スーさん、オケが欲しくなる

9月22日(月)

台風の週末だった。
市内新人大会の予選リーグが次週に迫っているので、何とか練習はしたいと思っていた。
その土曜日、はたして前夜のうちに台風は本州のはるか南海上を通過して、関東の沖合にまで達しており、朝から青空だった。
この日は、H中のオータ先生が選手を連れて一緒に練習することになっていた。少し早めに学校へ行き、コートの状況はと見ると、下のコートはまだ水が残っていたが、上のコートはちょっと整備をすれば使えそうであった。登校してきた選手に、「上のコートを整備するぞ」と伝えて部室の鍵を渡す。
30分もかからずにローラーかけも終わって、コートが使用できるようになった。その頃には本校に到着していたH中の選手たちも加わって、練習が始まった。

オータ先生は、オノちゃんの中学時代の教え子(ソフトテニス部)である。中学時代に、オノちゃんのような教員から部活動の指導を受けた生徒は、およそものの道理というものがわかっているし、それなりの洞察力も備わっている。何より、熱心に指導しようとする情熱がある。こういう次代を担う若者は大切に育てなければならない。
だから、こうして他校の選手たちと合同で練習するときには、自分とこの選手たちだけでなく、他校の選手も含めて気づいたことは指導するようにしている。
よほど来る前に言い含められてきたのか(「いいか、あの先生はとてつもなくコワイ先生だからな、言うこと聞かないと何されるかわかんないぞ」等)、どの選手も一様に、こちらの指導には熱心に耳を傾けてくれる。何より、話を聞いているときの表情がいい。みんなテニスが好きなんだと実感させられる。

あっという間に昼になって、練習はお開き。すぐに自宅へ戻って、この日は休みだった妻と、近くのラーメン屋さんにて昼食を共にする。このお店、地元のタウン誌などに紹介されたこともあって、特に昼時は賑わっている。妻は初めてつけ麺を食べたそうだが、「ほおぉ、美味し~い」と感心していた。
帰宅後、今度は自転車で近くのTUTAYAへ。この土日から秋分の日までは「レンタル100円」というチラシを見ていたからだ。未見の「ダイハード4.0」を借りてきた。

実は、この日は夕方からコンサートに出掛ける予定になっていた。井上道義指揮の「オーケストラ・アンサンブル金沢」の演奏会である。
この演奏会のことは、週の初めに妻から聞いた。妻は保育士であるが、勤めているところは浜松市の文化振興財団の施設である。その関係で、文化振興財団の主催事業があるときには、観客として駆り出されることがあるそうなのだ。
「ワタシは行くけど、どうせあなたは麻雀でしょ?」と言われていたのだが、運良くこの日は支部定例会が開催されないことになっていた。みんな何だかんだと都合が悪かったからだ。
「いや、この日は定例会がないんだよ。行くよ。で、どこの演奏会?」
「それが、あんまりよく知らないのよ、今度職場に行ったときにチラシもらってくるね。確か~指揮者は井上道義だったと思うけど」
さっそく、ネットで調べてみた。室内オケの演奏会だった。井上道義は知っていたが、不覚にもオーケストラ・アンサンブル金沢については寡聞にして知らなかった。
プログラムがよかった。ハイドンの96番とチャイコフスキーの弦楽セレナード、後半がモーツァルトのディベルティメントとベートーベンの1番。ハイドンは聴いたことがなかったが、それ以外は好きな曲ばかりだ。楽しみになった。
「雨で体育大会ができなければ、休みですから行きたいです」というオーツボくんに詳しいことを知らせて週末を待った。

「ダイハード」を見終わらないうちに時間になった。開演は午後5時。通常の演奏会よりは、1時間から2時間ほど早い。4時半には会場に着けるよう家を出た。オーツボくんも、体育大会が延期で休みなったから「行きます」とのことだった。
会場はアクト中ホール。室内オケが演奏をするにはちょうどよい大きさのホールだ。オーツボくんと合流して座席へ。
人の入りはいまいち。これが「音楽の街」を標榜する浜松の現状だ。パンフレットを見ると、演奏団体であるオーケストラ・アンサンブル金沢は、今年で創立20年を迎える「公立」のオーケストラで、金沢市と石川県が運営資金を供出している。亡き岩城宏之氏の肝煎りで誕生したこともわかった。

