スーさん、バカ和了に恐怖する

6月16日(月)

「運」って、やっぱりあるのだろうか。

土曜日の支部定例会時、久々にオノちゃんが暴発した。5人だったので、東回し2位抜けでやることにした。牌の掴み取りで抜ける者を決めると、手前だった。サッカーの中継を見ながら、オーナーと四方山話をしていた。そろそろオーラスという段になって、それまで鳴かず飛ばずだったオノちゃんから、やたらと威勢のいい和了の声が聞こえ始めた。それも、ほとんどが親満以上の和了ばかりだ。

同様のことが、昨年末にあった。手前の年間王者が決定しようかというところへ、猛追をかけたのがオノちゃんだった。特に、年末に入っての和了方は半端ではなかった。まさに「ツキまくり」という言葉がぴったりであった。結果、手前を抜いて年間王者に返り咲いた。

ところが、それから毎年恒例の「年末大阪てっちり忘年会」に参加した際、内田先生のところを辞して大阪へと向かう途中から、オノちゃんが体調不良を訴え出し、もう宴会も始まるというときになって、体調が戻るどころかさらに悪化しているとのことで、そのままホテルへと戻り、さらには回復しそうにないということで、新幹線で浜松へと戻るハメになってしまったのである。支部会員たちは、口々に言った。「麻雀での和了が半端じゃなかったから。きっと、そのツケが回ってきたんだよ」と。何事も、過ぎたるは及ばざるがごとしということなのであろうか。

「雀鬼」と称される桜井章一氏は、その著『運に選ばれる人 選ばれない人』(講談社+@文庫)で、以下のように述べている。
“麻雀には「東西南北」という方向があります。「東西南北」は麻雀という場に自然をつくり出し、それによって流れが円く循環するのです。つまり麻雀卓には宇宙がそのままに映されています。そこで自然と同じ法則が立つのは必然のことなのです。”
「人間万事塞翁が馬」ということなのであろう。やはり、「運」というものはあるような気がする。

結局、オノちゃんの和了が続いていてとても終わりそうになかったので、待ちくたびれた手前はそのまま帰ったのだが、翌日シンムラくんに聞いてみると、オノちゃんはそれから親を15連チャンしたそうだ。しかも、15回目の最後の和了は何と国士。振り込んだのは、誰あろうシンムラくんとのことであった。異常な和了である。オノちゃんの身辺に、良からぬことが起こらないことを切に願う。

明けて日曜日は、シンムラくんとこがいつも利用している公園テニスコートにて、4校が集まっての練習マッチ。4月の近県選抜大会の折り、名古屋でお会いしたH中のM先生から、「6月とかに練習試合やれないかな」と言われていて、シンムラくんに「いつかコートが取れるそうな日があったら教えてね」とお願いをしておいたところ、今回3面終日確保できたとの報に接し、M先生にご案内したところ「ぜひに」ということで、シンムラくんとこに、さらに1校を加えての練習マッチとなったのである。

M先生には、ソフトテニス部の顧問になって間もないころ、本当にお世話になった。顧問になって3年目、1年生のときから手塩にかけて育ててきた選手たちが3年生になり、それなりに実力がついてきたとの手応えもあったので、当時愛知県で最強と評判の高かった名古屋市のK中に練習試合をお願いしてみた。M先生が顧問であった。

その学校まで出向き、試合が始まった。本校のエースペアはタイブレークまで持ち込む善戦ぶりを見せてくれた。「なんだ、けっこうやれるじゃん」と喜んでいたのも束の間、それは相手の3番手ペアだった。続いて相手の大将ペア、2番手ペアと対戦したのだが、まったく相手にならなかった。確か、2ポイントくらいしか取れない惨敗だった。どうしてこんなに強い選手を育てることができるのだろうと思い、「すみません、もう試合はよろしいので、一緒に練習をさせていただけませんか」とお願いをし、具体的な練習法をいろいろと教えていただいた。

それからというもの、普段の練習でわからないところや疑問に思ったことがあるたび、M先生に電話をしては教えを乞うた。先生のご紹介で、他府県の顧問の先生とも懇意になることができた。かように、たいへんお世話になった先生である。

実際に対戦したのだが、何より前衛がよく鍛えられている好チームであった。とにかく粘り強い。ミスしても簡単に諦めない。先生のお話によれば、「名古屋市内でベスト4くらい」とのことであったが、どうしてどうして、あれだけの実力があれば、愛知県大会でも十分に上位を狙えるであろうと思われた。互いに今夏の健闘と、東海大会での再会を誓い合ってお別れする。

練習マッチを終えて、家で一息ついていると、「お父さん、もうご飯食べちゃった?」と、娘からメールが入った。妻からは、娘が日曜日の夕方から月曜日にかけて、「プチ帰省」すると聞いていた。その連絡だろうと思い、「まだだよ」と返信すると、「いやあ、今日は父の日だからたまにはご飯でも行かないかなと思ってさ」と。うれしいメールである(涙)。娘が駅に着いたのは、9時半過ぎ。時間が遅かったということもあって、お手軽なスシローへ。おかげで、よい「父の日」になった。