ものの20分ほどでほぼ書き終えた生徒もいる。
それほどに、書かせ方を工夫すれば、ほとんど抵抗なく文章を書けるということなのである。
書き終えた生徒の満足そうな顔がいい。

以下に、3人の生徒作文をご紹介する。
そんなふうにして、いろんなテーマで書かれた作文の中から読んでおもしろかったものを選んでみた。
もちろん、手前の修正等はいっさい入っていない。

『人間社会の中での私』
“世の中には自分と同じ人は一人としていない。周りにいるのは他人ばかりだ。家族だって他人は他人。
だから面倒くさいといえばそうなる。自分の主張を理解してくれなかったり、自分の思うようにしてくれないとイラつくことさえある。
「みんな同じ考えであれば…」それもそれで面倒くさい。全員があれしたい、これしたい。相手の思いが手にとるように分かり、そして知られてしまう。だって自分と同じだから。
このようなことは仮定であるから、実際ではおこらない。実際はみんな違う。一人一人みんな違う。
前に書いたようにそれは面倒くさいことでもあるが、別の視点から見るとおもしろいこともある。
こんな意見もそんな意見もあるのか、それは予想外だった。そんな中で自分の意見も変わっていったり深めることができたりする。
他人からの刺激があって自分が成長する。逆に自分が他人の影響になっている場合だってあるだろう。人はみな交わり合っているのだ。
人は孤独であるがそれぞれ交わり合い、またそれが面倒くさいと感じる場合もあればおもしろいとも感じる。これが私の考える世の中のあり方であり、人間社会。しかし、世の中には自分は一人だけなのだから、他人はまた私と違う考えを持っているのだろう。”

『お金に勝てない』
“最近、私は家の手伝いを毎日している。それは、いつも母親が仕事で忙しいからだ。
この前、母親が「手伝いはべつにしてもしなくても自由だよ。」と言っていた。そう言っていたから私は母親が仕事で家にいない時、手伝いをしなくなった。そしたら、「ちゃんと手伝いしてよ。」と仕事から帰ってきた母親に怒られた。なぜだ。矛盾している。
そして、私はまた手伝いを毎日するようになった。まさに奴隷だ。
何日かすると、母親は私のもとに来て、「手伝いするのは自由って言ったのに、Aちゃんは毎日やってくれているね。」と言い、お金を差し出してきた。いや、手伝いは自由ではない。矛盾している。この前、手伝いをしなかった私に怒ったではないか。そして、また自由と言いつつも、お金でこれからも手伝いをさせようとしている。私は母親の言いなりになりたくなかった。けど、お金を受け取った。くそ、金に負けた。
私の母親はどんな手をつかってでも私だけに手伝いをさせようとする。女子は母親に言われた事があるのではないか、「将来女の子は家事を毎日するようになるんだから、今から手伝いをしとかないと駄目だ」と。そして、その言葉にイライラする人もいるのではないか。そう言われてイライラしていてもお金をもらうとすぐ機嫌がなおる。そういうところが人間の弱点であり、悪さである。”

『初めの一歩』
“私は思っていることを人に伝えている。「ごめんね」も「ありがとう」も「大好き」も、自分が思ったら言葉で表してみる。心でいくら思っていても、相手に伝わることはないと分かっているからだ。
中学生の話の話題はたいてい、成績のことや友達のこと、一番多いのは恋愛に関することだと思う。どうして好きな人を隠すのだろう、どうして言葉で伝えないんだろう、と私はいつも思う。恥ずかしいから言わない、嫌われたくないから言わない、というのは本気じゃない証拠だ。本気で好きだから言えないという意見もあるかもしれないが、私は「じゃあ今のままでいいの?」と聞きたくなる。そのような人は、月日がたてばすぐ忘れる。
言葉一つで相手の心を変えることができる。それができないということは、相手が望んでいる言葉ではないいうことだ。自分が嬉しい言葉が相手を喜ばせることができるか分からない。しかし、言葉で伝えなければそれすらも分からない。
悩んでいるのなら話せばいい、好きな人には伝えればいい。自分で溜め込むと苦しくなってしまうから。人に相談して満足しても、きっと心の中には「伝えたい」という思いが残っている。どんな小さな言葉でも、伝えることが初めの一歩だと思う。”

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