演奏が始まった。最初はハイドンの交響曲第96番「奇蹟」。いい音だ。極上のブレンドコーヒーの味わいとでも形容できようか。ため息が出た。
同時に、どうして浜松はこういうオケを持とうとしないのか、と不思議に思った。
「音楽の街」とは、「楽器製造の街」のことなのか?ハードがあってもソフトはない。所詮は箱もの行政。
悲しくなった。

2曲目、チャイコフスキーの弦楽セレナード。美しい演奏だ。あとで聞くと、妻もオーツボくんもこの演奏がいちばんのお気に入りだったそうだ。
休憩を挟んで、後半はモーツァルトのディベルティメント。これも、モーツァルトの定番のような曲である。自分は個人的にはこれがいちばんよかった。
そしてトリはベートーベンの交響曲第1番。初めて聴いたのは大学時代、大学オーケストラの定演だった。以来、好きな曲の一つになった。ハイドン、モーツァルト、ベートーベンと、まるで音楽史を辿るような曲目を聴くことができ、それぞれの違いも再確認することができた演奏会だった。

後半が始まる前、指揮者の井上道義が、直接観客に語りかけた。主にはオケの宣伝であったが、いい感じであった。いかにも、市民のオーケストラという感じがした。これが浜松のオケだったら、どんなにか誇りに思えたであろうか。金沢市民がうらやましくなった。

西洋音楽が日本に紹介されて早1世紀半。今や、日本人の指揮者が名門ウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めるような時代だ。
楽器の演奏技術も目覚ましく向上していると思うし、才能のある若い演奏家は、それほどごまんといるのであろう。でも、そんな有能な音楽家たちを生かす場がどれだけあるのだろう。
だからこそ、公的な援助が必要なのではないか。ペイするとかしないとかではなく、まずは身近なところで本物の音楽に触れる機会を増やしていく。そうすることで、市民に親しみを持ってもらう。親しみを持つから、演奏会へも出かけるようになる。そうすることで、市民の耳も肥え、さらに演奏家たちのレベルも上がってゆく。
オーケストラ・アンサンブル金沢は、まさにそうした取り組みが見事に結実した好例なのであろう。ぜひ、わが町浜松も以て範とすべきであろうと思うのだが。
終演後、妻とオーツボくんと3人で、ホール近くの居酒屋へと立ち寄り、そんなとりとめもないことを話していた。

明けて日曜日は、隣の中学校へ近隣の3校が集まって終日練習マッチ。明け方に雨が降っていたのでどうなるかと思っていたが、会場校の献身的なコート整備のおかげで、9時にはコートが使用できるようになった。おかげで、たくさんゲームができた。新人大会で使おうと思っていた選手の目処も立った。ヤマモト先生とS中ソフトテニス部員に感謝である。

そうそう、8月25日からドイツへ語学実習に行っていた娘が帰ってきた。
途中、何度か電話があったが、とにかくいい報告ばかりであった。ホームステイ先の両親にもずいぶんと可愛がってもらったらしい。電話で、「日本食とか、食べたくなるだろ?」と聞いても、「ううん、そんなこと思わないよ、だってこちらの食事っておいしいんだもん」という返事であった。
どうやら、娘にはドイツがかなり水に合っているという感じである。帰国前には、ベルリンで、ベルリンフィルの演奏を聴いてきたらしい。それも、ブルックナーの8番を。いいなあ。詳しくは、また浜松に戻ってから聞こうと思っているが、ひょっとして「留学したい」とでも言いそうな勢いである。
それはいいんだけど、先立つものが…。今のうちから、そのつもりで用意しておくとしようか。幸い、タバコはやめたし、パチンコとかも一切してないし、車はプリウスだからガソリン代もずいぶんと節約できているし。あとは、酒を…。おっと、こればっかりはやめられないなあ。
でも、日本って、娘にとっては住みにくい国なんだって思わされた。悲しいことではある。