スーさん、全国大会でちょっとがっかり

8月20日(水)

全国大会から帰ってきた。
結果は、戦前の予想どおり初戦敗退。たった1試合やるためだけにわざわざ富山まで?などと申すまい。それが全国大会というものである。

大会が開催される富山県高岡市は、浜松市のほぼ真北。車で行く場合は、東海環状道から東海北陸道を経由していくのが最も速い。途中休憩を挟んでも、ほぼ4時間もあれば十分である。
ただ、今回も使用させてもらった弟のオデッセイのナビは、搭載されている地図のバージョンが多少なりとも古かったようだ。
往路、東海北陸道の荘川インターから下道へ降りる指示だった。「何だかこのまま高速は続いていそうな雰囲気なんだけどなあ」と言いつつ、まあナビの指示に従いましょうと国道156号線へ。
この高岡市まで続く国道は、ほとんど信号がないばかりでなく、ダム湖である御母衣湖沿いを走るため、沿道の景色が抜群で、快適にドライブすることができた。途中、道の駅で休憩も取りつつ白川郷インターまで。
どうやら、ナビの地図は東海北陸道がこの区間だけ開通していないバージョンだったらしい。大会前日に浜松を出発したヨッシーらに聞いてみると、やはりもうその区間は開通していたそうだ。

会場である高岡スポーツコア高岡市テニスコートに到着したのはちょうど昼過ぎ。近くのイオン高岡店内にて昼食を済ませ、午後からは会場のテニスコートにて練習。練習コートはブロックごとに割り当てられていたのだが、近畿ブロックから団体出場する京都N中のミヤタ先生のご厚意で、「一緒に練習しましょう」と言われていたので、近畿ブロックのコートへと向かう。
途中から、奈良K中のミナミ先生もお見えになり、3校で練習マッチを行う。持つべきものはソフトテニス仲間である。

大会期間中の宿舎は、高岡市のお隣の砺波市にある砺波ロイヤルホテル。練習を済ませてホテルへと向かう。と、行く手の山麓に白く大きな建物が見えた。それが砺波ロイヤルホテルであった。
「おお、すげえ!」「修学旅行で泊まった宿よりよっぽどいい!」などと生徒たちから声が挙がる。特別にこのホテルを選んだというわけではない。配宿担当の業者が斡旋してくれた指定の宿である。ひどく得をした気分になる。

その日の夜は、同じ砺波市の駅前に配宿されたミヤタ先生と一献の予定であった。こちらから砺波駅まで出向こうとしたのだが、ホテルからはタクシーで行く以外に方法がない。仕方がないので、同宿の保護者に送ってもらうことにした。
ミヤタ先生は、ご出身が京都府北部の港町ということで、魚と日本酒がお好みのようである。そのまま二更に及ぶまで飲み、タクシーにて帰宿。

翌日は、午前中再び近畿ブロックのコートにて練習後、一度宿舎へと戻り、着替えて監督会議会場へ。選手たちは、「監督会議終了後に迎えに来るから」と、メーカーのテントなどが出店している試合会場へと残してきた。

監督会議は、主には試合運営上のことが議題であったが、近年保護者やコーチの態度が悪化していることを憂う旨の説明があった。「誰のための大会かということをよく考えてほしい」と。
当然のことだ。
「イエローカードは、本来選手に対するものであって、選手以外の特に大人に対して出されるというのははたしていかがなものか」と。
あくまで主役は選手たちである。そこを履き違えてはいけない。大会本部の説明は、至極尤もなものであった。

監督会議が終わって開会式。しかし、会議が多少なりとも長引いたため、選手を迎えに行く時間がなくなりそうであった。仕方がないので、保護者に連絡を入れて、試合会場にいる選手たちを連れてきてもらうことにした。おかげで、何とか開会式には間に合うことができた。

2年前の松山の時とはだいぶ違う開会式であった。選手の入場行進も、その選手たちを紹介する大型プロジェクターもなかった。代わりに、壇上に陣取った役員の「ご挨拶」ばかりであった。どうも主役を履き違えているような感じがした。

