スーさん、大阪へ行く

12月10日(水)

週始めの月曜日は、昼前から半休をいただいて妻と大阪へ。
大阪会館にて予定されていた朝日カルチャーセンター大阪の主催講座「養老孟司vs内田樹 逆立ち日本論」を拝聴するためである。

最初は、とても行けそうにないと思っていた。ところが、どうやらその日程なら妻が休みを取れそうなことと、ちょうど月曜日が週休日の振り替えで休校日となっているオノちゃんが「どうしても行きたいっす!」と強く希望していたことも相まって、「んじゃ行けるように考えてみっか」ということになった。
日程を見ると、火曜日の午後から出張が入っていた。来年度の教育課程編成に関わる「超」重要な出張である。とても代理を出してもらうわけにはいかない。でも、午前中に帰ってくるなら何ら問題はなかった。
後期の時間割では、たまたま月曜日は会議(運営委員会)を除くと1時間しか授業が入っていない。その1時間と、火曜日の1時間目の授業を他の曜日に振り替えさせてもらうことで校長先生には了承をいただき、何とか大阪行の時間を生み出すことができた。

チケットは、事前にオノちゃんが手配してくれていた。
そのオノちゃんは、せっかくだからということで、一人で先に京都の晩秋を楽しもうと先乗りするとのことであった。
3時間目の会議を終え、急いで家へと帰って着替え、妻の車で浜松駅へと向かう。
昼食は、大阪到着後にお好み焼きでも食べる予定であった。
ダイヤの改正で1時間に1本は停車するようになった「ひかり」にて一路大阪へ。

大阪到着は午後2時。すぐにホテルにチェックインし、近くのお好み焼き屋へ。
妻は、大阪に来るのは独身の時以来だと言う。せっかくなので、おいしいお好み焼き屋さんに行こうかとも思っていたが、遅めの昼食ということもあって、とにかく近くのお店でということになり、ホテル裏のお初天神通りにある「ゆかり」へ。
食べているところへ、オノちゃんからメールが入った。もう大阪に着いて、「ホテルにチェックインの予定です」とのことであった。「ゆかり」にいると返信すると、ほどなくお店にやって来た。
お昼は京都でかんチきくんに紹介してもらったお店に行き、そこでオススメの親子丼を食べたのだが、既に小腹もすいてきたので、「ちょうど何か食べようかと思っていたんです」とのことであった。
食後は、旭屋書店とタワレコに立ち寄って、ホテルへと戻る。
講座の開始は6時半。それまで暫時休憩ということになった。

さて、本町にある大阪会館に到着したのはちょうど午後6時。既にホールには50名ほどが着席していた。この講座の人気の高さが窺い知れた。
程なく、ヒラオさんが登場。無沙汰のご挨拶を交わす。さらには、オーサコくんやカンキくん、「ゑびす屋」タニグチさんらが続々とお見えになる。
開演時間の6時半には、用意されていた300席以上の座席はほぼ満席となっていた。

養老先生のお話は、今年の8月に神戸女学院大学新制大学認可60周年記念シンポジウムにて拝聴させていただいた。
前回はパネルディスカッションということで、コーディネーターでもあった内田先生のお話はあまりお聞きすることは叶わなかったのだが、今回は対談である。お二人がどんなやり取りをされるのか興味は尽きなかった。

そのお二人が登場されて、講座が始まった。
マクラは内田先生の「来年はどんな年になるんでしょうね」からスタートする。
いちいち「なるほど」と首肯させられたお話や、思わず笑ってしまうお話などが次から次へと披瀝されていく。
中でも、
①「システムクラッシュはどのようにして発生するか」、②「不安扇動産業」による経済効果、③「ボディとメッセージの整合性」
の3つのお話は特に印象的であった。

あっという間に時間は過ぎて、楽しかった講座もお開きとなる。
会場の出口で、ご挨拶できなかった方々に久闊を叙す。
その後は、内田先生のご予定に合わせてということで特に予定は決めていなかったのだが、先生がお見えになって、「では、ビールでも飲みに行きましょう!」とのひと言で、そのままオーサコくんの先導で北新地へとご一緒させていただくことに。
内田先生と初対面となる妻は、緊張の面持ちで先生にご挨拶をしていた。
翌日、思い出したかのように、「私がご挨拶をしたら、先生がきちんと私の方を向いて丁寧にお辞儀されたのを見て、もうどうしたらいいのかわかんなくなっちゃった」と言っていた。どうやら、先生の礼儀正しさに「居着いて」しまったようだ。そのことが、妻には何より印象的だったらしい。

北新地の旗亭では、「ちょっとカゼ気味なんです」という先生から、対談とはまた別のいろんなお話をうかがうことができた。
さらには、ヒラオさんから昨今のラグビー界における戦術の画一化について興味深いお話もうかがうことができ、自分の関わっている中学校部活動ともオーバーラップして、今後の競技スポーツ全般で考えていかなければならない問題なのではないかという思いを強く感じさせられた。このことについては、また機会があればヒラオさんとお話ができればと思う。

ウッキーの段取りで次々と出される料理に、つい焼酎を過ごしてしまいつつ、時間は既に二更に入って「北新地でビールを飲む会」もお開き。愉しい時間は過ぎるのが早い。
そのまま、JRでお帰りになる内田先生とヒラオさんをお見送りし、阪神で帰るオーサコくんに『月刊島民』のバックナンバーを送ってもらうようお願いし、最後に阪急で帰るウッキーにはホテル近くでお別れをする。
オノちゃんと、「んじゃ、ラーメンでも」などと言っているところへ、甲南合気会の面々と同行されていた「ゑびす屋」タニグチさんからお電話が入った。「すみません、まだ本町で飲んでるんですけど、奥様にぜひご挨拶をと思いまして、もしも梅田のどこかしらで飲んでおられるのならそちらまで行きますが」とのお話であった。翌日が休みなら一も二もないところだ。でも、明日は朝一の新幹線で浜松に戻らなければならない。事情をお話しし、妻と電話を換わった。タニグチさんのご丁寧な対応に、妻はいたく感激していた。
そのまま、お初天神通のお鮨屋さんにて、握りを少々いただいてホテルへと戻る。

翌朝は、焼酎の過剰摂取で痛む頭を抱えつつ、7時半に新大阪駅発の「ひかり」で帰浜。
一度家に帰って着替え、そのまま出勤。午後は、教育課程についての出張であったが、どうも頭がぼんやりして要領を得ないままであった。
早めに帰宅して9時には就寝。さすがに、大阪から出勤した一日は疲れた。

今回は、少々の強行日程ではあったが、やっぱり行ってよかった。
内田先生とは、今年はゆっくりとお話をする機会にも恵まれなかったので、何よりの得がたい機会となった。
それより何より、妻の喜び様が一入であった。当座の夜から、「まるで夢みたい」と何度も言っていた。「それに、先生とご一緒している方たちが、みんないい人たちばかりで」とも。よかったよかった。
どうやら、不肖の夫が事あるごとになぜ神戸までせっせと足を運ぶかも、十分におわかりいただけたみたいだった。逆に、これから「内田先生のとこ行くから」と言うと、「私も連れてってよ」と言われるかもしれない。
家に帰ってからも、本棚にある内田先生の本をせっせと読んでいた。

そうそう、先生に年末のご予定をお尋ねすると、本部連盟今年最後の会の開催を、浜松支部の日程に合わせていただけるとのありがたいお言葉をいただいた。年末のお楽しみができた。
鰻を持参いたします。