さすがにその日は、ホテルの外に出て行く元気はなく、同宿の姫路H中のマツモト先生やタマダ先生らとホテル内にある居酒屋にて飲むことになり、「じゃあ、ミヤタ先生にはこっちへ来てもらおう」ということになって、5人ほどで鱒の寿司などをつつきながら、地元の冷酒をいただく
途中、夕方に浜松を出発して爆走してきたヨッシーらから、「まもなく高岡です」とメールが入った。「じゃあ砺波ロイヤルホテルまでおいでよ」と返したが、さすがに時間も遅く、そのまま宿舎を取った高岡駅前へと向かうとのことであった。

さて、試合当日である。天気予報を見ると、降水確率は午前午後ともに80%。雨になりそうだった。
6時過ぎ、東海ブロック長から連絡が入った。「予定どおり、外でやります」とのことだ。
朝食を早めに済ませ、コートへと向かう。途中、雨が落ちてきた。コートに到着すると、土砂降りの雨であった。雷鳴も轟いている。
そのうちに雨が小降りになると、放送が入った。「第1試合の受付の開始を放送にて行いますので、選手・監督は放送に注意していてください」とのことだ。
この頃には、雨は降ったり止んだりの小康状態にはなっていた。それでも、時折激しい雨が降ってくる。
本校ペアは、第3試合であった。選手待機所でコールを受けるのは前の試合が始まってからだ。第1試合は観戦できる。さっそく、一緒に練習した奈良K中ペアの応援に回る。相手は北信越ブロック優勝のペアだ。立ち上がりは相手があっという間に2ゲームを連取したが、そこからK中ペアも盛り返し、逆にゲームカウント3−2とリードする。何度かマッチもあったのだが、そこはさすがに相手も逃れてタイブレーク。このタイブレークも一進一退であったが、最後はK中ペアに軍配が上がった。

待機に入った。2年前の松山は、選手待機所にちゃんと椅子が用意されていて、監督と選手はそこでコールを待つことになっていた。ところが、こちらは何もない。ただひたすら立ったままコールを待つだけだ。どうも選手への思いやりが感じられない。
思いやりと言えば、プログラムが出場選手分配布されないというのも解せないことの一つだ。何でだろう?仕方がないので、記念にもなるし購入してやったのだが、何と2千円もした。日本中体連って、そんなにお金がないのだろうか。選手から参加費を徴するようにしたのも今季からだと聞く。それも一人二千円だ。どうも、随所に「出させてやったんだから感謝しろ」というようなところが見え隠れする。ま、下種の勘ぐりだろうが。

いよいよ審判員を先導に、コートへ入場する。試合開始だ。
後衛選手はいいボールを打っているのだが、要所で前衛選手にミスが出て、ゲームの流れをものにできない。1ゲームが終了しようかというころになって、土砂降りの雨になった。しかし、試合は続行。「おいおい、こんな雨の中でもやるのかよう」と思っていたが、中断の放送はない。試合はそのまま流れをものにすることなくストレートで敗戦、何ともあっけない終幕となった。
まあ、大会前から相手が分かっていたので、そういうこともあり得るとは思っていたが、実際にそうなってみると何とも味気ないものであった。それにしても、もう少しいい条件で試合をさせてやりたかった。
選手たちには「お疲れさま」と声をかけ、午前中は試合を観戦して、昼食後に帰途に就くことを指示する。

帰りは、せっかくだからと、白川郷に立ち寄っていくことにした。試合後の解放された気分で、選手たちものんびりと散策しながら、「飛騨牛コロッケ」などを食していた。こういう楽しみも、全国大会ならではである。

わざわざ浜松から応援に駆けつけてくれたヨッシー、ハットリくん、シンムラくん、ありがとうございました。期待には応えられなかったけど、ま、全国大会ってこんなもんです。
一緒に練習していただいたミヤタ先生、ミナミ先生、ありがとうございました。特に、ミヤタ先生のとこは、翌日行われた団体戦にも出場してベスト8、やりましたね。

こうして、いろんな人たちに応援してもらった全国大会が終わった。
いつもそうだが、全国大会から帰ってくると、夜は秋の虫の音が聞こえるようになっている。夏休みも残り10日あまり。そろそろ2学期の準備もしておかないといけない。新人大会に向けて、それまでほったらかしだった1,2年生も教えないといけない。
でも、今は少しだけ休憩したい。
夏休みの終わりは、いつものメンバーにカンキくんを加えての城崎行と、妻の誕生日に合わせての小旅行。
それでリフレッシュして2学期を迎えるつもりだ。